2020年を迎えて早くも初夏に。パンデミックの影響で巣ごもりの時間が長引くなか、音楽を心の拠りどころにする人も多いことでしょう。そこで、ロッキング・オンが選んだ「2010年代のベスト・アルバム 究極の100枚(rockin’on 2020年3月号掲載)」の中から、さらに厳選した20枚を毎日1作品ずつ紹介していきます。
10年間の「究極の100枚」に選ばれた作品はこちら!
2011年
『ジェイムス・ブレイク』
ジェイムス・ブレイク
青い遠雷は遂に落ちた
本作発表時のお披露目公演のひとつをロンドンで観た。
会場の教会は古く簡素で、腰を屈めないと入れないグロットのよう。主役は長い前髪に隠れたシャイそうなパフォーマーで、ライブ慣れしていないのは一目瞭然。だが、歴史的建築である会場の脆そうな土台を容赦なくビリビリ揺らす過剰なベース音と、ピアノがせせらぐジョニ・ミッチェルのカバーというギャップは強く心に残った。
クラブ音楽とSSWの融合はフォークトロニカとも呼ばれるジャンルでギター奏者がエレクトロを用いるケースが多いが、ジェイムス・ブレイクはまずピアニストでありプロデューサーだった。即興ジャズ・ピアノの「間」と優雅な揺らぎを好む彼は、ダブステップのバックビートと、ばらける/つまずきそうになる緻密なグルーヴに興味を惹かれ、その解体・再構築に向かった。
実験的なEP群を経て登場した本作は、その最初の成果と言える。“ザ・ウィルヘルム・スクリーム”やカバー“リミット・トゥ・ユア・ラヴ”を始めとする歌ものの代表曲も含まれるが、この段階での彼のシンガーとしての自己評価は低かったのだろう。
素材として加工され、重ねられ、音量を変移させながら声が切り貼りされる様は判別できそうでできない画素の粗い画像を眺めるようだし、スローモーションとタイムラプス撮影がせめぎあうビート・メイクは感覚を混乱させる。ピントが合ったかと思えばぼやけ、いつの間にか変化しているサウンドスケープ―音楽で疑似空間を生み出す古典的な手法であるダブの深みとアンビエント〜ポスト・ロックの広がりに、デジタル時代が意識させる絶え間ない時の刻みから生じる識閾の危うさ・酩酊感を加えることで、本作はモダンかつ斬新な音像を提示してみせた。
落下感覚や悠々と飛ぶ鳥、誰かを待つ/誰かが去って行く後ろ姿といった静的な動きの心理イメージが多い歌詞も、細切れにうつろう現実をジャストに反映していた。
本作の後に彼はゴスペルや合唱への興味を探ったEPを発表し、ブレたポートレートから全身を収めた中景、風景画の一部になったサードという具合に退いていったジャケット写真も、もっともポップで多彩かつヒューマンな体温の伝わる最新作では前髪を上げこちらを正面から見据える。「ぼっち」から、ゲストも迎える集合的な交感の場としての音楽に歩を進めていて嬉しいが、この1枚目の敷いた青写真の大胆なビジョンは今後も残響するだろう。(坂本麻里子)