レディー・ガガ @ 横浜アリーナ

何から書こう。

と途方に暮れつつ思わず改行してしまうくらい、圧倒的な物量と音量とエネルギーに満ち満ちた凄まじいライブだった。レディー・ガガの『Monster Ball Tour』。昨年のサマーソニックでも観たのだけれど、体感ではそのインパクトは2倍3倍という、驚異的なパフォーマンス。まず、先日のエリカ・バドゥ来日公演のライブレポートの中で、僕は「強く、大きく、派手であることと、表現の支配力の大きさは必ずしも比例しない」と書いたのだが、全速力で前言撤回します。いや、その思いのすべてが間違いだったとは思わないが、レディー・ガガはそれが当てはまらない規格外の存在であった。ずるい言い回しかも知れない が、そうとしか思えない。自らが生み出したポップ・ミュージックを届けるために、我々の目の前であらゆる手段を講じて全力でステージを作り上げるレディー・ガガの姿勢は本当に美しく、そして何よりも、彼女は卓越した音楽家であり、表現者なのであった。

色とりどりのライトスティックが揺れる満場の横浜アリーナに、けたたましいエレクトロニック・サウンドが響き渡る。ステージを覆う幕にシルエットを浮かび上がらせるだけで、悲鳴のような歓声を受けるガガ。それにしても、この公演の音響は素晴らしい。音量もバランスも、横浜アリーナで行われるライブとしては夏の祭典・WIREにも引けを取らないレベルだ。演奏が大歓声に呑まれてしまうようなこともない。異常に肩当てがせり出した紫の衣装で踊りながら“ダンス・イン・ザ・ダーク”を歌い出すガガである。スラム風のステージ・セットにはエンストした車が置かれていて、そこからダンサーたちが飛び出してきた。煙を吹き出す車のボンネットを開くとシンセサイザーが入っていて、今度はそれを弾きながら歌ったりするのである。「ガガ、教えてくれ。モンスター・ボールって何なんだい?」「モンスター・ボールは、私を解き放ってくれるものよ。今夜、ここにはシンプルな解放があるのよ」。

真紅のカーテンを被ったような格好になったかと思えば、今度はプラスティックな尼さん(シースルーのワンピースに黒のアンダーウェアはTバック)のような姿になったりと、ガガは目紛しく変貌を遂げる。持ち出す小道具もベースとサンプラーとキーボードが一体化したオブジェや、電飾化された巨大なスティックを振り回すなど楽しい。ステージ・セットも次々に切り変わり、今度は地下鉄のセットだ。「車が壊れちゃったから地下鉄でここまで来たんだけど、何か奇妙なところに辿り着いちゃったわね」と、歌やダンスをきっちりこなした上で、こういうコンセプチュアルなステージを進めてゆくのである。「ボーイフレンドたちを紹介するわ。ゲイ・ボーイズよ!」というガガの掛け声と共にダンサーたちが飛び出し、“ボーイズ・ボーイズ・ボーイズ”が披露される。ゲイ・カルチャーにおけるダンス・ミュージックやエロティックB級ホラーといったサブカルの記号を巨大なスケールで描き直すことで、ガガはアメリカのポップ・ミュージックを彼女らしく刷新してゆく。

黒いマスクと黒ラメのマントを脱ぎ捨てたガガは「モシモシー。ビヨンセから電話よ」と大歓声の中で“テレフォン”へと傾れ込んでゆく。ビジュアル面での派手さもさることながら、激しいダンスを続けつつ一曲一曲を全力で歌いこなしてゆくガガの姿には胸を打たれる思いがした。時折、わずかな間の静寂が訪れるたびに、彼女のヘッドセット・マイクが拾う荒い息づかいがリアルだ。ステージ中央に置かれたピアノで“ブラウン・アイズ”を弾き語りした後、彼女が語り始める。「ニューヨークのダウンタウンで育って、18歳のときに父親に、スターになりたい、って言ったの。父は、夜空に輝くお星さま(スター)になりたいのかい? なんて言っていたけれど、それからピアノを学んで、ダンス・ミュージックを学んだわ。そして、こうしてトーキョーやオオサカにも来ることができた。みんな、私のアルバムを聴いてくれて本当にありがとう。来年には、新しいアルバムを届けるわよ」。続けてピアノの弾き語りでエモーショナルなバラード“スピーチレス”を披露し、オーディエンスにシンガロングを求めるのであった。

降りしきる雪が映し出された大きな筒状のLEDスクリーンが天井近くから降下し、花道の上のガガたちを覆い隠す。そして姿を現した彼女は、全身に雪の結晶を纏った、キラキラと輝く雪の妖精になっていた。そのまま今度はステージがリフト・アップされ、5メートル以上は上昇しただろうか、かなりの高度で一人歌い続けていた。ようやく花道に降りた彼女はステージに戻りながら言う。「ここはどこ? とても深くて、とても暗くて、邪悪な気配がする森。私を……ガガと呼ばないで」。瞬時に、まるで全身が彼女自身の頭部と化したようなブロンド姿に変わって“モンスター”が始まる。マイケル・ジャクソンの“スリラー”を彷彿とさせるダンスを見せるダンサーたち。ガガは血ノリがべったりと着いた顔で「ねえ、わたしって奇麗?」とオーディエンスに問いかけていた。「わたしは、クソみたいな〈真実〉なんて大嫌いだわ」。

“アレハンドロ”ではステージに設置された天使像までが赤い血を流し、その象の台の上に横たわって血を浴びながら恍惚とした表情を浮かべる、スパンコールのスキニー・タイツ姿のガガ。そしていよいよのクライマックスでは、エメラルドグリーンのドレスを纏ったガガに背後から忍び寄る巨大な影が。何本もの触手を生やしたチョウチンアンコウのような怪物が彼女に襲いかかる。その“パパラッチ”のラストで、ガガは左右の乳房と股間から火柱を吹き出し、怪物を撃退してしまうのであった。なんというスペクタクル。なんという絶頂感。

アンコールの“バッド・ロマンス”まで、チケット料金以上の満足感を得るまでは誰一人として帰さないとでもいうような、とんでもない2時間であった。強い意志が宿ったガガの眼差しが終盤に近づくにつれ段々と疲労を滲ませてゆくのも、そりゃあそうだろうという気がした。これ、ひとつの興行としてちゃんと黒字になっているんだろうか。何よりも印象に残ったことは、こうして目に映った光景のひとつひとつを思い返しながらも、頭の中では常にガガ作品のメロディが繰り返し鳴り響き続けているということなのだ。ソングライターとしてのガガは、現象としてのガガとまったく均等なバランスを保ちながら、そこに存在している。ガガの音楽表現はそれほど巨大なものだという事実に、改めて、喜びとともにショックを受けた。(小池宏和)
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