U2ボノ&ジ・エッジ最新ロングインタビュー! 20周年を迎えた金字塔『ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』のすべてを語る

U2ボノ&ジ・エッジ最新ロングインタビュー! 20周年を迎えた金字塔『ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』のすべてを語る

現在発売中のロッキング・オン2月号では、U2のインタビューを掲載!

以下、本インタビューの冒頭部分より。



「最近、音楽生成AIをいじって、試しにU2サウンドに近いものを作らせようとしたんだ。そして気づいたんだ、U2にはジャンルがないってことに。実は既知のロックンロールのジャンルには当てはまらないんだ」(ジ・エッジ)


●『ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』を完成させるまでのほぼ2年間にかけて何が起こっていたのでしょうか?

ジ・エッジ「僕たちは、U2の最も初期の形態、そして僕らが最初に刺激や影響を受けた音楽に戻るときだと感じたんだ。79年と80年はパンクロックの美しい余韻が漂っていて、あの頃若いバンドたちはシド・ヴィシャスやザ・クラッシュ、バズコックスがルールブックを破るのを目の当たりにして、初めて自分たちのガレージに入っていったんだ。誰がレコードを作る資格があるのか、曲を録音してリリースするという素晴らしい贈り物に自分が値すると考えることを誰が許されるのかという点で、完全にルールブックを破ったんだ。そして、本質的なエネルギーと自分のアイデアを簡潔に伝えるということがすべてだった。いかなる詰め物を入れる余地もなかった。それは、60年代のモッズミュージック、ザ・フー、英国の偉大なバンドの伝統における、当時僕たちがロックンロール45回転と呼んでいたもので、無駄がなくてがむしゃらで。取り入れていたのはそういうもの。とにかく荒削りで、本質的で、エネルギーがすべてであるというものにしたかった。実際初期段階のデモは全部それだったよ」

ボノ「そして迷子になったんだ」

ジ・エッジ「ある時点で、当然ながら知り過ぎているということになる。ニュアンスを加えてみたり、複雑にしてみたり、オーバートーンでもアンダートーンでも何でも重ね始めるわけだよ。だからこの10曲から実際に得られるのは、当初候補となっていた数々のアイデアに凝縮された生のエネルギーなんだ。途中でさまざまな理由から滑り落ちてしまったわけだけどね。いわばトラックの荷台から溝に落ちたんだ。それで、『ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』の記念リリースに何を追加できるかを検討したときに、CDのアウトテイク集を徹底的に調べたわけさ」

ボノ「大量破壊兵器がイラクに隠されているという噂があった当時の世界情勢は別にして、『ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』の歌詞にあった語られない糸は、(エレベーション・ツアー中に)父が亡くなったという事実だった。今に至るまで残響が続くとは当時は知る由もなかったね。それは少なくとも僕が解体しようとしていた“原子爆弾”だった。自分にとっての一種の心理的グラウンドゼロ……それは誰もが持っているものだと思う。だからオリジナルのアルバムには、全編にわたって父親像が出てくるんだ。“サムタイムズ・ユー・キャント・メイク・イット・オン・ユア・オウン”には僕の父、ボブ・ヒューソンが出てきて。“ヤハウェ”には天の父が登場する。そして自分自身が父親であることについての曲……“オリジナル・オブ・ザ・スピーシーズ”もあって、それはエッジとラリーと僕の身に起こったことだった。ロックンロールらしからぬテーマだけど、おかげでギターとベースとドラムで演奏するオペラが生まれたし、そこから始まった内省は、最終的にはバンド全体としての、自分たちを形作っているものは何かという問いに影響を与えたんだ。僕は“シティ・オブ・ブラインディング・ライツ”が最初のソング・オブ・イノセンスだと思っていて、『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』を除いて、あの『ソングス・オブ・イノセンス』、『ソングス・オブ・エクスペリエンス』の時期が20年間続いたけど……全部回顧的なものだよ。それはもう終わったことだから、みんな喜んでくれると思う……僕が母や父について憤ったり愚痴を言うのを二度と聞かなくていいんだ……まあ今度はこっちのオペラが出るけどね、ハハ!」

(以下、本誌記事へ続く)



U2の記事の続きは、現在発売中の『ロッキング・オン』2月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。

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