ザ・ストーン・ローゼズのマニの葬儀で、リアム・ギャラガーらが棺を担ぐ。イアン・ブラウンは「“マニほど大きな穴”は、決して埋まらない」、ボビー・ギレスピーは「マニはこれからもずっと、俺の魂と心の中で永遠に生き続ける」と別れの言葉を捧げた。

ザ・ストーン・ローゼズのマニの葬儀で、リアム・ギャラガーらが棺を担ぐ。イアン・ブラウンは「“マニほど大きな穴”は、決して埋まらない」、ボビー・ギレスピーは「マニはこれからもずっと、俺の魂と心の中で永遠に生き続ける」と別れの言葉を捧げた。

ザ・ストーン・ローゼズのベーシスト、ゲイリー・マイケル・“マニ”・マウンフィールドの葬儀が、12月22日にマンチェスター・カテドラルで執り行われたと、地元紙『マンチェスター・イブニング・ニュース』が報じている。


ジョン・スクワイアによるデビューアルバムのアートワークに着想を得た棺を、ザ・ストーン・ローゼズのイアン・ブラウン、ジョン・スクワイア、アラン “レニ”・レン、そしてプライマル・スクリームのボビー・ギレスピーとアンドリュー・イネス、さらにリアム・ギャラガーの6人が担ぐ姿も公開された。葬儀には数百人のファンが駆けつけ、別れを告げたという。


このほかにも、オアシスからはボーンヘッドやアンディ・ベル、さらにポール・ウェラー、ティム・バージェス、ベズ、ピーター・フック、ガイ・ガーヴェイ、ザ・スミスのドラマーであるマイク・ジョイス、そしてサッカー界からはデヴィッド・ベッカムやギャリー・ネヴィルらも参列した。


また葬儀では、イアン・ブラウンとボビー・ギレスピーが感動的なお別れの言葉を読み上げた。イアン・ブラウンはマニの功績を讃え、この街に高さ15メートルの銅像を建てるべきだと語ったという。


—「俺たちに残された“マニほど大きな穴”は、決して埋まらない」。イアン・ブラウンが葬儀で語った追悼スピーチの要約は以下のとおりだ。
イアン・ブラウンはまず、マニの子どもたちに向けて、「これから先、もし助けが必要なことがあれば、いつでも自分に頼ってほしい」と語りかけ、スピーチを始めた。

「俺が初めてマニに出会ったのは1980年。当時、彼は“The Nod”と呼ばれていた。今でも俺の携帯では“Nod”のままだ。前髪をしきりに払って、いつも笑っていた。
あの頃の彼も、世界が知り、愛するようになったマニと、まったく同じ少年だった。

みんな知っている通り、ガズは笑うために生きていた。笑うことが彼の人生の最優先事項で、次の笑いを常に探していた。止まることのない“人間笑いマシーン”だった。

同時に、彼は他の人なら打ちのめされてしまうような、人生の厳しい打撃や不運なカードも与えられていた。でも彼はその痛みを胸にしまい込み、どんな闇の中でも笑いながら進んでいった。どれほど暗くても、必ず笑いを見つけた。生々しくて、やんちゃなユーモアが、いつも輝いていた。
“山を見せてくれ。俺が登ってやる”――それが彼の信条だった」

さらにイアンは、マニがどれほど多くの人に愛されていたかを語る。

「今日ここに集まっている人を見れば分かるように、マニは世界中、あらゆる立場の人たちと友だちだった。すべてのバンド、プレイヤー、シンガー、クルー、プロモーター、エグゼクティブたちと友人関係を築いていた。彼はみんなを愛し、そして誰からも愛されていた。

あるローゼズのライブで、終演後の控室がすでに人で溢れかえっていた。そこへマニが入ってきて、こう言ったんだ。
“なんだこの人の多さは。ギネス記録じゃないのか? ロイ・キャッスルがトランペットを持って、これから現れるってことか?”」

「彼は、あらゆる場所を愛していた。人類そのものを愛していた。どこにいても、その場の空気を一気に明るくしてしまう存在だった」

イアンはまた、マニの無邪気さとユーモアを象徴するエピソードも披露した。

「たくさんの追悼と称賛、そしてマニへの愛の津波のような反応がある中で、彼の兄が“ぜひ話してほしい”と言ってきた、最後のクリスマスプレゼントの話がある。
グレッグがプレゼントを開けると、中身はランブレッタ・ジェット200用のマフラーだった。
グレッグが言った。“ありがとう。でも俺、スクーター持ってないんだけど”。
するとマニはこう言った。“大丈夫、じゃあ俺が使うから!”」

