【座談会】2025年の洋楽ポップシーンはどこへ向かうのか? 「POP NOW 2025」特集で読み解く最新動向

山崎 「あと、ここ数年は女性アーティストが圧倒的に強いじゃないですか。これに関しては皆さんどのように思っていますか」

伏見 「女性アーティストが強いっていうことにすごく関わっていると思うんですけど、最近ダンスをひとつの武器にしているアーティストが少なくなったなって思うんですよね。たとえば80年代のスターって、マイケル・ジャクソンにしろ、プリンスにしろ、曲もすごくいいし歌もうまいんだけど、ダンスができるってことがめちゃめちゃ大きかったと思うんですよ。でもここ10年ぐらいの男性のポップスター、たとえばザ・ウィークエンドとか、ドレイクとかはダンスで魅力を放つ人ではなくって。そこが、男性ポップミュージシャンの強い人が出てこなかった理由のひとつなのかなって。ダンスは英語/日本語みたいな言語の壁を超えて、ユニバーサルランゲージになると思うんですけど、それが、最近の欧米中心の男性ポップミュージシャンにはあまりなかった要素なんじゃないかなって思っていて」 

山崎 「それによって、いわゆる物語や感情を歌う女性アーティストのシェアが増えたと」 

伏見 「増えたと思います。昔から女性アーティストはシンガーとしての実力というか、声が強い人が売れている印象があったんですよね。で、男性はダンスができる人がスターになった。僕、ヒップホップの人に、なんで超ダンスがうまいスターが出てこないんだろうって思ってたんですよ。K-POPでもアメリカでもそうだと思うんですけど、大きい事務所が主導して、オーディションしてやりますみたいなのは多いけど、それを自分たちでやるみたいなグループが出てきたらめっちゃアツいなって思っていますね」

つやちゃん 「それはいわゆる、作られたエンタメっていうよりは、ポップミュージックの世界において、アーティストの日常の生活とか親密さみたいなものをいかに伝えるかっていうトレンドがずーっと続いているからじゃないですかね。作られたもの、いわゆるパフォーマンスみたいなものにリアリティを感じないというか。そういう時代にどんどんなっているんでしょうね。K-POPみたいに、エンタメとして『こういうものです』って作るものはあると思うんですけど。とはいえ、ダンスグループはK-POP以外だとFLOぐらいですよね」

伏見 「そこはアメリカとアジアの違いって感じもしますね。アジアだとダンスグループ、ボーイズもガールズもめちゃくちゃいるし、めちゃくちゃ強いけど、アメリカやイギリスにはいないですよね。そこは面白いですね」

つやちゃん 「しかもK-POPも、最近のBLACKPINKのソロの動きとか見てると、いわゆる集団的なパフォーマンスから、アメリカ的なソロスター像にシフトしている気がするので。あの辺も潮目が変わってきているような、K-POPの全体の盛り上がりも落ち着いてきていますし。あの辺も、グローバルでのアジアのポップミュージックも、潮目が変わってきている感じはしますね」

木津 「僕はシンプルに、2010年代の第4波フェミニズムがあったときに、Z世代以降がデフォルトになって、その感覚をパーソナルに表現できるのが女性アーティストに多いことが大きいんじゃないかって思います。そうなったときにチャペル・ローンが、あれだけレズビアンの性愛や恋愛、ロマンスを赤裸々に歌うのは新しいんですよね。アンダーグラウンドでクィアな表現っていうのは、もちろんたくさんあったんだけど、あそこまでポップなものとして、メインストリームでぶち上げるのは、なかなかなかったので。ただ一方で、新たな男性性もポップシーンで生まれていると思っていて。実はテディ・スウィムズの大ヒットって、結構重要だと思っているんですよ。テディ・スゥイムズの“Lose Control”ってレトロソウルで、ある意味すごく安全なポップスじゃないですか。ただ、昔のマッチョな男性みたいなオラオラ感はあまりなくて、歌っている内容も失恋で。


ベンソン・ブーンのヒットを見ても、新しい世代の男性像が出てきているし、必ずしも女性アーティストのものすごい天下ってことではない。ブロカントリーもある種の保守的な男性像を追っているんだけど、モーガン・ウォーレンとかも含めてちょっと時代に合わせてアジャストされている男性アーティストが出てきているのも、ここ数年の大きい特徴っていう気もしています」

