インタビュー=古河晋 イラスト=日下明
──『二人称』の企画の始まりはいつになるんですか?根本にはやっぱり現状への批判がある。怒りですよ、怒り
そもそもの構想の話は、3年前の『幻燈』を作り終わったあとくらいからありました。『幻燈』のときは、ブロックチェーンとNFTのあり方を見て、「あ、これは音楽の著作権の未来だ」って思ったところから音楽画集のパッケージが生まれていて。そのときどきの時代の流れと自分が見てるものによって、最終的な形が変わるというのはありますね。根本的にはやっぱり現状への、自分が見ているものへの批判、批判的な観点があると思います。怒りですよ、怒り。なんでこれをやらないんだろうという。それが、人がやらないなら僕がやらなきゃっていう使命感に繋がっているのかもしれないです。今回のアルバムも、なぜみんな、アルバムを惰性で作っているんだという、アルバムのあり方への批判が根底にあるんで。シングルタイアップで、曲がたまってきたからそれをまとめてアルバムを出そうって、今の時代ならではのメジャー流通のアーティストの病気だと思うんですよね。それをやるならこっちのほうが正しいですよっていう。一個一個のシングルタイアップに、ちゃんと物語としての要素を込めて、パッケージが出た時に、これはこのアルバムのここに入るやつだが、そのままタイアップとしても機能するようになってたんだっていう、こっちのほうが絶対美しいんですよ。必然性がないアルバムは美しくないです。そういう現状のメジャー流通だったり、アルバムの在り方への批判──要はサブスクでいろんなものが聴けるようになって、その影響も受けての音楽の作り方、アルバムというものの美しくなさへの批判っていう観点が最初のきっかけで。だからこれ全部、このアルバムのために書かれた曲です。
──あ、最初から?
これ、3年がかりの準備なんで。それが僕のアルバムへの批判、批評性に繋がっているんです。なんでみんなアルバムのために楽曲を提供しないんだと思ってたので、そこがすべてですね。最初から、このアルバムのこの少年が書いたこの詩っていうので、ずっと固まってるやつを入れ続けたっていう。
──さすがにタイアップがそれぞれにあったりもするんで、それはないだろうと勝手に除外してました。
それが僕の怒りなんですよ。みんなが努力を放棄してるのが僕の怒り。だからこそコンセプトアルバムを作る時に、なんで事前にちゃんと最終形態に収まるようにしないんだっていう。主人公がこの時に書いたものっていうところにまで、なんで設定を詰めないんだっていう怒りなんですね。それを実現するために、この主人公の少年は引用癖があるんで、前半の曲は全部、文学作品の引用で固まっているんですね。そこから自分なりに表現を見つけていく話なんで。
そして、それとはまた別軸で書簡型小説を作りたいっていうのがありました。世の中に文通というか、人と人が文章のやり取りをする形の小説がたくさんある中で、なんでみんな本の形なんだろう?ってずっと考えていました。もっと肉体的なやり取りを見せたいなら実際に封筒にしちゃえばいいじゃない、なんでそれをやらないんだろう?っていうのは思っていて。実際に手に取って一通一通あけて中を覗き見ていく体験でしかできない物語を作ろうっていう。これも批評的な形になっちゃいますけど。そういうことで実際やるしかないっていう。で、やってみた結果、値段のコントロールが難しいっていうのがきっと誰もやらなかった理由だとわかりました。最終的に作者の手を離れて、作品が勝手に動き出す瞬間を作りたい
──小説としては結構な値段のものになりましたね。
なるべく手に取りやすいように下げようと思っても、ある程度値段はいってしまうっていう。でも、これやる意味があるなって思いました。小説家の世界のアウトサイダーである、音楽っていう別軸での実績を踏まえて届けられる立場の自分じゃないと出版社も納得して出してくれない形態だという気がして。今、僕がやっておかないとなかなか他の人ができないだろうなという使命感もありつつ。だから一度逸脱してみて、作りたいもの優先で作ってみるということをやってみました。
──じゃあふたつの異なる批評性、怒りが結びついて、この作品が生まれたということですね。
そうですね。
──手紙と音楽の関係に関しては、そもそもヨルシカを始めようとした時から興味があって『だから僕は音楽を辞めた』『エルマ』という作品が生まれているわけですが。その時にやり切れなかったポイントというのは、どの辺なんですか?
もっと実在性を高めること。誰かがほんとに書いたんじゃないかっていう。だからそこにCDが入っていたらおかしいし、それが書籍だけでリリースするっていうことにも繋がっている。本当にこの封筒がどこかに置いてあったんじゃないかっていう。で、それを拾った人がこれを読んでいるあなたに繋がっているという視点ですね。
──本当に『二人称』は実在性が高いから、読んでてフィクションなのかノンフィクションなのかわからなくなってきます。
そうですね。最終的な目標としては、ロラン・バルトの『作者の死』の中に主体の死っていうのがあって、最終的に作者の手を離れて、作品が勝手に動き出す瞬間──物語の構造として、そういうものを作りたいというのがあります。作者の手を離れて、物語が勝手に動き出す瞬間って面白いじゃないですか。たぶん本として読む小説の形だったら、そこに行きつかないと思うんです。現実にある何かに見せかける、そういうものが作りたいっていうのは、クリエイターとしての大事な核の部分として僕が持っているんだと思います。僕は純粋に、小説だけど実在するっていう新しい形の文学を作りたかった。現実に存在するテキストを、そのまま現実世界に持ってきてもいいんじゃないかという。
──まさに本には作者が存在するけど、これはものとして実際に落ちていた封筒の束を拾ったのと同じ形をしているので作者がいなくなる感じがする。そうすると、そこに登場する人物が本当に生々しくなりますね。
はい。生々しいものを作りたかったので。