PTPはスクリーンに映し出されるべき存在であるということは、映画化のニュースを聞いたときから理解できた。説明にある通り、彼らがその後の音楽シーンに与えた影響は計り知れない。映画の証言でも聞くことができたけれど、PTPは2000年代半ばから、海外のニューメタルでも、それを日本で再解釈したミクスチャーロックでもない、それでいてエモやハードコアにもはまらない、オルタナティブかつヘヴィな――いわゆる「ラウドロック」を広め、ラウドロックとパンクロック、さらに、もっと幅広いジャンルとの垣根を、そのメッセージ性と存在感、演奏力といった、どんなバンドにも必要な芯の太さで突破した。それそのものだけでも伝説級なのに、これからという時期だった2012年12月30日、バンドの芯のさらに芯とも言えるK(Vo)が急逝してしまったのだ。もう、Kがステージに立っている姿、K、PABLO(G)、T$UYO$HI(B)、ZAX(Dr)の4人が揃っている姿は見ることができない。そのことで、より伝説的になっ(てしまっ)た。だからこそ、あらゆる証言――PTPやKと共に在った人たちの生きた言葉や、今や貴重となったライブやレコーディング、オフの映像を集結させて映画化すれば、PTPを見てきた人のみならず、Kが逝去してからPTPを好きになった人も、より深く知る機会になるだろう。確かに後世に残すべき記録になると思った。でも、それでも、勝手なわがままだけれど「伝説になってほしくない」と思っている自分もいた。だって、今もPTPの言葉と音は、生々しく心と身体を揺さぶるからだ。
映画は、結成当初からの歴史を細やかに追い、2008年に脱退したJINも登場し、貴重な映像も挟み込まれた内容だった。公式サイトの説明にあった「関係者の証言」は、当時VAP、現ワーナーミュージック・ジャパンのタナケン(田中健太郎)さん以外は、すべてバンドマンということもあってか、本当に率直な言葉や逸話ばかり。また、当時のKの言葉も率直で、「PTPを形作ってきたピュアネス」がクリアに伝わってきた。
Kの逝去後、2013年11月にPTPは、Kのレコーディング済の楽曲に加え、ゲストボーカルを招いて作ったアルバム『gene』をリリース。そして、Kが逝去してから1年がたった2013年12月30日、Zepp Tokyoにて「From here to somewhere」を開催し、正式に活動休止を発表した。私も足を運んだが、メンバーもファンも心を痛めながら、でも現実に向き合わなければと葛藤しながら、爆音で抱きしめ合うようなライブだった。また映画には、それから約6年後の2020年2月2日、coldrain主催の「BLARE FEST. 2020」にPTPが出演し、Masato(coldrain)をはじめとして『gene』に参加したボーカリストたちと共にステージに立ったパフォーマンスが、全編ノーカットで収められている。
そう、この映画では、Kが逝去してからの出来事が半分近くの尺を占めているのだ。ああ、こんなに時間がたったのか……そう思わざるを得ないくらいに。でも、過去と言えないほど近い時期でも、過去になりすぎている遠い時期でもない、2023年の今、映画化されることで、PTPはいつまでも生き続けるのではないか、そう思えた。
時間は流れて、ライブが楽しいバンド、演奏がうまいバンド、ジャンルレスに活躍するバンド、たくさんのバンドが出てきた。でも――本当はすべて映画が物語っているので、その目で観てほしいのだけれど、ひとつだけ発言を引用するとすれば――Masatoが言っていた通り、PTPのように「(音楽が)刺さった人たちの人生を変えたバンド」は、なかなかいない。
「痛み」を誰よりも知っていたバンド、Pay money To my Pain。今から触れても、きっと人生が変わるはずだ。この映画は、その入口になるに違いない。(高橋美穂)