MIKA @ Zepp Tokyo

MIKAの魅力を一言で表すのはとても難しい。むしろ彼は大前提として様々に分裂し、矛盾し、混乱している人であって、そしてそれらの散らばったピースを最終的にエンターテイメントとして無理やり昇華していく壮絶なプロセス自体がMIKAのキャラクターを象っているとすら言っていいだろう。MIKAのライブを観るたびに、その思いは強まっていくばかりだ。特に今回の来日ツアーは、MIKAのそんなエクレクティックな魅力が最大限に引き出された内容であったと思う。局面ごとに歓喜と、涙と、笑いと、恐怖と、哀しみがくるくる入れ替わりながらショウは進んでいく。まるで生きる、ということの意味の本質を射抜くような、鮮やかな原色のカリカチュアの中にモノトーンの心象風景を秘めているような、すさまじいライブだったのだ。

宇多田ヒカルもゲストで登場したサプライズ・ショウだった昨年冬のスタジオコースト公演と比較すると、単純にMIKAの歌唱のクオリティの面ではコーストに軍配が挙がるかもしれない。しかし、ショウ全体の完成度とストーリーテリングの面では圧倒的に今回のZEPP、特に2日目が素晴らしかったんじゃないだろうか(2日目のほうが曲数もアンコールも多かった)。むしろMIKAの七色の歌声が歌声単体としてそのスキルを主張するのではなく、曲の繊細なニュアンスに従ってトーンを変貌させてストーリーを紡いでいく、あくまでもショウの世界観の構築を第一義に置いた内容となっていたのだ。セカンド『ザ・ボーイ・フー・ニュー・トゥー・マッチ』の世界観、もっと言えば『ライフ・イン・カートゥン・モーション』と『ザ・ボーイ~』を繋ぐ異色のEP、『SONGS FOR SORROW』の極端なる哀しみと絶望の視座まで正確に反映させたパフォーマンスだった。

ギター、ベース、キーボード、ドラムス、コーラスを従えた6人編成は前回と同様。ステージの左右には大きな木のモチーフ(根元には数本の十字架がぶっ刺してある)が配置され、巨大なドクロが描かれたバックドロップの前には満月のようなスクリーンが。イメージとしては夜の森、もしくはアリス・イン・ワンダーランド的な異界、もっと言えば黄泉の国の入り口だろう。ホワイトデニムに白×赤のストライプTシャツにタキシード姿で現れたMIKA(その後数回のお色直し有り)は、ステージ上に出現したそんな「この世ならざる世界」へとオーディエンスを誘うコンダクターだった。ポップ・ミュージックという魔法を駆使し、日常では到底味わうことの出来ない喜怒哀楽のギャップを行き来し、悪夢を正夢に変え、絶望の瀬戸際での処世術をコミカルに体現し、開き直りにも似た歓喜の爆発を幾度も幾度も導いていく、つまりは生きる意味の「すべて」を司る人であった。

MIKAのライブは文句なしに楽しいけれど、それが底抜けの楽しさ、闇の存在に眼をつぶった無知の楽しさではないことは言うまでもない。むしろ闇が濃ければ濃いほど歓喜がバックドラフトしていくのがMIKAのパフォーマンスなのだ。掌を拳銃に見立ててバンド・メンバーを次々と撃ち殺していった挙句、「あ、ごめん、忘れてた」と呟き自らの頭に拳銃をぶっ放しMIKA少年を模したぬいぐるみの上で死ぬ……という“Love Today”のあまりにもグロテスクな演出もしかり。死、という最大の闇すら引き受けて輝くMIKAは、あの世に私達を導くハーメルンの笛吹きであると同時に、この世の数少ない希望をも体現している人だと思う。(粉川しの)
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