“レクイエム”でもそうだったが、ライヴの序盤で特に感じたのは、岡峰光舟(ba)の演奏の良さ。もう、集中力から暴れ具合までキレッキレだった。正確なリズムを刻みビートの土台を支えつつ、ココ!というところに遊びを盛り込む普段の彼のプレイが、さらに研ぎ澄まされることによって、土台の役割を担いながらも楽曲の主役を張るような瞬間が沢山あった。もちろんずっと前から良いベーシストであったわけだが、「良いベーシスト」以上の存在になっていくのかもしれない、と思わされた。
また、長髪を切り落とした頭が新鮮だった山田将司(vo)のステージ・アクションの格好良さも、ライヴハウスに比べ明るい野音だからこそより分かりやすく露わになっていたと思う。あの演舞のようなアクション、華があるし絵になることももちろんだが、何よりその動きによって本分であるヴォーカルが全く妨げられていないのが素晴らしいと思う。
最初に訪れたハイライトはライヴ中盤での、曲展開と詞世界がドラマティックに移り変わる暗黒のロック・オペラ“ジョーカー”から込み上げる性衝動を昇華したようなリリックが素晴らしいハードコア・チューン“墓石フィーバー”に繋ぐという狂乱の流れ。気が付けばすっかり暗くなっていた日比谷の空を、感情を抑えきれないかのようにのたうち回りながら放つ絶叫が切り裂いていく様は見ていて本当に圧巻だった。また、今日もステージの照明はいたってシンプル、その他特段の演出はなし、という「いつものバックホーンのライヴ」だったのだが、この2曲はなぜその簡易さがこのバンドの常となっているのかの理由を回答していたように思う。それは、スモークを焚いて赤い照明を当てているだけで十二分に格好良くなってしまうから、である。ほんの些細な舞台装置さえあれば(もしかしたら、それさえなくてもいいのかもしれない)曲世界を具現化できるだけの強固な世界観が完成しているため、基本的には4人とサウンドシステム以外何も必要ない、ということなのだ。ある意味、ロック・バンドとして理想的なことだと思う。
ただ一点、最新作『アサイラム』が金字塔となった、と書いたが、その点に関して抱いていた不安が今日晴らされることはなかった。その不安とは、卓越した完成度のあまり『アサイラム』が彼らの『アビー・ロード』になってしまうのではないか、あるいは最初はそんな辛気臭い終焉のムードと無関係であっても徐々に『空洞です』になっていってしまうのではないか、ということ。つまり、それまでの実験や試行錯誤が全て実を結んだようなあの幸福な傑作が、逆にそこからの進む方向と術を見失わせる最終到達点になってしまいはしないか、ということである。今日のライヴでも山田がエレアコを弾きながらメロディにアレンジを加え歌い上げた“夢の花”など、多少の新機軸は見られたものの、次の目的地を明確に示すような要素は、自分には感じられなかった。しかし、松田晋二(dr)はMCでこんなことを言っていた。「今年は今のところリリースもないんですが、今は次なる扉を開けようと日々頑張っています。今後も諦めず、やっていきます」と。どれだけもがき悩もうとそこから逃げなかった、またその姿を隠そうとしなかった彼らだからこそ、この言葉にはただならぬ説得力がある。この言葉を信じてとりあえずのところは、今日発表された、10月から始まる『「KYO-MEIワンマンツアー」~魂のマーチ~』を楽しみに待とうと思う。(長瀬昇)