シャイトープは、本当に「歌」を大切にし続けたバンドだったんだなと思った。
全28曲、3時間を超えるライブにはやっぱりどうしても別れの気配が満ちていて、かけがえのない出会いの奇跡と、さよならが連れてくる思い出のきらめきを歌う1曲1曲が、僕らとシャイトープのこれまでを1ページずつ大切にめくっていくように過ぎ去っていった。
ふくながまさきのベースは太く荒く、悲しみが内側から沸々と燃えたぎっているようだったし、タカトマンダのドラムは繊細に歌に寄り添い、一打一打を慈しんでいるようだった。ふたりのプレイヤーとしての性格が逆転しているようにも感じられて、そのいつもと違う音の表情に、ああ、本当に最後なんだなと思わされた。
佐々木想の歌は、明日のことなんて何も考えていないような、今この瞬間に身を捧げる歌だった。声そのものの美しさに圧倒されながら、その声でしか伝わらない感情が、言葉の一つひとつから流れ込んでくる。「伝えること」と「歌うこと」を、ここまでのレベルで両立できるボーカリストがほかにいるだろうか。
「ロックバンドに日常を左右されたりしないでください」
なんて、僕らの日常に色を与えてくれたシャイトープが言わないでくれよ、と思わずにはいられなかったけれど、《大切なことは 君は君を生きること》と歌詞が替えられた“天使にさよなら”を聴いて、ああ、と思った。
シャイトープは、日常に光を与えながら、その光に照らされる一人ひとりの人生を大切に歌い続けてくれたバンドだった。
スーパーに並ぶ果実が、こんなにもカラフルに見えること。季節の変わり目の空気に、いつかの記憶が蘇ること。誰かがいるだけで、なんでもない1日がかけがえのないものになること。シャイトープの歌を聴くと、自分の日常にも、まだ気づいていないきらめきがたくさんあるのだと思えた。
メジャーデビュー曲“ヒカリアウ”のインタビューで「日常を歌う理由」を訊いた時、想さんは、聴く人が歌を受け止めることで「前を向けたり」と話したあと、すぐに「別に前を向く必要もないんですけど」と付け加えたことがあった。その言い直しにこそ、シャイトープというバンドがいたのだと改めて思う。元気な時もどうしても前を向けない時も、側にいようとしてくれるシャイトープが僕は大好きだった。
だから、最後の言葉も僕らの日常を最後まで大切にしてくれた言葉として受け取りたい。寂しさがなくなるわけではないし、もっとこの3人の音楽を聴いていたかった気持ちはきっとずっと残る。それでも、シャイトープが美しさを教えてくれた日常をこれからも生きていきたいと思う。
同じ取材で想さんが話してくれたのは、誰かに照らされて前を向けた人が、今度は誰かを照らすことができるという輪の素晴らしさだった。シャイトープにもらった光も、きっとそうやって続いていく。再生ボタンを押せば3人の音楽は何度でも鳴るし、その歌とともに日々を生きていく僕らは、歌の中に新しい意味やきらめきを何度でも見つけていくのだと思う。その光をこれからも大切にしたい。
シャイトープ、たくさんいい音楽を届けてくれてありがとう。
たくさん取材させてくれてありがとう。
最後まで光であり続けてくれて本当にありがとう。
(畑雄介)