「3度目の武道館ということで、ちったあ慣れるかと思ったんですけど、1回目・2回目の時と同じで、ガチガチに緊張してます! でも最高に楽しいです!」と拍手喝采を誘った直後、「オオキとサトマの姿を後ろから見ていられるのは幸せだ」といい話につなげるはずが「オオキが歌って、オオキが弾いて」と言い間違えて台無しにして「武道館って魔物が棲んでんだなあ!」と苦笑するのはウラヤマイチゴ。「俺は全然緊張してなくて。音楽の喜びを全身で感じてます!」と笑顔を見せるのはサトマことサトウマサトシ。ただでさえソリッドかつパワフルに鍛え上がったイチゴの爆裂ドラミング/サトマの強靭なベース・プレイ/オオキの静轟自在のギター、そしてスクリームとウィスパーが同居するような唯一無二のヴァイブを放つオオキの歌声は、ツアーを回ってさらにその訴求力をギアいくつ分も上げまくっている。“ONE DAY”“Final Dance Scene”といった最新アルバム『ALMA』収録曲を軸に、“波、白く”や“赤橙”“Under the rain”“ある証明”など新旧楽曲を織り重ねてまったく新しい音世界を構築していく――という基本構成も、“真っ白な夜に”などインスト曲も単なるインターミッションではなくシリアスな「見せ場」として機能させる効果的なセットリストも、初日に観た時とほぼ同じものだった(唯一、『ALMA』の“DEAR FREEDOM”が曲目から外れていたのが、初日との大きな違いと言えようか)。が……それでもこの日のACIDMANの音はこれまで以上に、そして武道館という晴れの舞台がもたらすスペシャル感を遥かに超えて、ダイナミックかつダイレクトに胸に響いた。何より、広大な宇宙に生きる人間の存在の非力さ、そして無数の人間の人生という軌道が交錯する「今」をシビアに指し示すACIDMANの音楽の理念が、「同じ時代に生まれて、こうしてライブに集まれるのは奇跡。その感覚を持っていれば、未来はもっともっと楽しくなる」という肩肘張らないオオキのメッセージとともに、至って自然なヴァイブとして身体に、心に染み渡ってくることだ。
人間の運命を音楽で描くこと。ちっぽけな人間の存在そのものとして、巨大な世界と宇宙に立ち向かうこと。ACIDMANの音楽はそんな途方もない理想に迷いも衒いもなく立ち向かう闘いそのものだった。3ピースというロック・バンドの最小単位でもって壮大な世界観に挑むのも、原子の揺らめきから星空の輝きまでをギター・ロックというフォーマットで描き切ろうとするのも、すべてはその理想に懸ける意志の為せる業だ。そしてACIDMANは、世界という名の風車の前で悪戦苦闘するドン・キホーテとしてではなく、儚く愛しい生命力そのものを、どこまでも強く激しく鳴らす稀代の表現者として、この日の武道館のステージに立っていた。ミラーボールと乱反射し合うような“FREE STAR”の音は至上の多幸感を放っていたし、音源ではストリングスとともに壮麗な音像を構築していた“OVER”は3人のアンサンブルだけでどこまでも豊潤に咲き誇っていた。オオキがチリ&ボリビアで見た「地平線から上の全部が満天の星空」の風景そのもののような煌めきを放つ“ALMA”では、戦慄と躍動に同時に襲われるような感覚に包まれた。ああ、オオキはこの星空を僕らに見せたかったんだなあ、と思った。胸が熱くなった。
スタンディング形式のアリーナのみならず1階席2階席まで終始クラップや大合唱が吹き荒れ拳が突き上がり魂が震えるロック・アクト。アンコールのMCでは、感極まって思わず言葉に詰まっていたオオキ。「まだまだ満足してないし、もっともっと上を目指してるし。1つの音で世界が変わるような音楽を目指してるんで」という彼の言葉に、ひときわ力強い歓声が巻き起こった。音楽の意味が見つめ直されている今この状況下だからこそ、ACIDMANの楽曲の1つ1つはいっそう目映く僕らを照射する……ということを、何よりその音像そのものが証明していた。最高のステージだった。(高橋智樹)