──EPタイトルが『アナザーダイバーシティ』というのは非常に示唆的ですよね。「ダイバーシティ」という、いわば使い古された言葉に対して「多様性とは?」を問い直す作品でもあり。そもそも全員違うじゃないですか。名前も違ければ顔も違う。そんな中でわざわざ「多様性」という言葉を使うのは、それを認めたくない人たちがいるからだと思うんです(涼音)
涼音 僕は「多様性」という言葉なんて本来は存在してはいけないと思っているんです。そもそも全員違うじゃないですか。名前も違ければ顔も違う。そんな中でわざわざ「多様性」という言葉を使うのは、それを認めたくない人たちがいるからだと思うんですよ。全員が認め合っていればおそらく「多様性」なんて言葉は必要ない。でも、この作品をどう受け取ってもらっても構わないですし、それもまたその人の意見なので。それを潰し合うのではなくて、ああ、そう捉える人もいるか、みたいな感じで全員がいられたなら、また今とは違う世の中になってるかなと思いますね。
──“カテゴライズ”も、そのテーマを色濃く滲ませるものですね。ライター稼業などをしている身からすると、ドキッとするテーマですが(笑)。何か考察を加える時など、不要なカテゴライズをしてしまっていないかなとか。
涼音 なるほど、すみません(笑)。でもこれは本当に特定の人を想定しているわけではなくて、僕の日頃の鬱憤を詰め込んだ曲です。
miri ストレートだよね(笑)。
涼音 なんか「似てる」と言われることが多くて。誰々に声が似てるとか曲が似てるとか、時にはパクリだとか。マジで聴く耳ないんだなって、ちょっと悲しくなっちゃって。どう聴いたって違うのにそこに当てはめようとしてくるし、さらにこれを褒め言葉として使っている人もいる。じゃあ「それは褒め言葉じゃないよ」って誰かが言わないと、一生誰かと比べられて、それに対していいか悪いかみたいな評価になっちゃうから。ちゃんと自分の言葉で自分が思ってることを相手に伝えるっていうことをどんどんしなくなってきていることに対しての警鐘というか。鬱憤とはいったものの、そこには現代に感じる寂しさとか切なさみたいな部分があって。まだ僕は、それでもみんながちゃんと考えて話し合えるような世界であってほしいと少し希望を持っていたりしますし。
──“焦動” は昨年の夏、多くの人に聴かれる楽曲となりました。ミドルの強いグルーヴを感じさせる楽曲で。スケール感が大きくなりましたよね。シンセサイザーの力強さとか。
miri イントロからばーん!と鳴ってますよね。ライブのリハの時に、突然涼音に「アナログシンセの音がほしい」って言われて驚いたのを覚えています。
永山 この楽曲のビートのパターンが、個人的には得意だしめっちゃ好きなんですよ。激しめのシンセが乗ってもバランスを取れるようなビートで。こういう楽曲はベースとドラムのグルーヴが本当に大切だなと思って。叩いてて、見える景色がめっちゃ広くて気持ちいい曲ですね。
飯沼 この時は、自分もちょっとうねるようなベースラインにすごくはまっていて。この曲にはそれをうまく入れ込めました。
──そういう話を聞くにつけ、初期の頃の「アレンジが調和しない」という悩みの地点からは、今は本当に違うところに立っているんだなと思いますね。
涼音 そうですね。確かに。
──そして“アンバランスブレンド”は昨年、レトロリロンの名をぐっと広めた1曲でもあります。
涼音 今思えば、このEPが『アナザーダイバーシティ』という方向に向かったのは、この曲がきっかけだったと思います。「恋愛曲に聴こえるように書く」ということに意識的にチャレンジした曲でもあり。本当はでも、この曲もラブソングじゃないんです。受け取る人によっては「ラブソングだろ」としか思えない曲ではあるんですけど、これもまたひとつ、僕と社会の向き合い方みたいなところをテーマに置いたもので。自分が扱う日本語という言語で、どうバランスを保ちながらラブソングに聴こえる曲を書くかというチャレンジでした。日本語って本当に難しくて、助詞の一文字だけで意味がまったく変わってしまったり、前後にどういう言葉を置くかで表現する感情がまるで変わってしまう。そういう制限の中で、自分と社会というテーマを持ちつつも「ラブソング」としても聴こえるようにと。いや、なんか「ラブソング書け」「恋愛曲書け」って言うんですよ。音楽業界の人が(笑)。
──最も普遍的なテーマですしね。
涼音 恋愛を書くということはレトロリロン以外の人たちが常にやってきているわけで、この現代にもそのテーマでいろんな人を救っているアーティストさんがいるわけですよ。そこにわざわざ足を踏み入れていかずとも、僕が書けるラブソングはこれですっていう提示がこの曲だったかなと。
