来たる3月11日(水)には自身5枚目となるフルアルバム『ボイコット』のリリースを控え、更なる飛躍が確実視されるamazarashi。そんな今だからこそ、ここでは彼の半生を紐解く上で欠かすことの出来ない5曲を取り上げ、秋田ひろむというひとりの人間の半生に迫っていきたい。以下の5曲を聴けば、何故amazarashiの楽曲が我々の心を掴んで離さないのか、その所以の一端が垣間見えるはずだ。(キタガワ)
①光、再考
秋田は高校卒業後に上京し、とあるロックバンドの作詞作曲兼ギタリストとして活動していた経験を持つ。『ROCKIN'ON JAPAN』2017年5月号で実施された「2万字インタビュー」にて、秋田は「結局6年、7年ぐらいそのバンドはやって、わりと20代はそれに捧げたみたいな感じがあって」と語っていたが、そんな長い下積み生活の弊害として彼が抱えてしまったものこそ、痛々しいほどの希死念慮と絶望であった。ピアノの柔らかな旋律が印象的な“光、再考”はそのタイトルの通り、秋田が先の見えない暗闇の中において何かしらの光となり得る事象を、必死に暗中模索する様が描かれている。
そうして秋田が日々襲い来る希死念慮に対抗し得る光として見出したものは、アイデンティティと彼女の存在、そして「おそらくは大丈夫だろう」という根拠のない思考だった。彼はそんな吹けば飛ぶような極小の輝きをいくつもかき集め、「最悪の行為に及ばないための理由」として頭の片隅に置きながら、1日1日を刻んできたのだ。
中でも正体不明の憂鬱を《どこへ行けばいいんですか 行きたいとこへ勝手に行けよ/何をすればいいんですか 僕は誰に尋ねてるんだろう》と禅問答とも言うべき不明瞭さで解き明かそうともがきつつ、最終的に《未来は明るいよ 明るいよ》、《上手くいかない時は誰にでもあるよ》と半ば無理矢理自身を鼓舞する一幕はあまりに憐憫だ。暗闇の中で手を伸ばすことすら叶わない境遇を事細かに綴った“光、再考”は、当時の秋田がいかに日常的な憂鬱に呑み込まれ、同時に明確な光を渇望していたのかを痛烈に感じる、悲劇的な1曲と言えよう。
②ひろ
《ひろ お前に話したい事が 山ほどあるんだ聞いてくれるか?》……まるで誰かに語りかけるかの如く、緩やかに幕を開ける“ひろ”。しかしながら穏やかに心情を吐露する秋田とは対照的に、楽曲の中心人物であるはずの「ひろ」は言動はおろか、風貌や人物像に至るまでその一切が描かれていない。何故なら秋田と共に上京しバンドメンバーとして苦楽を共にするはずだった、当時19歳の「ひろ」という人間は、もうこの世にはいないのだから。とどのつまり、秋田の記憶の中に存在する「ひろ」の姿は、19歳で止まっているのだ。人間の記憶はさもはっきりとしたものであっても、時が経つにつれて薄れて行くものだ。もしかすると今現在の秋田の中で「ひろ」の風貌や表情は、おぼろげな記憶としてしか残っていないのかもしれない。
けれども「ひろ」はその姿こそ見えずとも、秋田の人生を語る上で避けては通れない重要人物であることに変わりはない。かつて秋田がライブのMCにて「あの夜からずっと、背後霊が僕を見張っています」と語っていた通り、「ひろ」は今でも秋田を間接的に支え続ける、唯一無二の存在なのだ。
ラストのサビに至る前、天国の「ひろ」に届けるかのように一際熱を帯びる《なぁこんな風に/かっこ悪い大人になってしまったよ/だらしのない人間になってしまったよ/お前が見たら絶対 絶対 許さないだろう?》の絶唱は、天国で見守る「ひろ」に対しての遺憾の意であり、同時に「どうか見ていてくれ」という宣言にも感じられ、胸が締め付けられる。
19歳で上京した秋田と、同じく19歳で時が止まってしまった「ひろ」。《僕は歌うよ 変わらずに19歳のまま》との一文で締め括られる“ひろ”は、あれから長き時を経てミュージシャンの夢を実現させた秋田が、今後も歌い続ける……いや、歌い続けなければならない重要なアンセムとして位置している。
③しらふ
《「自分以外皆死ね」ってのは「もう死にてえ」ってのと同義だ》との自虐的な呟きで口火を切る“しらふ”はamazarashiの楽曲において、最も秋田の人生を振り返る楽曲であると共に、内なる憂鬱を詳細に具現化している楽曲でもある。“しらふ”は終始、不穏なサウンドに乗せて言葉を羅列するポエトリーリーディングで進行していく。そこには耳馴染みの良いメロディも、朗々と響く歌声も存在しない。あるのは確かな臨場感を伴って放たれる、過酷な下積み時代のリアルだ。
東京にてバンド活動の傍ら、肉体労働の日雇いで日銭を稼いでいた秋田。芽が出ないバンド活動、3Kのアルバイト(キツイ、汚い、危険の3K)、無情にも過ぎ行く月日……。そうした生活の果てに、次第に怒りの矛先は自身から他者へ、他者から世界へと向けられ、最終的には「全て自分が悪いのだ」という自己否定に帰結してしまう。楽曲の中盤では東京で夢破れた果てに青森に舞い戻ったその後の生活が描かれているが、とりわけ詳細に東京の情景や仕事内容を記述していることからも、彼にとって都会での生活は青森の生活と比較しても、相当に精神的負担が大きかったのだろうと推察する。
