レディオヘッドの『KID A MNESIA』が今日発売! トムとスタンリーが制作過程を振り返る貴重映像公開。ジャケ写で泣いてるモンスターは東京のオモチャ屋さんで思い付いたなど。

レディオヘッドの『KID A MNESIA』が今日発売!  トムとスタンリーが制作過程を振り返る貴重映像公開。ジャケ写で泣いてるモンスターは東京のオモチャ屋さんで思い付いたなど。

レディオヘッドが、『Kid A』と『Amnesiac』の20、21周年を記念し合体させた『Kid A Mnesia』を今日11月5日に世界同時発売する!

Tシャツ付き限定など日本盤発売の詳細はこちら。
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12094

最近、この中から”Follow Me Around”のMVが公開された。

また1998年1月21日に福岡のサウンドチェックでこの曲が演奏されている映像も公開されている。

その前に公開された”If You Say The Word”

アルバムの発売と同時に、そのアートワークを手掛けたスタンリー・ドンウッドの『Kid A』、『Amnesiac』時の作品6点が、なんとクリスティーズでオークションされた。すでにオークションは終わっていて、5万ポンドから13万7500ポンドで完売している。
https://www.christies.com/features/Radiohead-11846-7.aspx

それに際して、クリスティーズが、トム・ヨークとスタンリーが当時を振り返るインタビューを公開している。これがかなり面白い。絵について語っているんだけど、結局アルバムについて語っているから。つまり、この作品の制作過程で音楽とアートワークがいかに密接に関わり合っていたのか分かるのだ。トムは、『OKコンピューター』の後の作品が作れなくなったところから救われたのはアートワークのおかげだったと語っている。そもそも音楽制作のスタジオの上に、中2階があり、その上に、スタンリーのスタジオがあったのだ。また、『Amnesiac』のジャケ写にも登場する泣いているモンスターは、日本のおもちゃ屋さんに行った時に思い付いたという裏話も面白い。

ただ、この映像が公開されてからすでに少し時間が経っているので、すでに知ってる内容だったらすいません。

まずは、スタンリーのスタジオ訪問映像。

トム「『OK コンピューター』の後、全く音楽を作れなくなってしまった時に、パートナーのレイチェルに、『しばらく音楽はやめて、アートに戻ったら』と言われた。それで、広い場所で、絵を描き始めたら、それが正にその時やるべきことだったと分かった」

スタンリー「音楽が常に聴こえていたら、この作品を見るとそれが聴こえてくる。音楽と一体なんだ」

トム「この絵は僕らの声であり、僕らがいかにものを見ているのかが表現されている。この時期をすごく誇りに思っている。僕らの声をアートを通して表現する術を見つけたから。単なるレコードジャケット以上のすごくエキサイティングなものに発展した」

ここで、9.11(アメリカ同時多発テロ事件)が起きる前に、なぜか2つの塔ばかり描くようになって、「何かがやって来ると強く思っていた」とも語っている。

今回アルバムの発売と当時に、当時の作品も様々な方法で発売される。
https://store-us.kida-mnesia.com/

2人がやりとしたファックスなどが、本になって発売される。

そしてこれもクリスティーズで行われたインタビューなんだけど、すごく面白い。2人が使っていたというファックスがそこに置かれていて、「サンヨーSFX 33」だと嬉しそうに語っている。以下超長くてすいません。50分もあるインタビューの要約です。

1)『OKコンピューター』後の闇から抜け出せたことについて。

トム「『OKコンピューター』後のツアーが終わって、自分自身の迷宮に入ってしまったんだ。それは自分がやったことに対する自己批判から来たもので、みんなが僕をある特定の方法で見るようになったことも大きく影響していた。それにどう対処すればいいのか分からなかったから、その多くを内向化してしまい、自分を閉じてしまったんだ。だから曲を書こうとして楽器を目の前にすると固まって、自分の中で小さい声が聴こえていた。

それで、永遠に永遠に、”Everything In Its Right Place”のリフを何度も何度もメディテーションのように弾いて、なんとかそこから脱出しようとしたんだけど、それができなくてできなくて。

それでいったんしばらくは音楽を止めたんだ。

その時コーンウォールにいて、外をよく歩いていたんだけど、風景を見て、海によく行って、風景を見ながら、絵を描き始めた。それでビジュアルで物事を考えるようになった。ビジュアルのみで考えるようになった。音楽を作るのはしばらく止めて、音楽は自分のやるべきことじゃなかったのかもしれないと思うようになった。だから、違う方法でクリエイティブになれる方法を模索していた。結果的には、それが全てを救ってくれた。すごくゆっくりだけど、危機から救ってくれたんだ。

