①閏年に突然の解散発表、残された言葉は「Bon Voyage」
東京事変の解散が発表されたのは、2012年1月11日のことだった。来るその年の閏日にバンド活動に終止符を打つという報せは、たしかに突然のことではあった。しかし、それまでに解散の予兆が全く無かったかと言うと嘘になる。事実、解散発表前にリリースが決定していた作品のタイトルは『color bars』。1日のテレビ番組放送終了後、放送休止時に出るあのカラーバーだ。しかも、メンバー5人がそれぞれ新曲を持ち寄せ、制作するという、ある種意味深な予告がされていた。きっと、この作品のリリースを発表した時点で、解散の決意は固まっていたのだろう。そして訪れた2012年2月29日閏日――ラストツアーに冠された言葉は「Bon Voyage」。フランス語で「良い旅を」という意味で、旅人に向けてかけられる言葉だ。そのステージの最後には、5人それぞれが船乗りを模したマリンルックで登場。椎名林檎(Vo)が「感無量で何も言葉が無い」と言ってラストナンバー“透明人間"へと流れ込んだ瞬間に、あの場にいた全員が「これが東京事変が最後に演奏する曲なのか」と覚悟を決めたような空気が流れたのは、当時も今映像で観ても明らかだ。それに相反するようにして旗を振って微笑みながら歌う椎名と、楽しそうに演奏する亀田誠治(B)、刄田綴色(Dr)、浮雲(G)、伊澤一葉(Key)の4人。解散ライブよりも「新たな旅に出るためのライブ」と言う方が似合う、そんな解散ライブだったのだ。
②解散後に新曲“ただならぬ関係”をリリース、2020年「再生」への伏線
解散後、最初の動きがあったのは解散年である2012年。同年8月にリリースされたカップリング曲集『深夜枠』に未発表の新曲が収録されたのだ。“ただならぬ関係”という名を付けられたこの曲、MVも制作されているが、観る前に「事変のメンバーは映っているのだろうか……」と心配をした人も多かったことだろう。しかし、蓋を開けてみればメンバー総出演!というか総出演どころか超超超超超出演だ。映し出されるのは、ラフな格好で“ドーパミント!”の歌詞に出てくる一節でもある「AND THE BEAT GOES ON」という電飾文字の傍らで演奏する5人。やがて紅白のスーツ姿に身を包み、東京丸の内やスカイツリーを見上げるメンバーの姿が映し出されたかと思えば、さらに場所は陸上トラックへと移り、行進する姿まで盛り込まれている。それはまるで、1964年に開催された東京オリンピックの開会式のようでもあり、当時はまだ開催が決定していないはずの未来の2020年東京オリンピックの開会式での一幕のようでもあった(それと、所々に映る男性陣がティッシュを抜き取っていく描写から最後のオチへの走り方もお見事)。そして、この曲の最後には《だ き し め て て ずっと/ど こ か で ま じ わって/遇えるかもね》という言葉がある。…… 8年後、ほんとうに遇える日が来るとは。③コンプリートBOX『Hard Disk』発売、「再生装置」で蘇る東京事変
解散時のコメントとして、椎名は「我々が死んだら電源を入れて 君の再生装置で蘇らせてくれ さらばだ!」という言葉を残していた。これは“能動的三分間”の歌詞の和訳。その言葉から1年の月日を経て発売された東京事変の全楽曲収録のコンプリートBOX『Hard Disk』のジャケットに施されたのは、まさに「再生装置」そのものであった。皆の「記憶」にしか存在しなかった東京事変を、5人は自ら形ある「モノ」として、証拠を残した。それがこの「再生装置」だったわけだ。この「再生装置」が動き出すのはまさに今、2020年になるわけだが、それはまた後述にて。
④解散から4年後の閏年――椎名林檎ソロ曲“ジユーダム”、“マ・シェリ”に隠された東京事変の痕跡とは?
