最近は食べやすいように料理するほうが優しいと思われるのかもしれないけど、僕の作品はそうじゃなくてもいいかなと思う
──2曲目は“シンメトリー”、つまり「左右対称」ですよね。この曲で描かれている《君》と《僕》の関係性は、今見るとどういうものに見えますか?
……お互いの中に、過去のお互いがいる、という対称性は感じます。一方的な歌詞ではあるんですけど、たぶん相手の中には過去の自分があって、それはずっと変わらないままで。そして自分の中には過去の相手が変わらずにいて、「同じ場所にいた」ということを、お互いに思っている。違う方向に進んでいっても、「でも相手はそこにいる』ということを、お互いが思い合っている。本当はどちらも進んでいるんだけど。その歪さみたいなものはあるのかなって思います。
──「歪さ」でもあり、「温かさ」とも言えそうですよね。
確かにそうですね、温かさとも言えるなと思います。
──個人的に“シンメトリー”は「共感」という状態を繊細に描いている気がしました。音楽の側から共感を乱暴に求めるのではなく、そういう状態があること自体を見ているというか。
なるほど。でも、そういうやり方は好きです。ちゃんとデザインとして成立しているものにしたいという気持ちはあります。メッセージにならないように、というか。
──メッセージではなくデザインであることは大事ですか?
大事だと思っていますね。普遍的なものってそうなのかなと思う。普遍的なものというか、解釈の幅があるものって、「僕はこう思っています」と訴えるというより、思っていることをそっと置いておくような感覚がある。それを自分から見に来た人が、自分で考える。そのほうが、より自然だし、そっちのほうが普遍的なのかなと思います。
──やはり「解釈する」ということが大事なことなんですね。
そう思います。人は育っていくうえで、一人ひとり違うフィルターができあがっていくじゃないですか。そのフィルターを通してじゃないと、あらゆる事象に対して考えることはできない。ということは、みんな違う世界を見ているし、みんなが違う解釈をしているということですよね。それなら、作品に対してもそうであるほうがより自然だし、むしろ「そうなっているはずだ」と思うんです。最近は食べやすいように料理するほうが優しいと思われるのかもしれないけど、僕の作品はそうじゃなくてもいいかなと思う。食べやすいように料理するというより、自然に作品を受け取ってもらえるように補助をするくらいの感覚で、解釈を楽しんでもらえるようにっていう感じですね。
祈っているだけだと何も起こらないじゃないですか。ただ与えられるのを待っているだけで
──3曲目“空腹な動物のための”について、前の取材で「おいしくるメロンパンの曲の主人公たちはお腹がすいているわけではないけど、喉が渇いている」という話がありましたよね。ナカシマさんの中で「空腹」と「渇き」は違うものとしてあるんだろうな、と。
確かにそんな気はします。言語化しづらいものではあるんですけど。この曲は自分の中でもかなり異質で、自分でもよくわかっていない部分が多いです。サウンドが先にできたので、それにつられて歌詞もこうなったのかな。僕のギターは修正もせず、エディットもしていないんです。それゆえの粗削りさや肉体感は出たのかなと思います。
──歌詞では《I don't pray》と歌われますけど、この曲で歌われる「祈り」とは、今のナカシマさんはどのようなものとして観測しますか?
僕の曲に出てくる「祈り」がすべてそうというわけではないんですけど、この曲で言う「祈り」は、ただ待っているだけ、みたいな感じですね。「空腹な動物たち」というのも、餌を待っているようなイメージ。祈っているだけだと何も起こらないじゃないですか。自分の頭で考えていない状態というか。ただ与えられるのを待っているだけで。
──『phenomenon』の曲についても伺うと、“砂の王女”をはじめ、おいしくるメロンパンが描く「王女」……彼女はかつて「少女」だったのかもしれないですけど、その存在について伺いたいです。彼女の周りにある景色は砂になったり、水浸しになったり、泥になったり、曲によって状態変化があるようですが、そんな中で彼女の内側には変わらぬ海があり続けているような印象があります。ナカシマさんにとって「王女」はどのような存在ですか?
主人公というより対象なのかなと思います。理想とも言えるし。この人が世界の中心で、それを巡って自分が物語を繰り広げているイメージです。
──“砂の王女”に登場する《僕》という存在には、ナカシマさんやおいしくるメロンパンが重なる部分がある?
そうですね。それはあるかなって思います。
──《僕》は「王女」に対してどんなことを思っているのだと思いますか?
“砂と少女”と“砂の王女”の間には時間経過があって、そういう部分は“シンメトリー”と似た構図になっていると思うんですけど。“砂と少女”の時は一緒にいたけど、今は離れ離れになっている。《僕》は“砂と少女”の頃の面影をずっと探していて、でも彼女はすっかり大人になっていて、守るべき存在だと思っていたものが、いつの間にか憧れのようになっている……大まかに言うと時間経過によって関係が変わっていっている話なのかな。で、僕の中にはファンタジーの世界設定みたいなものがあるんですけど、海ってひとつじゃないですか。世界にひとつだけ、みたいな。
──はい。
海でつながっているって、いいなと思って。……わかんないですけど(笑)。
──いや、素敵だと思います。
内なる海でつながっていたらいいなと思うんですよね。周りの世界は泥になったり雨が降ったり砂漠だったりするけど、海はずっと変わらないで、ふたりの内側にある。そういうイメージです。
このインタビューは、4月30日に発売された『ROCKIN'ON JAPAN』6月号にも掲載中!
『ROCKIN'ON JAPAN』6月号のご購入はこちら