だけど同時に、風景を描くことが、新たな言語にもなった。風景って、全ての意味において、ありきたりではあるんだけど、それしかスタンリーと僕にはなくて、それしかやっていなかった。でも、それが間違いなく打破できた理由だったし、打破する方法だったんだ。それで、パリに行って、ホックニーを観たことがきっかけとなったのかもしれない」

スタンリー「ポンピドゥー・センターで見たホックニー展のおかげだったと思う。パリとコペンバーゲンでライブをやった時に、アートを見に行ったんだけど、その時のホックニー展が、グランドキャニオンを描いたもので、巨大なモザイクだった。それぞれのキャンバスは正方形で普通の大きさではあったんだけど、でも、全体としては、ほとんどグランドキャニオンに向かって歩いていくみたいな気分になるくらいの大きさだった。それが最高だったんだ」
https://nga.gov.au/hockney/grandcanyon/default.cfm

トム「ホックニーを見たおかげで、風景は、僕らがやっていることの言語にできると分かった。偶然にもその時点で、もうそれをやり始めてはいたんだけどね。解放され、自由になるためだったけど、それでホックニーを見て、『あっ、これで正しかったのかもしれない。ここに何があるのかもしれない』って思えたんだ」

2)『Kid A』のアートワークでも使われた絵について。

スタンリー「僕らはコンクリートでできたほとんど独房みたいなビルを借りていた。そこで風景を描こうとしたんだけど、なぜか描けなかった。それで、ユーゴスラビアで起きている紛争を見て、酷く動揺したことがきっかけとなった。ちょうどインターネットのおかげで、初めて、起きていることをほぼ同時に見ることができた。僕らのいる場所のすごく近い場所で起きていて、ベルリンの壁の崩壊でもう過去のものになったと思っていたのに。しかもそれが全て冬に起きていて、雪が降った、非常にヨーロッパ的な、僕らに馴染みのある風景の中で起きていた。それがあまりに残酷だった」

トム「バイオレンスを描いては、その上に塗って隠していた。それがすごく面白いと思った」

レディオヘッドの『KID A MNESIA』が今日発売!  トムとスタンリーが制作過程を振り返る貴重映像公開。ジャケ写で泣いてるモンスターは東京のオモチャ屋さんで思い付いたなど。

3)音楽スタジオと絵のスタジオの行き来

トム「僕は虫と同じくらいの集中力しかないから、曲作りをしている時に、自分にできることがなくなったら、(レコーディングしている)スタジオから出て、(絵のスタジオで)違うことができた。それはバンド・メンバーに訊いてもらっても分かるけど、彼らにとっても良いことだったんだ。なかなか進まないからって、僕がイライラしながら、そこで待ってなくて良かったわけだからね(笑)」

「絵があって良かったのは、絵を前にすると、音楽でやっていることを新たな方法で捉えられたこと。(絵のスタジオに来て)何かしらの会話をして、(音楽の)スタジオでその会話の続きが出来た。だけど、それは『僕らはこうするべきだと思う』というような決定的なものではなくて、スタンリーと僕は、その周辺で、興味のあることを語り合っていただけだったから。『これが何を象徴しているから、これを描くべきだ』とかってものではなかったんだよね」

スタンリー「アートワークも、音楽もいくつもの層があったからね」

トム「それと一緒に、スケッチブックを2人で交換していたんだ」

スタンリー「だから今ここでサンヨーSFX33を見れて嬉しい。2人でファックスでやり取りしたからね」

そのやり取りが、前述した本に掲載されている。

4)『Kid A』からすぐに『Amnesiac』ができたことについて。

トム「僕は病的に締め切りを否定していたけど、でも、制作から、1年半から2年経っても新しいアイディアがどんどん沸いてたから、収集のつかないレベルになってしまって、とりあえず『締め切り』を設定することにした。だけど、あまりにたくさんの素材があったから大変だった。しかも、それをどうするのかについて全員の意見が違ったのが苦痛だった。ただ、少なくとも僕には、ある順番で並べてみたら、強烈なビジュアルが浮かんできてそれがエキサイティングだった。それが感動的だったんだ。作っている時は、あまりに自分に自信がなくて、すごく闘うわけだけど、でもそれをまとめた時に、自分が何をやろうとしていたのかが、見えて来た。最初から地図なんてなかったのに、とうとう地図が見えたんだ」

スタンリー「全く計画がなかったからね」

トム「それがこの全ての最悪なところだった(笑)」

スタンリー「この2枚のアルバムは、繋がっているものとしてほぼ同時に出来上がっていった。それはビジュアルにおいても同じだった」

5)当時普及し始めたインターネットとの関わり方

スタンリー「当時インターネットは、まだ普及し始めたばかりだったから、若くてイノセントな生き物だった。何にでもなれる可能性があった」

トム「可能性だった」

スタンリー「radiohead.comを作って面白いことができた。でも、今は面白いものではなくなってしまった」

トム「誰かに、毎月50万人の人たちが僕らのウェブサイトを見ている、と言われた時に、僕らは完璧にぶっ飛んだんだ。

当時は、僕らのスケッチブックの延長線上として捉えていたから、ウェブ上で発言することに関して、何も恐れていなかった。何だって良かった。すごくパーソナルな時もあれば、怒ってる時もあった。