そうした辛い現実を逃避する手段として秋田がすがったものこそが、アルコールの摂取だった。だがその高揚感も徐々に消え、翌日には再度素面で現実を直視せねばならない悪循環。《泥酔にまかせて現実をずらかった 夢も消えちゃった/「今日の仕事も辛かった」》と自暴自棄に韻を踏む一幕は、当時の彼の絶望を何よりも物語っている。
繰り返すが“しらふ”は、秋田の過酷な下積み時代の記録である。そう。どれだけ酩酊したとて、楽曲内で《いや待て、これはもしかしたら幻聴》とされる独り言も怒号も、反射するエコーも、全ては現実だった。……数年後の未来で、かつて日雇いのアルバイトで日本武道館の横にある建物の工事を手伝っていた秋田が、日本武道館でのライブを大成功に収めたことも含めて、その全てが。
④僕が死のうと思ったのは
“僕が死のうと思ったのは”はその題の通り、自身が希死念慮を抱く理由についてひたすら自問自答を繰り返す、極めて自傷的な楽曲だ。楽曲序盤にて希死念慮を抱く理由として挙げられているのは《ウミネコが桟橋で鳴いたから》、《誕生日に杏の花が咲いたから》など極めて抽象的かつ広範囲の事象であるのに対し、楽曲中盤では一転、日常の半径3メートル以内に焦点を当て《心が空っぽになったから》、《冷たい人と言われたから》と直接的な表現に変化。加えてクライマックスへ至る直前には《死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目すぎるから》との真理でもって、様々な事柄に起因する無形の憂鬱を白日の元に晒していく。
突如襲い来る「死にたい」というメランコリックな感情だが、そこには明確な理由や動機は存在しないことも多い。とりわけ楽曲の前半部分における《ウミネコが桟橋で鳴いたから》や《誕生日に杏の花が咲いたから》に顕著だが、それがどれほど他者から見れば一笑に付されるような些細な事柄であっても、当人にとっては何よりも強大な「今死にたい理由」になり得るのだ。
確かに死を選択すれば憂鬱からは絶対的に解放されるが、その選択は考え得る限り最悪のバッドエンドであることもまた紛れもない事実であり、そのことは秋田自身も理解しているはずである。しかしながら「このまま生き長らえること」と「死んで楽になること」を天秤に掛けた結果、ふとした拍子に後者を選択してしまいかねないようなどん底の生活を、彼は長きに渡って経験してきた。
総じて《あなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ》と一筋の希望でもって締め括られる“僕が死のうと思ったのは”は、幾度も死線を越えてきた秋田にしか描けない、俯瞰的かつ運命的な楽曲と言える。
⑤未来になれなかったあの夜に
ここまで記してきた通り、秋田は活動当初より自身の心に巣食う憂鬱や希死念慮、怒りを主なテーマとして歌詞に落とし込んできた。そんな彼が次なるモードへ突入したことを明確に示す楽曲が、最新曲“未来になれなかったあの夜に”である。この楽曲で歌われているのは上記の楽曲群同様、秋田の過去の歩みだ。しかしながらそれらと大きく異なる点として挙げられるのは、メランコリックな経験を前向きに捉えていること。おそらく大規模な公演を成功させ、amazarashiの楽曲が大衆に広く受け入れられるようになった今の彼は少なくとも、“光、再考”や“しらふ”で記していたほどの極度の憂鬱からは、幾分か解放されているのだろう。
思えば秋田は《夢も理想も愛する人も 信じることも諦めたけど/ただ一つだけ言えること僕は 僕に問うこと諦めなかった》とあるように、絶望の底においても自死と音楽を辞める選択肢だけは、徹底して回避してきた。そしてその回避行動の果てこそが現在の秋田、ひいてはamazarashiへの追い風であり、彼の今の立ち位置は「光を探す側」ではなく、現在進行形で希死念慮を抱く弱者への「光を与える側」に変化しているとも取れる。
かつての東京でのバンド生活やアルバイト、自死の想像といった良くも悪くも「未来」になれなかった日々の積み重ねは、秋田の心をゆっくりと侵していった。……そんな過去に対して今でこそ放たれる《そんな夜達に「ざまあみろ」って 今こそ僕が歌ってやるんだ》との熱唱は、彼の人生で巻き起こった悲喜こもごもを全肯定する清々しさに溢れている。最後に一言《ざまあみろ》と秋田が吐き捨てる瞬間にはきっと、過去様々な楽曲で語られてきた彼の人生が走馬灯のように脳裏を過り、名状し難い感動を覚えるはずだ。