現在発売中のロッキング・オン6月号では、ダミアーノ・デイヴィッドのインタビューを掲載!
以下、本インタビューの冒頭部分より。
「恐れは自分の行く手を阻むものであったり、ときには笑い飛ばして、ほとんど誇りに思えてきたり、盾のような装具として身に付けたり。その人が克服するすべての恐れの結果がその人なんじゃないかと思うんだ」
●あなたはバンドを始めた頃からずっと、いつかソロとして作品を出したいと考えていたと言っていましたが、ついに長年の夢が叶ってこの素晴らしいアルバムが完成したとき、どんな想いが胸を去来しましたか?
「素晴らしい気分だった。今こうやってこの経験を健康的に幸せに生きられているのは、マネスキンですでに何枚もレコードを作ってきて、ある程度慣れていたからだと思う。どういうものか分かっているし、この10年はこれが自分の人生だったわけだから。もちろんソロはバンドがいないから違うけど、バンドとやってきたありとあらゆる経験のおかげで、この新しいチャプターを楽な気持ちで生きることができているんだ」
●『ファニー・リトル・フィアーズ』を聴くと、ダミアーノ・デイヴィッドが以前よりはるかに自分の近くに感じます。本作は「大人気バンド=マネスキンのボーカル、新世代のロックアイコン」といったパブリックイメージを脱ぎ捨てる感覚で作ったものなのでしょうか。それとも?
「いや、そういうことじゃないんだ。これまでバンドとしてやってきたことは当然ながらすべて4人の間で合意しながら、何をするにもバンドとしてのアイデンティティを最優先にしてきた。でも今回の場合は僕のプロジェクトだから、僕のアイデンティティ、僕のアイデア、僕の考え方に基づいていて、そうすると必然的に音楽もテーマも違うわけだよ。でも最初からはっきりとした意図があったわけではないんだ。自分のサウンドがどういうものなのかさえまだ分かっていなかったから。だから今回の僕の目標というか、アルバムを作るプロセスは、自分自身のサウンドを見つけることだったんだよね」
●「おかしな小さな恐れ」というタイトルとコンセプトは、どんな経緯で生まれたものだったんですか?
「このアルバムはすごく個人的な視点で物事を捉えたもので、全部僕の経験だったり僕という人格に基づいているんだけど、その僕の人格というのは恐れや不安によって作られたものでもあるんだ。今回作り始めるときだって、今よりもっと恐れや、自分のゆく手を阻む障害があった。実はこのアルバムがその恐れに気づくきっかけになって、自分が抱えている恐れや不安と向き合うチャンスになった。だから制作の最後に振り返ってみたときに、自分の人生においていかに多くのことが妨げになっていたのかが分かって、それがちょっとおかしくて、それと同時に、僕が人生の次のステージに進むにあたっていかに音楽に助けられてきたのかということも分かって、それが美しいと思ったんだ。自分が抱えている問題、自分が取り組むべきこと、埋めるべき空白を知るために、実はそういった小さな恐れが必要だった。だから自分の恐れとの関係の多元性というか、ときに恐れは自分の行く手を阻むものであったり、ときには笑い飛ばして、ほとんど誇りに思えてきたり、盾のような装具として身に着けたり。その人が克服するすべての恐れの結果がその人なんじゃないかと思うんだ」
●あなたの最も古い「恐れ」の記憶はなんですか?
「なんだろう、ああそう言えば子どもの頃よく同じ夢を何度も見たよ。誰かに追いかけられて階段から落ちるっていうやつ。高いところが怖かったんだ。でも子どもの頃はそれほど怖がりではなくて、大人になるにつれ怖いことが増えたと思う」
●では逆に最も新しい「恐れ」は?
「たぶんこの仕事を何年も続けてきて、ずっと人の目にさらされてきたことで、期待されることや自分自身を見せることへの恐怖みたいなものが育ってしまったと思う。ステージ上や公の場だけじゃなくて、日常生活の中でも誰かにずっと見られていて、ずっと誰かにジャッジされているような感覚があって、そのせいで自分の生活をかなり制限してしまっていた。その居心地の悪さや不安感を乗り越えるのは結構大変なことで。そして、それに気づかせてくれたのがやっぱりこのアルバムを作ることだったんだよね。実は自分がそんな状態だったってことに気づいていなくて、だからそれに気づいたあとは、自分の“独立”を取り戻すための練習を少しずつ始めているんだ」
(以下、本誌記事へ続く)
ダミアーノ・デイヴィッドの記事の続きは、現在発売中の『ロッキング・オン』6月号に掲載中です。
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