175Rが『NHK 紅白歌合戦』に出たというのは、青春パンクブームの総決算やったのかなと、今になってみると思います
──Bivattcheeの“はんぶんこ”のカバーは、当時のシーンに触れていた人がおっ!となっていると思います。
桑原が「やりたい」って言ってて、急遽、最後の最後で入れたんです。もともとは入る予定ではなかったんですけど。Bivattcheeも、よく対バンしてました。
──“桜の花が散る前に”とか、いい曲がいろいろあった広島出身のバンドでしたよね。メロディにどことなく和の香りがあるのも独特でした。
そうでしたね。いいバンドでした。桑原は“はんぶんこ”が好きというのもありつつ、「ガガガSPでやるのに合ってるんじゃないか?」というのも言ってました。カバーする10曲の中でどれかをミドルテンポとかにしたくて、そういう点でも“はんぶんこ”は合ってました。Bivattcheeも、このカバーがきっかけでいろいろ聴いてくれる人がいたらいいですね。
──マキシマム ザ ホルモンは、面白い曲を選びましたね。
“アナル・ウイスキー・ポンセ”を出した頃に、よく一緒にライブをやってたんですよ。
──ホルモンは、青春パンクとして捉えられていたバンドではなかったと思いますが。
あの流れではなかったです。でも、あの頃に一緒にしのぎを削り合ったというのがあって、「近しい仲」という感覚が自分らの中にあるんです。それで「カバーさせてほしいんだけど」という話をマキシマム ザ ホルモンのメンバーにして、快諾を得ました。対バンしてた頃は、どっちのバンドも世の中に出ていくことになるとはまったく思ってなくて。いつもお互いにバカ騒ぎして楽しんでたんです(笑)。ホルモンは今も現役バリバリですし、一緒にライブをやったりしていたバンドとして嬉しいですよ。
──ジャパハリネットも、対バンをしたことがあったんですか?
はい。ジャパハリネットがまだ地元の松山のバンドとしておった頃に対バンしたんです。ライブを神戸でやったので、初めて本州に連れていったのがウチやったんですよね。歌も上手いし、「このバンド、世に出るやろうなあ」と思ってました。ジャパハリも何曲か候補が出たんですけど、僕らに合いそうだという理由でカバーすることになったのが“物憂げ世情”です。
──ガガガSP流のアレンジをかなり加えましたね。
そうですね。フォークっぽいアレンジがいいのかなと思ったので。ジャパハリはバラードにアレンジしても合う曲がたくさんあるんですよ。“物憂げ世情”は、ちょっと吉田拓郎さんっぽいイメージのアレンジも加えて、70年代テイストになったのかなと思います。
──B-DASHは、英語でも日本語でもないめちゃくちゃ語で歌っていたことも含めて、独特なポジションでしたよね。ボーカルのGONGONさんが去年亡くなられたのが、とても寂しいです。
あそこまでリズム感と音感がよければ、めちゃくちゃ語でも逆にメッセージがあるようにも聞こえるんですよね。GONGONさんのあの独特な節回しは、もう音源以外では聴けないんです。そうなると世の中から忘れ去られてしまいそうなのが僕は寂しくて。あれだけ才能のあった人ですから、B-DASHのカバーはやりたいと強く思ってました。“愛するPOW”は、歌ってて楽しかったですよ。
──B-DASHも、青春パンクという捉えられ方ではなかったですよね?