このエピソードに、大聖堂は笑いに包まれた。

そしてイアンは、マニを失ったことがバンド仲間や家族、友人たちに与えた深い影響について語り、こう締めくくった。

「マニは、俺たちが悲嘆に暮れることを望まないだろう。でも、俺たちはみんな心を引き裂かれている。そして、俺たちに残された“マニほど大きな穴”は、決して埋まらない。あまりに大きな喪失で、言葉を見つけるのが難しい。

神に感謝する。俺たちはマニと人生を共にすることができた。

この街で最も大きく、最も格式ある教会で、マニの人生を祝うためにここに集うのは、当然のことだ。

マニほど、この街を情熱的に愛した人は多くないし、この街のためにこれほど多くを与えた人も、そうはいない」

—「マニは死んだんじゃない。ただ、旅立っただけだ。彼はこれからもずっと、俺の魂の中に、そして心の中に永遠に生き続ける」
ボビー・ギレスピーが語った追悼スピーチの要約は以下のとおりだ。


ボビーは、ストーン・ローゼズ解散後の1996年に加入したマニと、プライマル・スクリームで共に過ごした時間が、どれほどかけがえのないものだったかを語った。

「彼はファンキーな小さなマザーで、ロックンロールの心臓を持っていた。パンサーのような静かな獰猛さでステージを歩き、ダンサーのような優雅さをまとっていた」

「彼をバンドの一員として、そして人生の中に迎えられた俺たちは、本当に幸運だった。彼のベースプレイは力強く、かつ正確で、繊細でソウルフルだった。いつも曲そのもののために弾いていたんだ」

さらにボビーは、マニという人間の在り方についてこう続ける。

「相手がレコード会社のCEOであろうと、ホテルの清掃係であろうと、そんなことは彼には一切関係なかった。誰に対しても分け隔てなくフレンドリーで、包摂的だった。みんなを輪の中に招き入れて、一緒にうまくやって、楽しもう――それが彼だった。そして、実際に俺たちは大いに楽しんだ」

ボビーはまた、マニと過ごした破天荒な夜の数々のエピソードや、ストーン・ローゼズ解散後にプライマル・スクリームへ加入することになった経緯にも触れた。2人はフットボール、音楽、ファッションへの愛を共有しており、彼はこう語っている。

「マニがバンドにもたらしてくれたもの、そして俺の人生にもたらしてくれたものは、言葉にするのが難しいほど大きい。彼の熱意とポジティブさは周囲に伝染し、生きることへの渇望は本当に刺激的だった」

さらにボビーは、2年前にがんで亡くなったマニの妻イメルダ(2人の子どもの母)にも追悼の言葉を捧げた。彼女はマニにとって「支えそのもの」だったと語り、参列者に向けて、2人は「本当に素晴らしいカップルだった」と伝えた。

また、マニが自身のアイルランド系のルーツと労働者階級の出自を誇りにしていたことにも触れ、こう続けた。

「でも何よりも、彼が誇りに思っていたのは“マンチェスターっ子”であることだった。愛する故郷のことを“マニチェスター(Manichester)”と呼んでいた回数は、もう数えきれない」

そして、スピーチは次の言葉で締めくくられた。

「マニは死んだわけじゃない。ただ、いなくなっただけだ。彼はこれからも、俺の魂の中で、そして心の中で永遠に生き続ける。
彼の言葉や行動、そのすべてを、俺は自分の中に宿したまま生きていく。たいていは笑顔と、くすっとした笑いとともにね。

さらば、同志よ。愛している、マニ」

—彼の棺には、ザ・ストーン・ローゼズのデビュー・アルバムの象徴的なアートワークがあしらわれ、霊柩車の周囲には「Mani」「R Kid」「Dad」と文字を描くように花が飾られていた。葬列は、スクーターに乗った名誉護衛団に先導され、ザ・ストーン・ローゼズの”I Wanna Be Adored”が流れる中、大聖堂に到着した。

式の後、ザ・ストーン・ローゼズとプライマル・スクリームのバンド仲間、そして長年の友人であるリアム・ギャラガーによって彼の棺は教会の外へと運び出された。そのとき流れていたのは、ストーン・ローゼズのアンセム“Made Of Stone”だった。


—家族は、マニが長年抱えていた肺の持病に関連する「呼吸器系の問題」により、眠っている間に安らかに亡くなったことを明らかにしている。

心より、ご冥福をお祈りします。
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