表題曲“ラプソディ”は、彼らが目標のひとつとして掲げてきたアニメタイアップ楽曲(TVアニメ『謎解きはディナーのあとで』エンディングテーマ)。ブラックミュージック経由のグルーヴとJ-POP的なメロディラインが響き合うこの曲は、彼らのスタイルを端的に示していると言っていい。耳当たりの良さだけではなく、メンバー個々のセンスと情熱が響き合うようなアンサンブルもBILLY BOOの大きな武器。そのサウンドの在り方は、ロックバンドとしての彼らの強さにもつながっていると思う。
10代の頃、地元仙台で出会ってバンド活動をスタートさせた彼ら。コロナ禍の中未来への展望を見失い、一度は解散を決意するも、KAZUKIのソロライブをきっかけに再び集結し、昨年5月にBILLY BOOとして始動した。様々なトライ&エラーを繰り返しながらバンドとしてのキャリアを確実に切り開いている4人に、これまでの活動プロセスと『ラプソディ』の制作について聞いた。
インタビュー=森朋之 撮影=うえむらすばる
KAZUKIは抜群に上手かったんです、歌が(KEI)
──メンバーの皆さんが地元・仙台で出会ったのは、10代の頃だったそうですね。
KAZUKI はい。僕とMITSUは中学からの同級生で、中3の終わりごろから一緒にバンドをやってたんです。そのバンドの初ライブのときにKEIと会って、そのあとRIKIYAと知り合って……という感じですね。
──KAZUKIさんとMITSUさんは友達だったんですか?
KAZUKI 中学の文化祭の出し物で“R.Y.U.S.E.I.”(三代目J SOUL BROTHERS)を歌ったんですけど、しばらくしてMITSUが「バンドやらない?」ってアプローチしてきて。男のボーカルを探してたみたいなんですよね。
MITSU(B) 「同じ学年でいちばん歌が上手いのはこいつだな」って勝手に目をつけてました。
KAZUKI スカウトマン?(笑)。
MITSU (笑)。もともと男性のピンボーカルのバンドが好きだったんですよ。ONE OK ROCK、UVERworldとか。
KAZUKI 僕もバンドに興味を持ったきっかけはUVERworldですね。ライブDVDを観て衝撃を受けて、「音楽をやりたい」と思って、それまでやってたサッカーを辞めたんですよ。で、その3日後にMITSUに誘われて。
MITSU そうだったのか。
──当時やっていたのはロックバンドだったんですか?
KAZUKI 歌モノのラウドロックという感じですね。シーケンスは使わず、ドラムもクリックを聴かず、アンプで生音を鳴らすバンド。今やってることとかなり違いますけど、たとえば“逆光”や“サイレン”という曲には(ラウドロックの)匂いが残ってると思います。
──なるほど。KEIさんが初めてKAZUKIさんを見たときの印象は?
KEI(G) KAZUKIは抜群に上手かったんです、歌が。最初に会ったのはライブハウスだったんですけど、自分たちの出番が終わって楽屋に戻ろうとしたら、KAZUKIたちのバンドがはじまって。「うわ!」と思って、そのまま観続けたんですよ。絶対仲よくなりたいと思って、その日に声をかけました。
KAZUKI 覚えてない(笑)。
KEI (笑)。当時、仙台のバンドの中でかなり注目されていたんですよね。とにかく歌が魅力的だったし、お客さんも結構入っていて。
──KAZUKIさんとRIKIYAさんの出会いは?
KAZUKI KEIとRIKIYAは一緒にバンドをやってたんですよ。僕らが自主企画の野外イベントを組んだときに、そのバンドが出てくれて、そのときに初めてRIKIYAに会いました。いきなりグイグイ近づいてきて(笑)、他のメンバーともすぐに馴染んで。そのあと、なぜか機材車の運転をしてくれるようになって。
RIKIYA(Dr) 「スタッフやらせて」みたいなテンションだったんで(笑)。知り合いづてに「すごいボーカルがいるよ」って聞いてたし、初めて会ったときも「絶対仲よくなりたい」と思ってました。
KAZUKI いい奴だし、ドラムも上手くて(笑)。前のドラムが抜けたときに、声をかけました。
RIKIYA ある意味、計画通りですね(笑)。
──KAZUKIさんのボーカルの魅力によって集まったメンバーなんですね。それにしても10代のときに自主企画の野外イベントって、すごくないですか?
