今回で3年目の開催、9月の大規模EDMパーティとしてすっかり定着したULTRA JAPANは、UMF(ULTRA MUSIC FESTIVAL)の日本版として、単なる輸入ダンス文化としての意味を越えた独自のムードを育み始めている。ULTRA MAIN STAGEのヘッドライナーには、初日にカイゴ→DJスネイク→デッドマウス、2日目にギャランティス→ナイフ・パーティ→ハードウェル、3日目にネロ(ライブ)→マーティン・ギャリックス→ティエストという、申し分ないラインナップで繰り広げられた3日間だ。本稿では、その初日の模様をレポートしたい。
会場エントランスをくぐると、まず目の前に広がるのは芝生エリアのULTRA PARK STAGEだ。オープンエア型のステージで、熱心に踊り騒ぐというよりもゆったりとレイドバックしチルする来場者の姿が多く目につく。この日は8組のDJが出演し、瑞々しい生音をふんだんに配したエレクトロニカのCALMらが、ロケーションにぴったりなムードを作り上げていた。
巨大テント型のステージであるRESISTANCEは、流行最先端のEDMと趣きは違えど、ダンス・カルチャー史を担ってきた多様なスタイルの第一線アクトが名を連ねるステージであり、ピュア・ダンサーからの人気が高い。今年は比較的、世界のミニマル・テクノDJが多くブッキングされ、兵庫県出身の女流DJ、ALYNがソリッドなビートを投げかけたり、ニューウェーヴやアシッド・ハウスに精通したベテランのDJ OGAWAも巧みなミックスを繰り広げる。華々しいジャーマン・テクノの息遣いを伝えるリブートことフランク・ハインリヒ、そしてナイジェリア生まれの実力派ニコール・マウデイバーによる、低音ブンブンなハードミニマルやファンキーなテックハウスを織り交ぜたクライマックスで盛り上がった。
さて、大量のLEDパネルに花火、火柱、紙吹雪と演出もゴージャスなこの日のULTRA MAIN STAGEは、トップバッターのYAMATOに続いてUMFレジデントのハウスDJであるミクリス(MYKRIS)がバトンを繋ぐ。ポーランド出身のトム・スウーンや、NYのグリフィン(GRYFFIN)らは、情緒的なプログレッシヴ・ハウスで昨今のパーティの主流となるムードを印象付けていた。
14時半を過ぎたところで、空気を一変させたのが剛腕ダッチ・ハウス・デュオのW&Wだ。マイクを握って野郎感たっぷりに煽り立て、カルヴィン・ハリスやアクスウェル^イングロッソ、今年リリースしたオリジナルの“How Many”など強烈にアップリフティングなナンバーを畳み掛ける。この日最初のピークタイムだったのは間違いないのだが、実は一日のタイムテーブル上の物語においても重要なブッキングであった。続く中華系アメリカ人のDJ/プロデューサーであるズー(ZHU)は、彼自身が鍵盤を奏でて歌い、ギタリストやサックス奏者も招き入れたライブ・セットだ。技ありのソングライティングが光るトラップ・プロデューサーであり、注目度が高まる中での抜擢といった印象。
そして、今年アルバム・デビューも果たしたトロピカル・ハウスの寵児=カイゴである。火照った体を優しく冷ますサウンドと美麗なメロディが際立つプレイで、例えばW&Wのような激しいアクトの後のチルアウトには打ってつけだ。ただし決して地味だったわけではなく、フィールドに篭った情熱を掬い上げるように“Stole The Show”でシンガロングを誘い、トム・オデールの狂おしい美声が夕暮れに映える“Fiction”のエモーショナルな手応えも素晴らしかった。ライブ引退を宣言したアヴィーチーの後釜を狙うような、トータルな抑揚を生み出すパフォーマンスだ。
アルバム『アンコール』では時流に乗ってかウェットな情緒を描き出していたDJスネイクだが、この日のULTRA JAPANらしい華の部分を担っていたのは間違いなくこの人だろう。ダブステップにトラップにと、ギラギラした鋭角なサウンドで攻め立てては煽りまくる。それこそディプロの卓越した技術と知識を彷彿とさせるような、DJプレイの機微を感じさせる素晴らしい時間であった。上げるだけ上げてからの“Lean On”、“Let Me Love You”の連打は卑怯。空いた口が塞がらないとはこのことだ。
さあ、この初日のトリは、ULTRAとタッグを組んでワールドツアーを繰り広げているデッドマウス。日本では昨年のフジロック以来となるステージだが、今回は余りにも美しいショウであった。いや、ULTRA JAPANらしい華やかなEDMパーティのムードがそこにあったかと言えば、そうではないだろう。むしろ徹底的にストイックでミニマルな、ダンス・ミュージックの最もベーシックな効力に注視し続けるパフォーマンスであった。
ただ、ULTRA JAPANが最高峰のエレクトロニック・「ダンス」・ミュージック・フェスであると考えたとき、デッドマウスの研ぎ澄まされた音像は、比類なきダンス・グルーヴは、今のULTRA JAPANに必要なものだったのだと思う。踊り続けるほどに純粋な高揚感が育まれ、単なる皮肉や嫌味が入り込む隙はなかった。残り30分というところで「さあ、そろそろ盛り上がろうか!」と描かれる上昇線、そして“Strobe”の繊細な美しさや“Not Exactry”のドラマティックなフィナーレは、最高峰のEDMという呼称に違わぬものだったと思う。(小池宏和)