JQ “僕らの事にさせて”は、ポップロック、UKロックでもあるし、好きなラインではある。でもやっぱり、普段よりも熱量を出して歌わないとっていうのが、レコーディングの時は結構苦戦した。Vaundy 俺たちの曲って結構、「本心はこうです」っていうのが最後にあるというか。たぶん、n-bunaさんのも俺のも。でもJQさんの曲はずっと本心を歌わない。JQ そう、うん。Vaundy 歌い方も「本心はこう」って言わないというか、ずっと窓越しで喋ってる感じ。この人、あんまり本当のこと言ってないんだろうな、っていうのがわかるところに、大人の渋さがあるというか。でも俺らの曲は、どっちかって言うと言いたいことが決まってて、そこをどう話すかみたいな思考なんで。それは歌い方を変えないと出ないっていう。JQ でも、あんまり覚えてないんです。なんか未知すぎて。自分では何も考えずに、トークバックから流れてくる彼らの声にとりあえず体だけ反応させてた感覚で。でもめっちゃ楽しかった。「あ、こんなのあるんだ」とか発見ばかりで。──《ただ上手く操ってほしいんだわ》っていう、“ポップス”の歌詞そのままですね。JQ うん、そうです。──そういうところも含めて、ふたりとも自分が持っているポップスの方程式を、この2曲を通してJQさんに伝えようとしている感じがする。JQ それぞれの曲の作り方というか、いわゆるJ-POPのHow toを全力で詰め込んでくれたっていう。それがすごくいい勉強になった感じはあるし、曲もそう。本当に、3人でメシ食ってる時のn-bunaくんが作った感じの曲になってるし、メシ食ってる時のVaundyがそのままこの曲になってるから。誰が歌うかだけは頭の片隅に入れておきながら、全力でいい曲を作ってくれたんだなって思いますね。──それを許容できたのは、6年メシを食い続けたゆえの信頼なのかも。n-buna 僕たちのJQさんに対する解像度が上がったうえでのこの書き方だとは思う。今だからできたのかもしれない。まあでも、細かく難しいことをいろいろ話しましたけど、これ、本当にシンプルな話だと思ってて。歌詞を見たらもう一瞬でわかると思うんですけど、僕たちがJQさんの人生というか今までをただ肯定してあげたかったんだなって。Vaundy 無自覚でやってるかも。n-buna 絶対出てる。歌詞、本当にラブレターみたいじゃないですか。──愛情に満ち溢れているし、同時に、もちろんJQさんが先輩ですけど、JQさんを導いていくみたいな視点もある。JQ うん、そうですね。n-buna 変な話ですけどね。僕たちみたいにポップスのメインストリームに近いところでやってると、やっぱりスタイルの差と、どこに受け入れられるかの差って、すごく出てくるんですよ。それをたぶんJQさんもすごく感じ取ってるし、僕たちも感じ取ってはいるはずなんですけど、なんかそこに対してのしょうもなさをずっと感じているところもあって。──しょうもなさ?n-buna そう。本当に、飛距離の違いっていちばんどうでもいい。センスがあると言われる行動や楽曲の基準って、どこまで自分たちに共感してもらえるかの尺度でしかないし、本来の創作の美しさとは何も関係ないはずで。僕たちは多数に共感されるポップスをずっとやってきたけど、違うフィールドで自分の表現を磨き続けて、ひとつのカルチャーでありながら、いろんなところに刺さる楽曲を出し続けている人がいる。その部分を、たぶん僕たちは肯定してあげたいんだと思う。JQさん個人に対してだけじゃなくて、自分たちが何かを発すれば少しマウンティングになってしまうような、メインストリームポップスというフィールドの罪深さというか。Vaundy うん。n-buna 歴史も評論もそうだから、みんなそれをいいものとして勘違いしてしまう。僕たちは音楽というカルチャーそのものが好きだから、それが本質でないことは、絶対みんなわかっているはずだけど、たぶんそこは多くの人が理解してくれない部分で。そのいびつさを解消したいという気持ちが、根底にはあると思う。俺たちの曲って、「本心はこうです」っていうのが最後にある。でもJQさんの曲はずっと本心を歌わない。ずっと窓越しで喋ってる。そこに大人の渋さがある(Vaundy)
