マーク・ロンソン、サラーム・レミらがエイミー・ワインハウスを振り返る

マーク・ロンソン、サラーム・レミらがエイミー・ワインハウスを振り返る - 2011年作『ライオネス:ヒドゥン・トレジャーズ』2011年作『ライオネス:ヒドゥン・トレジャーズ』

7月3日にイギリスでエイミー・ワインハウスのドキュメンタリー『Amy』が公開されるが、エイミーの傑出した才能と、そのあまりにも悲劇的なキャリアを描いたものとして早くも絶賛を呼んでいる。

作品はエイミーの類稀な才能を浮き彫りにしながらも、極度のあがり症や薬物やアルコールへの依存症、そして摂食障害などがもとで転落していき、ついには自宅でアルコール中毒症により死亡するという、あまりにもはかなかったその生き様が痛々しく描かれているというが、ビルボード誌はさまざまな関係者の発言を構成して、この作品とエイミーのキャリアをあらためて紹介している。

たとえば、エイミーの代表作といってもいい"リハブ"のメイキングのエピソードがドキュメンタリーで紹介されているが、当時エイミーのマネージャーだったニック・シャイマンスキーがエイミーに薬物依存症のリハビリ・センターに入所するように勧めていたところ、エイミーは自分の父親のミッチが入所が必要だと言えば入所すると確約したことがこの曲の発端になっていたという。しかし、実際に父ミッチのところへ行ってみるとエイミーはミッチの膝の上に座ってわたしにリハビリなんて必要かしらと訊き、ミッチはまったく必要ないとニックの計らいを一蹴してしまったとか。

その後、この時のやりとりを聞いたマーク・ロンソンはおもしろいから曲にすることを勧め、その3時間後にエイミーは"リハブ"を書き上げたという。今振り返ってみれば、エイミーが当時リハビリ入所を必要としていたことは明らかだが、当時はことがそこまで深刻だったとは思いもよらなかったと次のように振り返っている。

「当時、どういうことが起きていたのかわかっていたなら、たぶんそんなにおもしろがったりもしなかったんだろうけどね。でも、本当にどうってことのないような調子で話してくれたんだよ」

その一方でニックは次のように振り返っている。

「ぼくのエイミーについての夢は、エイミーを世界で最高の、一番有名なアーティストにすることだったんだ。皮肉なのは、そんな立場へエイミーを導いた曲が、実は助けを呼ぶ叫びになっていたということなんだよ」

映画は『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』を手がけたアシフ・カパディアが監督を務め、大半がこれまで未発表となってきた映像とインタヴュー音源とのコラージュとなっているが、プロデューサーのジェイムス・ゲイ=リースは最初にまとめた3時間ヴァージョンは「観るにもあまりに痛々しすぎる」ものになっていたと述べている。2時間強ある完成ヴァージョンでも充分悲しい出来になっているというが、ニックは「あるアーティストの快活で、機転の利いた閃きを目撃できると同時に、絶望的なまでにハイになり、自分を見失い、自身のすべてがあけすけに露見され、過剰な嫌がらせを受けた、とある人物が壊れていく様を目にしていくことになるんだよ」とその内容について語っている。

また、エイミーはザ・ルーツのクエストラヴ、プロデューサーのラファエル・サディーク、モス・デフらとジャズとヒップホップのユニットを試みる計画を明らかにしていたというが、その前にはマーク・ロンソンとサラーム・レミをプロデューサーに迎えたサード・アルバムの制作をエイミーは実際に準備していたことも明らかになっていて、実際にスタジオのブッキングもエイミーが亡くなった2011年にされていたという。サラームは今回のドキュメンタリー用にこの時のレコーディングだという"You Always Hurt the Ones You Love"を提供しているというが、心身ともに死に追い込まれるほど憔悴していたエイミーの創作そのものは健在であったことが伝わる内容になっているそうだ。実際、サラームがエイミーの訃報を受けたのは、この新作用にエイミーと打ち合わせるためにエイミーの自宅に向かっていた途中だったという。サラームは次のように語っている。

「エイミーはその数週間くらいまでに作曲をもう終えていたんだと思うよ。その時点でぼくが知っていた限りでは14曲くらい揃ってたんだ。だから、なにをするにも、材料はすべて揃ってたんだよ」

しかし、この時エイミーが制作していたデモ音源はすべて廃棄されたとユニバーサル・ミュージックUK代表のデイヴィッド・ジョゼフは明らかにしていて、それはモラルの問題として行ったことだと説明している。ジョゼフはその処分を「ぼくの目が黒いうちには、こうした音源の部分部分をつまんだり、ヴォーカルを流用することは絶対にさせない。そして、今や誰が後任になっても、もうできなくなっているんだ」と説明している。したがって、エイミーの急死の後2011年にリリースされた『ライオネス:ヒドゥン・トレジャーズ』が永遠にエイミーの最後のリリースになるという。

マーク・ロンソンはエイミーの天才的な資質を次のように振り返っている。

「若き日のモーツァルトについてはなんかもう決まりきったイメージがあるよね。突然、雷に打たれたようになると、2時間くらいわけもわからずぐちゃぐちゃに楽譜を書き始めると、その後、協奏曲が出来上がってるっていう。ぼくがこれまで会ってきた中で、本当にそんなことをやった人ってエイミーが最初で最後だから」
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