──それがこのEPのテーマへとつながっていったというのは興味深いですね。
涼音 そうですよね。この曲書き終わったあと、EP作品に取り掛からなければいけないというタイミングで、テーマをどうしようかと考えて。この“アンバランスブレンド”の時点で、社会に存在する「ダイバーシティ」という言葉に対しての懐疑みたいなものがあったので、じゃあ今回はそこを掘っていってみようかなと。
──ラストの“救いのない日々よ”はまさに「救いのない日々」を歌いながらも、どこか光というか希望を感じさせるサウンドで。EP3部作の完結にふさわしい楽曲だと思います。売れたくないと言ったら嘘になってしまうというか、売れたいけれども、決して売れたいわけではないという、この気持ちを適切に表す日本語って何かないですかね(笑)(涼音)
涼音 これは実は20歳ぐらいの時に書いていた曲で、そこに今の気持ちや価値観を加筆して仕上げたものです。当時の自分にアンサーを書くつもりでサビの4行を加筆しました。あと最後にAメロを足したので、その部分の歌詞も加筆して。
──そう。最後の《ちょっとやそこらで諦めない/君を見てたら悔しくなった》というところ。1Aでは《君を見てたら苦しくなった》と歌っているけれど、最後はそこが《悔しくなった》に変わっていて。そこに救いのない日々から抜け出す能動的な思いを感じ取れるというか。
涼音 そうですね。当時、誰にも相手にされてなかったんですよ。8年ぐらいシンガーソングライターをやってましたけど、お客さんがゼロの日もありましたし。ライブの物販ってあるじゃないですか。弾き語りのライブって4、5人が出て、それぞれにライブ後に物販するんですけど、お客さんがいっぱい入った日でも自分の物販の列には誰も並ばなかったりして、そんな時は自分の存在ごと否定されてるような気持ちになるんですよね。その気持ちが未だに残っていて。その時はやっぱり苦しかったけど、その当時の自分を思い返して、今は苦しくなくなったなという感覚がある。それはバンドが売れてきたとか、お客さんが増えたということではなくて、音楽に向き合っている自分が苦しいよりも悔しいという感情のほうが強くなってるんだなっていう。その自分の気持ちの変化みたいなところを、当時の自分にアンサーしながら書いた曲ですね。過去に書いた曲はあまり引っ張り出さないでおくというのが、僕のルールなんですけど、「これは絶対にやったほうがいい」って飯沼がうるさかったので(笑)。
飯沼 ふふふ。僕の勘は当たるんです。実をいうと“深夜6時”ももともと20歳の頃にあった曲で、それを「やろうよ」って言ったのは僕なんです。結果的に、先ほど「ロングヒット」と言っていただけましたけど──。
涼音 言わせておこう(笑)。
──(笑)。今回のEP作品を経て、レトロリロンは次のフェーズへ向かうわけですが、今後はバンドとしてどんな展望を持っていますか?
飯沼 今まではレトロリロンを作っていく時間で、ここからはポップスバンドとして完成されたレトロリロンを見せていくタームなのかなと。今作で明確にバンドとしての音楽ができあがったとメンバー全員が感じていると思うので。
miri ここからはいろんな人を巻き込んでいきたいですね。レトロリロンの音楽を必要とする人をもっと増やしていきたいなと思います。
永山 僕も音楽に救われてきたひとりの人間なので、自分たちの楽曲を聴いていろんな人の心が動いてくれたらいいなと思っています。
──涼音さん、どうですか?
涼音 売れたくないと言ったら嘘になってしまうというか、売れたいけれども、決して売れたいわけではないという、この気持ちを適切に表す日本語って何かないですかね(笑)。まあ、すごくぼんやりした展望ではあるんですけど「この時代にレトロリロンというバンドが存在していてよかった」と言ってもらえるようになりたい、かな。まずはもっと多くの人に知ってもらう必要もありますし、能動的に自分たちの音楽をより多くの人に知ってもらえるよう、2025年はしっかりと動いていきたいなと思ってます。
──2月から始まるワンマンツアーもとても楽しみにしています。
涼音 ありがとうございます。
ヘア&メイク=Hiroko Takashiro スタイリング=Daisuke Hara
レトロリロンは1月30日発売『ROCKIN'ON JAPAN』3月号のLook Up!コーナーにも登場!
ご購入はこちら
*書店にてお取り寄せいただくことも可能です。
ネット書店に在庫がない場合は、お近くの書店までお問い合わせください。