だけど、今のインターネットのあり方については、僕の中では、問題があるし、理解できなところでもある。インターネットのコミュニティがあるおかげで、人々がコミュニケーション取れるようになって良かったのか?もしれないけど、同時に、アーティストは実在する人間として機能していく上で抑圧になっているように感じるからね」

スタンリー「インターネットは当時はまだニッチだったし、Facebookができたのが2005年とかだからね」

トム「『いいね』されるかどうかは当時は気にしてなかった、ってこと(笑)」

6)『Kid A』のミノタウルスについて。涙を流しているミノタウルスについて。

スタンリー「ミノタウルスは、闇にいるモンスターと地下にいるモンスターの普遍的な比喩みたいなものだ。それは人間なら誰もが共感できるすごくプライマルな恐怖を象徴していると思った。それで、涙を流しているミノタウルスが、すごくかわいいキャラクターとなったのは、僕が東京に初めて行ったのがインスピレーションとなった。日本には、本当に最っ高のおもちゃ屋さんがあったんだ。当時僕の子供はまだ小さかったから、そのおもちゃ屋さんであらゆるおもちゃを買ったんだけど、キティちゃんみたいなかわいいキャラクターがいっぱいあってさ。

それで、ミノタウルスについて考えてみて、モンスターは、当然僕ら自身なわけで、つまり、牢獄は僕ら自身が自分たちの周りに作り上げたものだった。そこで泣いているミノタウルスは、漫画のような悲劇であって、それは僕らなんだよね」

トム「アートワークの中に、ああいうキャラクターを使うのは、風景からの、良い支脈だと思った。キャラクターは、僕らバンド自身ではないし、それ以外の何かだったからね。

例えば、”You and Whose Army?”を考えると、そこには間違いなくキャラクターが存在するわけで、そこに誰かがいて、おいで、おいでって言ってる。ありきたりのことを陥るそのエッジに立っているんだ。

それからミノタウルスについては、自分の考えに煮詰まっているという概念でもあって、それが間違いなく僕がいた場所だったからね(笑)」

7)歌詞とイメージの関わり

スタンリー「歌詞とイメージが常に一緒にあった」
トム「2人ともファインアートとイギリス文学を専攻していたから、いつも文章でやりとりしていた。だから常にそれが隠れた骨組みになっていた」

スタンリー「バーバラ・クルーガーなどのアーティストが好きだったし、写真と文字を合わせると別のものが出来上がった。だから、トムから歌詞をもらうと、それを切って、並び方を変えたんだ」

トム「それに歌詞ってスローガンみたいなものだっていつも思っていたしね」

8)20周年の記念版発売について

トム「この作業をして良かったと思ってる。そこで何かを見つけられたから。でも今はもうそこからは離れたい」

「エキシビジョンをするかもしれないということで、当時の作品を見返してみて面白かったのは、自分たちがそれを見て、何をしようとか考えるのではなくて、そこにあるもの自体が、何をするべきなのかを僕らに語りかけてきたこと。バーチャルのエキシビジョンをするわけだけど、おかげで、その過程がすごく楽しかった」

スタンリー「だから僕らは今回のために何か新しいことをしなくて良かった。今こうやってまとめてみて、それを何のために作ったのかが見えただけだった」

9)『Kid A』のブリップについて。

https://twitter.com/radiohead/status/1456275164887347200
https://twitter.com/radiohead/status/1455965647486214149

トム「レーベルに、テレビ用の広告を作りたいと言われて、見せられた内容が、例えば、30秒のコマーシャルの中で、これがオアシスのレコード・ジャケットです。とか『パーク・ライフ』です、云々、みたいな、それでライブ映像が流れて、よろしくね、みたいなものだと。それを見せられて、これを作りたい、と言われた時に、僕らは、『絶対ファッキングあり得ない』って言ったんだよね。それで、その20秒なりのコマーシャルにお金を払うっていうなら、僕らの方から、そこで使うものを作ります、って言ったんだ。それで出来たものだった」

https://twitter.com/radiohead/status/1455580481542578177
https://twitter.com/radiohead/status/1455935409049980932

10)今後について。
スタンリー「最近レディオヘッドは全ての曲をネットで配信したからね。もう何もすることは残ってないよ。今後出るアルバムでどうするのか楽しみだよ」
https://radiohead.bandcamp.com/

トム「(ファックスに通信が届いたのを見て)インターネットなんてなくなれ!って書いてない?(笑)」



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