昨日ですが、
伝説のパンク・ファンジン『PUNK MAGAZINE』の創刊編集長、
ジョン・ホルムストロムさんにお会いしてきた。
『PUNK MAGAZINE』というのは1976年に創刊された同人誌で、
CBGBを中心に当時ニューヨークで巻き起こっていた
アンダーグラウンド・シーンのムーヴメントを「パンク」と呼び、
その言葉を世界に知らしめた、いわばパンクの育ての親的雑誌。
イラストレーター、コミック作家として活動していたジョンさんは、
雑誌のイラストからレイアウト、そして原稿執筆まで、
ニューヨーク・パンクのど真ん中で活動していた人だ。
そのジョンさんはラモーンズのアートワークにかかわっていたことでも有名で、
ラモーンズのファーストの写真は『PUNK MAGAZINE』用に撮影されたものだし
(しかも、ジョンさんもその現場に立ち会ってディレクションしていたという)
『ロケット・トゥ・ロシア』の裏ジャケや
『ロード・トゥ・ルイン』のカヴァー・アートも彼の作品。
今回は下北沢シェルターで行われたイヴェント
『Invasion of PUNK MAGAZINE vol.1』にゲスト出演するために来日。
いろいろと面白い話を聴くことができた。
『ロケット・トゥ・ロシア』のことに話が及ぶと、
おもむろに喫茶店の紙ナプキンに手を伸ばし、
僕のペンを取ってドローイングを描き始めた。
それが写真の絵。
ロケットがアメリカからロシアに飛んでいくという、
アルバムの裏ジャケのイラストだ。
「アメリカからロシアにロケットを飛ばすって、
当時としてはかなり過激な発想ですよね」と訊くと、
「いや、でも、このロケットはロックンロールのことなんだ。
ロックンロールがロシアにも届いて、自由や自己表現のすばらしさを
伝えるっていうことを意味しているんだと思っていたよ」と。
ジョニー・ラモーンのアイディアだったんだそうだ。(小川)