KAZUKI お世話になっていたライブハウスの店長が、すごくよくしてくれてたんです。高校のときから全国ツアーをやらせてもらったり、「おまえらの名前でイベントをやれ」って会場を押さえてくれたり。とはいえ、仙台の音楽シーンは狭いですからね。少し名前が広まると、結構お客さんが集まってくれるんですよ。
──そうやって少しずつ知名度を上げていた、と。2020年にバンドは一度解散しますが、何があったんですか?
KAZUKI コロナでライブができなくなったのもあるし、制作スタイルも変わったんです。もともとはシーケンスを一切入れないバンドだったんですけど、同期の音を取り入れたいという気持ちはずっとあって。この時期にDTMをはじめて、ジャンルを変えてみようと思ったんです。ただ実際にやってみると、全員が好きな音楽を持ち込んで、ぶつかってしまって。ジャンルも定まらなくて、EDMなのかヒップホップなのかロックなのかシティポップなのか……という感じで芯がない状態になって。そこでちょっと仲違いというか、「このまま続けるのはきついね」と。
──ライブができない状況と音楽性や制作の変化が重なって、解散に至ってしまった。
KAZUKI そうですね。あの時期って、DTMで制作された楽曲が普及したじゃないですか。そんな状況を見ていて、「ソロでやったほうがサブスクで成功しやすい」というイメージが自分の中にあって。なのでメンバーにも「1回ソロでやらせてくれ」って言ったんです。そしたらふたつ返事くらいな感じで「KAZUKIがそう言うなら」と承諾してくれて。
──「ここまで一緒にやってきたじゃん! ソロってなんだよ!」っていう気持ちはなかった?
RIKIYA ありましたよ。「えー、せっかく一緒にやりはじめたのに」って。
MITSU (笑)。でも、あの時期は難しかったんですよね。いろいろ重なってしまって……。
KEI 僕としてはKAZUKIの言ってることに違和感はなくて。彼の声が届く方法がバンド以外にあるんだったらそのほうがいいなと思ったし、逆に「何か手伝えることがあったらやらせて」くらいのテンションだったんです。実際、ソロの最初のほうの曲に関わらせてもらって。
──理解があるというか、優しいですね。
KAZUKI そっと見守ってくれました(笑)。
ソロをやってるときも、「またバンドに戻りたい」と思っていたんですよね(KAZUKI)
──再び4人が集まったのは、KAZUKIさんのソロライブがきっかけだったとか。
KAZUKI ソロでライブをやるんだったら、DJスタイルよりもバンドがいいと思っていたし、メンバーとも約束してたんですよ。「ライブはバンドでやるから、待っててくれ」って。仲違いしたと言っても、「やっぱりバンドをやりたい」という気持ちはずっとあったので。
──それが実現したのが、2024年5月18日のワンマンライブ(TOKIO TOKYO)だったと。
KAZUKI その日がBILLY BOOの結成日なんですよ。ちょうど1年前ですね。
MITSU あの日は生きた心地がしなかったです。ライブ自体が久しぶりで、ついていくのに必死だったんですよ。お客さんもいっぱいだったし、ちょっとビビってて。もちろん嬉しかったですけどね。その前のKAZUKIのソロライブは別の人がベースで、正直「なんで僕じゃないんだ」と思ってたので……いろんな気持ちを抱えて臨んでました。
KEI 僕はずっとサポートさせてもらっていたし、ライブ自体はいつも通りで。ただ、もう1回バンドをやるとは思ってなかったから、やっぱりいろんな感情になりましたね。
RIKIYA 僕は嬉しかったです。今まで「このバンドだったら自分をかけられる」と思ったことがなかったし、BILLY BOOはまさにそういう場所だったので。ここからやっと戦えるな、と。
KAZUKI よかった(笑)。振り返ってみると、お互いにぶつかって、仲違いしたのも真剣にバンドをやってたからなんですよね。もっとフワッとやってたらそんなことにはならなかったと思うので。1回解散したけど、地元も一緒だし、毎週のように会ってて。ソロをやってるときも、「またバンドに戻りたい」とずっと思ってました。