「知らない」才能 後編
2010.05.12 16:00
前回の続きです。
もうひとつ、ジャパン副編井上貴子の例。
先週金曜日の、奥田民生ひとりカンタビレ@SHIBUYA-AXでも、
井上貴子、私の隣の席だった。
で。さすがOTだけあって、2F席で、何人か芸能人を見かけた。
一番目立っていたのは、3人並んで座っていた、
フジテレビ西山喜久恵アナ
林家正蔵師匠(ex.林家こぶ平)
安西肇
の、お三方でした。
なので、終演後、そのことを井上貴子に言ったら、
見事に3人とも
「知らない」
だった。
その場にいたことを知らない、のではない。
その3人の存在自体を、知らないと。
「ほら、『タモリ倶楽部』に出てる」とか説明したところ、
安西さんだけは「ああ、あの……」と思い出してくれたが、
それ以外の二者は、いくら解説しようと、
「知らない」という言葉が、覆ることは、なかった。
すごい。さすが井上貴子。
と一瞬思ったが、ちょっと待て。
たとえば。僕が今、林家正蔵について、どのくらいのことを
知っているか、ウィキとか見ずに、書き出してみますね。
「先代・林家三平の息子」とか、「つい最近までこぶ平だった」とか、
「弟はex.いっ平・現三平」とか、「昔、『テレビ探偵団』に出ていた」とか、
「その時はなぜか本名の海老名泰孝を名乗っていた」とか、
そういう、誰でも知っている情報は、省きます。
・趣味はジャズ。自分でトランペットだったかサックスだったかも吹く。
・若手の頃、芸を磨くために「鍛えるこぶ平」という落語会を、
定期的に行っていた。
・子供の頃、上司のお供で海老名邸に来た、かけだしの放送作家に、
電車で遊園地へ連れていってもらったことがある。
そのかけだしの放送作家が、若き日の高田文夫。
・トークショーかなんかで、松尾スズキに「僕も松尾さんみたいな、
不条理な笑い、好きなんですよ。どうすればああいう
笑いを、できるようになるんですかね」と質問して、困らせたことがある。
と、これくらいスラスラ出てくるわけですが。
たとえば、これが、
・伊集院光は元々落語家で、三遊亭円楽(ex.楽太郎)の弟子。
という情報だったら、自分にとって必要だ。
伊集院光、大好きなので。
しかし、僕は別に、林家正蔵のファンでもなんでもない。
落語も観たことない。
だから、以上の情報、特に必要ない。
でも、いつの間にか、脳にインプットされてしまっているのです。
というふうにですね。
「別にいらないのに持っている情報」が、脳に、
もう数限りなく刻まれていて、頭の中は不要物で埋まった
押入れみたいなことになっていて、そのせいで、
新しい、大事なものが入らない。
ということ、あり得るのではないかと。
つまりですね。
世間でどうであれ、自分にとっていらない情報は、
一瞬にして「いらない」と判断し、それを記憶しないようにする。
だから、新聞の見出しも、電車の中吊りも、yahooニュースも、
脳に刻まれない。
そういう、フィルターみたいな装置が、
井上貴子の目や耳には、ついているのではないかと。
ってことは、脳の中が、床がよく見える風通しの
よい部屋みたいなことに、なっているのではないかと。
で。その分、脳を、本来自分が使うべきことに使えるわけであって、
それってもしかして、天才ってことなのではないかと。
という結論に、たどりつくわけです。
ゴミ屋敷のような脳の私としては。
1994年だったか、「MY LIFE」という曲で、
フィッシュマンズは「もう知識はいらない」と歌った。
それを、この世に生を受けた、1965年当時から実行し続けて、
今に至っている存在。
それが井上貴子だといえます。
あと、同じ歌で、フィッシュマンズは、
「知識はいらない」のあとに、
「何もわからなくても」
とも、歌っていますが、それは考えないようにします。
写真は、そのフィッシュマンズの「MY LIFE」収録アルバム、『ORANGE』。