そうですね。その前のメロコアブームのところから出てきたバンドなので。でも、メロディは歌謡曲に通ずるものがあるんですよ。それなのに英語で歌ってるバンド以上に英語に聞こえたんです。GONGONさんの音感のよさによるのかなと。カバーしたバンドの中でも、そういう点で群を抜いてます。天才ってああいう人やなと思いました。
──175Rは、青春パンクの象徴的な存在ですね。
175Rが『NHK 紅白歌合戦』に出たというのは、青春パンクブームの総決算やったのかなと、今になってみると思います。ボーカルのSHOGOちゃんは、実際に会って喋るまでは嫌いやったんですけど。「調子乗りやがって」って思ってたので(笑)。でも、喋ったらものすごくいいやつで。ちょくちょくLINEしたり、今でも仲良くさせてもらってます。当時はインディーズでやってると、芸能の世界に近いバンドに対して「なんやねん、あいつ」っていう感覚になってたんですよ。僕もあの頃、若かったですし。太陽族も当時はあんま好きじゃなかったんです。でも、ボーカルの花男ちゃんに会ったら、めっちゃええやつで、否定のしようがなくて。太陽族は女の子のファンが多くて、ウチは男のむさくるしい客ばかり。嫉妬してたんやと思います(笑)。
──(笑)。カバーした“ホタルの恋の歌”は、知っている人も結構いると思います。
CMで流れてましたからね。僕もCMで聴いて、「すごくいい曲だな」と、当時思ったんです。
──サンボマスターをカバーしたのは、なるほどと思いました。忘れかけていましたけど、青春パンクの流れから出てきたバンドでしたよね。今の世の中を生きていってること自体が青春じゃないのかなと。そう捉えながら、今、青春パンクをやってるところがありますね
オナニーマシーンのイノマーさんのプロデュースとかでやってたんですけど、青春パンクの時にサンボマスターは当たらなかったんです。サンボともホルモンと同じくらい付き合いが長いですよ。『キックの鬼』というのを出したり、その後の音楽性とは全然違う頃に出会ったので。カバーしたい曲はいろいろあったんですが、“世界はそれを愛と呼ぶんだぜ”にしました。
──ドラマ『電車男』の主題歌だった“世界はそれを愛と呼ぶんだぜ”のリリースは2005年ですから、サンボマスターは青春パンクの終息と共に広がったということですね。
そうなんです。サンボの音楽的なレベルの高さが、そうなった理由なのかなと。音楽的に甘っちょろいところがあるのを見透かされた感じが青春パンクブームにはあったと思うんですよ。そのカウンターとして世に出ていったのがサンボやったんでしょうね。『電車男』の第1話を観て、僕とのユニット(コザック前田と泉谷しげる)をさせていただいた泉谷しげるさんも出演していて、自分だけ置いてけぼりのような気持ちになりました(笑)。でも、サンボはそこに至るまでが長かったので、めでたいと思う気持ちも大きかったです。
──STANCE PUNKSも長い付き合いですよね?
はい。青春パンクのブームが終わってからもずっと音を鳴らしてきたという点で言うと、いちばん昔からの友だちです。
──“ノーボーイ・ノークライ”をカバーしたいと言ったのは?
山本です。STANCE PUNKSとは違うノリのパンクでカバーを提示したかったんですよね。
──このカバーでベースを弾いたのは、川崎テツシさん。STANCE PUNKSのベースじゃないですか。
カバーでもなんでもなくなってきてる気もしますけど(笑)。“世界はそれを愛と呼ぶんだぜ”もそうなんですけど、“ノーボーイ・ノークライ”はサビの歌詞が毎回違うんです。覚えられないので、同じにしてほしいですね(笑)。
──(笑)。10曲のカバーを通じて、ガガガSPにはないソングライティングにもたくさん触れたんじゃないですか?
そうですね。あと、共通する普遍的な部分を感じたのも大きいです。日本人が好きな普遍的な部分ってある気がして、それは今の若いバンドも踏襲しているんだと思います。
──ガガガSPはXのプロフィールとかで「日本最古の青春パンクバンド」と書いていますよね。今後も青春パンクを自称していきますか?
はい。ひとつくらいそういうことを言ってるバンドがおってもいいのかなと。あのブームの渦中にいた人間が青春パンクと言い続けることで広まることもあるのかなと思うんです。
──青春パンクの定義みたいなことってなんだと思いますか? なんとなくのイメージはありつつも、結構ふわっとしているようにも感じるんですが。
やっぱりみんな「生きてる」ってことを言葉にしていると思うんです。「青春」というと思春期とか楽しかった若い頃を指すことが多いですけど、人間は「生きてる」ってこと自体が青春じゃないかなと思うようになりました。しんどい状況の人も、「あの頃はよかったなあ」と振り返る人も、今の世の中を生きていってること自体が青春じゃないのかなと。そう捉えながら、今、青春パンクをやってるところがありますね。
──原点の青春パンクシーンの曲と向き合ったのは、バンドを続けていく意志を改めて固めることにも繋がったのかなと想像するのですが、いかがですか?
おっしゃる通り、意志が固まりましたね。ひとりメンバーが欠けましたけど、桑原の想いも持ちながら前に進んでいって、もう1回いろんな人の目にさらされる機会を作っていきたいと思っています。