現在発売中のロッキング・オン5月号では、ザ・リバティーンズのインタビューを掲載!
以下、本インタビューの冒頭部分より。
「今日、こっちに来る間に新作を最初から最後まで聴いたんだ。
俺たち、曲に合わせて歌い、笑い、涙ぐんだ。それって初めてだよ」
過去19年間で、私はザ・リバティーンズと3回交戦したことがある。ただし本当の意味で、ではない。うち2回はピート・ドハーティ相手で、彼の名を知らしめたバンドとは別のプロジェクト、ベイビーシャンブルズ、およびザ・ピュータ・マドレスのための取材だった。1回目のインタビューは05年、ロンドンのみすぼらしいホテルの寝室にて――オートバイにまたがった彼は、ウトウトせず目が覚めている間は、エンジンを吹かし、取材中、ほぼ眠りこけていた。
当時26歳だったピートはドラッグ摂取用グッズに囲まれ、壁には彼自身の血で「ROUGH TRADE」(※当時ベイビーシャンブルズの所属していたレーベルが〈ラフ・トレード〉。「荒っぽい男娼」というスラングでもある)の文字がなすりつけられていた。最後に会ったのは5年前だったが、その時の彼はもっと良い状態で、前より愛想も良かった。とは言え、彼はまだコカインを吸っていた。彼の放ったパンチは私の顔をすれすれでかすめ、その無礼のお詫びに私の額にキスし、ボロ家の自宅に私を連れて行き、様々な所持品を売りつけようとした。それでもやはり、彼には人を引きつける何かがあった――彼はかなり努力していたものの、ブッ壊れた才気の輝きと規格外な魅力は隠しようがなかった。
彼のソウルブラザーにして、スパーリング相手であるカール・バラーに私が出会ったのは06年のことで、当時の彼もリバティーンズから立ち直りつつあった。カールはダーティ・プリティ・シングスを結成したばかりで、同バンドの1stがもうじき出るタイミングだった。物静かで、人好きのする彼は、しかし深刻な鬱を抱えていた。「邪悪なカール」なる、人生を滅入るものにしてきた、彼の自己破壊的な側面について盛んに語った。別の意味で、ピートと同じくらいカールの将来にも危惧を抱かされたものだった。
そんなふたりは、4作目のために元のさやに戻った。2ndから11年経った15年に、彼らは『リバティーンズ再臨(原題:Anthems For Doomed Youth/死すべき定めの若者のための賛歌集、の意)』をリリースしている。詩人ウィルフレッド・オーウェンにちなんだアルバムタイトルは――たとえ作品そのものはそうではなかったにせよ――まさにリバティーンズらしい、痛切で詩的、かつ何らかの戦争に煽られたものだった。
(以下、本誌記事へ続く)
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