1990年代以降の30年は、オルタナティブがメインストリームに馴染んでいく30年だった。ダイナソーJr.の怠惰も、ソニック・ユースのノイズも、ニルヴァーナの矛盾も、今では当たり前の表現形態になった。オリヴィア・ロドリゴもビリー・アイリッシュもオルタナティブの子供たちである。それは勝利なのか敗北なのか。見方はそれぞれだろう。しかし、景色が一変したのは疑いえない。スティーヴ・アルビニが死ぬまで頑固一徹な哲学を守り通したとしても、90年代の遺産がアンダーグラウンドのネットワークを超えてしまったことには変わりない。ソーシャルメディアの接続過剰は、オルタナティブの根拠を根こそぎ奪ったようだ。では、2026年の私たちは何を先人から学べるのか。
ピクシーズとレディオヘッドは歪んだレンズで日常を眺めた。ペイヴメントとマッドハニーは醜いものを笑い飛ばした。ザ・スマッシング・パンプキンズとウィーザーは止められないロマンチシズムに賭けた。それは、個人のつたない生活に基づく表現が、普遍性へと化ける瞬間だった。そのダイナミズムが生まれなくなった時代に、「オルタナティブ」とは一体何なのか。
もちろん、こうした問いへの回答が抽象的に終わったらしょうもない。結局、ひとつひとつの実践の中にしか答えはない。ただ、先人を懐古する行為が、つまらない再確認に終わらないことを願って。ここから、未知の「オルタナティブ」が生まれるように。(伏見瞬)
90年代オルタナティブ・ロック特集は2月6日発売の『ロッキング・オン』3月号にて掲載です。ご購入は以下のリンク先より