解散してから4年後の2016年——解散後に初めて迎えた閏年。この年にオンエア&配信リリースされた椎名のソロ曲“ジユーダム”は、NHK総合テレビ『ガッテン!』の番組テーマ曲として書き下ろされた楽曲だ。この楽曲のレコーディングメンバーに名を連ねたのが、なんと東京事変だったのだ。この2016年は閏年だったから「何かが起きるかもしれない」という勘が働いた人も多かったと思うが、こうやって「何か」が確かに起きたのだ。その印に、この作品のジャケット写真の右下には、東京事変のバンドのマークでもある孔雀が刻印されている。また、同じく2016年にオンエア開始となった“マ・シェリ”もバンドメンバーは東京事変だった。目には見えないけれど、音として東京事変は確かにそこに存在していたのだ。
⑤「閏年には何かが起きる」という予感が確信に変わった『紅白歌合戦』への出演
「閏年には何かが起きるかもしれない」という予感が確信に変わったのは、やはり『第67回NHK紅白歌合戦』なのではないだろうか。歌唱楽曲は、2011年に椎名が栗山千明に提供し、ラストツアーのアンコールというクライマックスの場面でも演奏された“青春の瞬き”であった。驚くべきは、そのバックバンドのメンツである。真っ黒な衣装をまとった亀田、刄田、浮雲、伊澤が椎名の後ろに立っている――テレビのなかに東京事変が映っているという、普通ではありえないような状況が実現していたのだ。解散した東京事変がこうして閏年に再集結したことは、「こうやって5人は集まることができる」という安心と未来への暗示のようにも感じた。それと同時に、「閏年には何かが起こる」という予感が確信へと変わった瞬間でもあった。前項にも挙げた“ジユーダム"、“マ・シェリ"、そして『紅白』出演について、椎名は「オリパライヤーであり、事変イヤーだったから」と発言していた。2012年の解散、2016年の3度の再集結、その次は2020年。次の閏年には一体何が起こるのだろうかという期待と閏年が終わってしまうという少しの寂しさを持って、東京事変のいない4年間が終わったのだった。⑥リリースから12年の月日を経て“透明人間"がテレビCM曲に起用
“透明人間"は、2006年にリリースされた東京事変のアルバム『大人』に収録されており、彼らの解散前ラストライブで一番最後に演奏された曲でもある。だから、どうしたって特別な曲だ。この曲が日の目を浴びてから12年の月日が流れた2018年、CM楽曲に起用されたのだった。ごく僅かな時間に流れたのは《あなたが怒ったり泣いたり声すら失ったとき/透き通る気持ちを分けてあげたいのさ》というフレーズ。音楽とは不思議なもので、その瞬間には存在していないバンドの曲でも、ひとたび音が流れれば、そのバンドと会えた気になれるものである。解散時に椎名が言っていたあの「再生装置」のひとつがテレビだったわけで、日常のふとした瞬間にテレビから流れる東京事変の音楽は、どんな気持ちのときでも傍にいてくれる力強い味方にさえなり得たのだった。この曲は《またあなたに逢えるのを楽しみに待って/さようなら》という歌詞で締め括られる。東京事変の5人は自分たちとリスナーである我々に等しく与えられた解散以降の時間をちゃんと歩けるように、それを「旅」と例えた気がしてならない。だからあの最後のツアーは「Bon Voyage」と名付けられるべきであったし、最後に演奏されるべき曲は“透明人間"でしかなかった――東京事変と私たちリスナーが再び交わるに一番相応しい点は、“透明人間”だったと思うのだ。⑦8年間の伏線を回収――2020年「再生」宣言
解散から2度目の閏年、かつ東京オリンピック開催年である2020年に突入した瞬間に、ひとつの映像と共にそれは告げられた。映像に映し出されるのは、あの銀色の「再生装置」、“ただならぬ関係”MVの陸上トラックでの行進、「PREASE STAND BY」の文字、“ハンサム過ぎて”と“今夜はから騒ぎ”のMVでのワンシーン……全てに見覚えがあって、全てに懐かしさを感じる。そして“能動的三分間”に登場した時計が0:00を指し、2012、2013、2014、2015、2016……2020と時間軸が「今」になった瞬間に、カラーバーが現れるのだ。あのとき放送終了=「東京事変 解散」を表していた8つの色は、東京事変のシンボルである孔雀の形に落とされていく。これらが「東京事変 再生」を意味させるほかに何があろうか。しかも、映像のバックで流れるのは聴いたことのない曲。「東京事変 再生」と新曲“選ばれざる国民”の2つのプレゼント付きで、我々は2020年を迎えたのだ。映像のなかでも見て一番に驚いたのは、やはり最後の新曲“ただならぬ関係”でも映された陸上トラックでの行進姿ではないだろうか。リリース当時、まだ2020年東京オリンピックの開催は決定していなかった。のにも関わらず、あの演出が施されたのだ。あれが1964年東京オリンピックを意味してたのか、それともいつの日か行われることを祈った未来の東京オリンピックを意味していたのかは分からない。未来は東京事変の手の中にあったと言うと大袈裟だが、この曲の《涙なんて流さないで/「幸運を祈るわ」》という言葉と一緒に、8年という時間の中に張り巡らされた「再生」への伏線の回収がやっと成された気がするのだ。
新調されたアーティスト写真には、4年前の『紅白』出演時の衣装とは真逆の、真っ白で華々しい姿の5人が映っている。「再生」宣言、新曲“選ばれざれる国民”のリリース、全国ツアー「東京事変 Live Tour 2O2O ニュースフラッシュ」の開催。嬉しいニュースが盛り沢山であるが、まだ今はきっと「準備中」。その証拠に、“選ばれざる国民”のジャケット写真には、孔雀のマークの前に「loading…」の文字があるわけだ。我々としても、ツアーが始まる閏日2月29日(土)に実体として東京事変が現れないと、なんだか夢のような気がしてならないのも、また本音である。でも、こうして東京事変のいる2020年を迎えられたこと、なにより東京事変の新しい音が鳴る瞬間に立ち会えた我々は、きっと一番幸せだという自信があるのだ。まずは、閏日を心待ちにしていようと思う。(林なな)