『ロッキング・オン』2月号では、毎年恒例となる新春しみじみ企画「今から30年前、あの頃ロックは……」を掲載。
今から30年前の1991年、ロックに何が起こっていたのか? 粉川しの(音楽ライター/当時16歳・高校1年生)と、増田勇一(音楽ライター/当時30歳・BURRN!副編集長)が語り合った対談の模様を一部抜粋し、紹介する。
粉川(以下、粉)「91年だと、増田さんは、BURRN!の編集部で何年目ぐらいだったんですか?」
増田(以下、増)「創刊が84年ですので、8年目ですか」
粉「創刊の時からいらっしゃった」
増「そうです。この時は副編集長でした。ちょうどビルボードが、サウンドスキャンですぐに実数が反映されるようになって、集計システムが変わったことで、初登場1位が増えて。その第1号が、たしかスキッド・ロウの2枚目『スレイヴ・トゥ・ザ・グラインド』だったんです。たまたまリリースがガンズ・アンド・ローゼズやメタリカより早かっただけですけど、これはすごい時代になったな、って思いましたね」
粉「私は当時高校1年、ロッキング・オン読者で、UKやUSのインディ・ロック系が好きだったんです。でも、クラスでは圧倒的にスキッド・ロウやニュー・キッズ(・オン・ザ・ブロック)が人気でしたね。仲良かった友達も、スキッド・ロウの追っかけで。この年に来日しましたよね」
増「はい。9月から10月にかけて」
粉「その時に、セバスチャン・バックが六本木のハードロックカフェに来るって聞いて。学校帰りにふたりで行って、制服のまま待っていて。先生に見つかって怒られました」
増「はははは」
粉「でも、本当にセバスチャンが来て。とんでもないアイドル的な人気だったので、大騒ぎでしたね。スキッド・ロウやミスター・ビッグが、メジャーなものとしてあった時代でした」
増「当時のBURRN!とロッキング・オンの表紙を見ると、ガンズが境界線であり、橋渡しだったと思います」(以下、本誌記事へ続く)
1991年を振り返った特集記事は、現在発売中の『ロッキング・オン』2月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。