──ある音楽がポップスか否かって、結果論ですからね。Vaundy ポップスは「ポピュラー」だから。あとからついた名前だもんね。俺も本当はポップスをやってるつもりはないんだと思う。音楽をやってて、それが受け入れられる方法が人間の来歴からなんとなくあるってだけで。n-buna 今の時代の、この日本の社会経済において、みんな共感してくれるものが、たまたま僕たちに合っているだけ。JQ 僕もポップスとは結果論であるとは思ってて。でも仮にポップスっていうものが、歴史があって、ヒップホップとかR&Bみたいなひとつのジャンルとして明確にあるとするならば、なってみたい。その中に入ってみたいっていう。J-POPって、総合ランキングみたいなもので、そのランキングの中に入る雰囲気があるなってずっと思ってるけど、それがなんなのか全然わかんなくて。でも、どうやら枠とルールがちょっとありそう、みたいな。でも全然わかんないから、メシを食べる時に話を聞きながら後ろでメモってる(笑)。──ゲームマスターたちの話を(笑)。JQ そうそう。今の世の中って、自分が知ってるワードでしか検索できないじゃないですか。今回の2曲で新たに自分の知らない検索ワードをもらえたから、ここから僕がいろいろ検索していくと、僕の世界は広がっていくと思う。n-buna JQさんは他人に共感したいんですか? 今のポップスの枠組みがどうなっているか知りたいっていうのは、僕にはずっと、他人が何を思っているか知りたいって話に聞こえてるんですけど。JQ それはまったくない。「なんだこれ?」みたいな。なったことないものになってみたいっていう欲ではあるかもね。Vaundy それって、自分以外の要素がいちばんでかいと思う。俺が作ったものは、広くみんなに聴かせたいとは思ってないんです。最初に聴かせたい人がいて、それこそアニメとかドラマの曲だったら制作者とか、事務所の人に聴かせたいだけ。でもその輪が広がってポピュラーになっていく。イメージとしては水槽なのか、水たまりなのかに物を落として、波紋が広がっていくみたいな。今まで誰も手をつけてなかったところに落とすと大きな波紋が長く続く。すごい荒波のところでは、波は起きない。大人たちがまず囲いを作って、「ここで1回やってみようよ」って波を起こして、それが「いいじゃん」ってなったら大きくなっていって、ポップスの中にVaundyっていう界隈ができる。そこが広がっていくのが、俺はポピュラーだって思う。n-buna Vaundyくんは本当の意味では、自分の作ってるものを信じてない感じがする。これって皮肉じゃなくて。自分の力だけですべてを切り開けるぜって僕はずっと思ってたけど、実はそうではなくて、周りにどういう環境ができているかによって、その波紋の広がり方が変わるし、その枠は他人によって決められるんじゃない?って話をしてますよね。──うん。作る瞬間のエゴはすごいと思うけど、そこから先は──。Vaundy 上空で起きていることは誰も干渉できないから。音楽に領空はないけど、領海はあるんですよ。落とすまではやっぱりひとり。だけど、落としたあと、キャッチする人たちがそこにどれぐらいいるかっていうのも大きいと思う。n-buna いや、面白いな。今、新しい一面を知った感じがします。自分のエゴの部分だけを強烈に信じている人だと思ってたから。Vaundy 二重人格の可能性はちょっとある(笑)。それこそ今は客観的なVaundyが喋ってるけど、作ってる時はもっと利己的で。JQ そうだね。作ってる時の感覚は、意外とみんな一緒だと思うんです。結局それがどう仕上がるかは自分で判断していかなきゃいけないから、エゴの塊でしかない。でも、ここから何が起きてんだみたいな。それこそポップスとはなんなのかと向き合うところが違う。僕はそこに立ったことがないから、興味を持って、今みたいに勝手に話してくれるのを待って酒を飲んでるんです。──今回のコラボは、まさにそれですよね。メシ会でずっとこんな話をしてるんでしょ? これは面白い。JQ そうでしょ? 同じフィールドにいそうで全然違うから、同じ現象を見てても、考え方は違うし、でもその核は全員一緒だとか、そんな話をしてると朝が来て、スタッフたちが時計を見始めるっていう。──今も話が終わりそうになくて、みんな時計をちらちら見ています(笑)。n-buna いつものノリが始まっちゃった。──この話を踏まえて、なおさら画期的なコラボだと思いました。Vaundy お客さんがどんな反応をするのかがすげえ気になる。JQ 今の話で言うと、本当に、普段3人がやってることをそのまま世の中に、上空からただ落としただけなんで。じゃあこれが海面に落ちた時にどういうエフェクトが起きるかっていうのは、なんの想像もせずに曲を作ってるし、僕も歌ったし。その超ピュアな、純度の高い3人の普段の会話が世の中に投下されるっていう意味ではすごく楽しみ。仮にポップスっていうものが、歴史があって、ヒップホップとかR&Bみたいなひとつのジャンルとして明確にあるとするならば、なってみたい(JQ)
このインタビューの完全版は、発売中の『ROCKIN'ON JAPAN』11月号に掲載!