伏見 「テディ・スウィムズは面白いですよね。あんなに見た目がいかつくて、声もソウルフルで太いけど、歌詞はほとんどウィーザーみたいですもんね(笑)。《お願いだ、僕のそばにいてよ》っていう、ほんとに情けない歌詞を書いていて。その辺は、今木津さんが言ったようなマスキュリニティの再定義なのか、今まで見えなかった部分を表していて。その辺って少しずつ変わってきている感じはしますね。僕はコーチェラでベンソン・ブーンのセットでブライアン・メイが出てきて“ボヘミアン・ラプソディ”をやっていたのが、めちゃくちゃ面白かったです」

つやちゃん 「ベンソン・ブーンの来日公演、すごかったですよ。筋肉大会でした。あ、これがまたアリになってるんだっていうのが衝撃的で」

山崎 「たとえばベンソン・ブーンの場合は、どう再定義されているんですか?」

木津 「共感性みたいなことですかね。ドレイクとカニエ・ウェストが弱さをさらけ出すとか、泣いてしまう俺っていうのをやっていたけど、やっぱりそこはナルシスティックだったっていうことが、今言われているんですよね。それに比べてベンソン・ブーンの世代は共感性がベースになっているっていちばん言われていますね。男性の弱さを、“他の男性アーティストとは違う俺”ではなく、ポップとして、共感性でリスナーと繋がっていくっていうのが、わりと男性像としても新しいって言われています」

山崎 「なるほどね。じゃあ男性アーティストも新たに再定義されつつ」

木津 「真新しくはないけれども、微調整されて売れている感じがしますね」

山崎 「でも確かに、新しい男性性って表現として確立するのは、それなりにちゃんと才能のある人が時間をかけてやらないと、なかなか大変なことですよね」

木津 「そうですね。クィアポップって話になったときに、どうしてもアメリカだと文化戦争の話になってしまうところもありますしね。男性性が必ずしも保守と結びつくのではなく、ふわっと着地させているところが今っぽいなって思います。そこは僕は、わりとポジティブに捉えていますね」

山崎 「なるほどね。70年代のマッチョなロックバンドに象徴されるような古い男性性は遠い昔の話ですね。だからといって90年代も00年代で新しい男性性が表現されたわけでもなく、せいぜいボサボサした感じでバンドやる、みたいな消極性でしか表現されていなかったけど。でも今の男性アーティストは、そういうところをちゃんとやろうとしているのかもしれないですね」

木津 「そうですね。且つ、そこまで政治化されていない、もっと自然な感じで、それを表現しているのがいいなって思います」 

山崎 「あとは、これはアメリカに限られているけど、ポップシーンにおけるカントリーの復権ぶりについてはどうですか?」

木津 「僕は去年の年末座談会で話した通りで、ちょっと後ろ向きなところが大きいかなって思っているので。難しいなって。アメリカっていうものが、すごく内向きになっているものの象徴のひとつだと思います。とはいえ、それこそシャブージーみたいな、そこからさらにオルタナティブなものをやりつつ、しかもメジャーでも存在感がある人も出てきているので、カントリーに関してはそっちに期待したい感じですね」

山崎 「じゃあ、やっぱり保守化っていうふうにざっくり見ている感じですね?」

木津 「そうですね、全体としては」

山崎 「これを『再定義なんだ』って見ている人はいない?」

伏見&つやちゃん 「んー」

伏見 「再定義ではないんだけども、やっぱり今までアメリカがカントリーの国だったよねっていうことでもない気がして。ずっとカントリーってあるんだけども、それがこんなにポップチャートにのってくるのは、ちょっと異様だと思うんですよね」

山崎 「そうなんですよね」

伏見 「それをどう捉えればいいのかっていうのは、難しいところだなって思っていて。ひとつは、アメリカがこのままポップの中心に居るのかどうかっていうことをすごく考えますね。とはいえ、他に何があるんだっていうのもわからないっていうのが現状で。チャーリーがイギリス人っていうのも考えれば、もう一回イギリスが来るっていうのもあり得ない話ではないけども、でも、ほんとにそうなのか?って疑わしい。中心地がわからない、っていう状況を表しているように僕には感じ取れるんですよね」

次のページ予測不能な時代に突入したポップ、次に現れるスターは?
rockin'on 編集部日記の最新記事
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする
音楽WEBメディア rockin’on.com
邦楽誌 ROCKIN’ON JAPAN
洋楽誌 rockin’on