木が葉を落として寒そうな姿をしてきたら、家の近くに咲いている花の種類が変わったら、季節の移ろいを感じるものだ。花は季節を教えてくれるのと同時に、感謝を伝えるとき、「ごめん」を伝えるとき、自分の意思を表したいとき――自分の気持ちを代わりに伝えてくれることもあるから、ここぞというときに花束を贈る人も多いのだ。花びらの色や咲く季節、これら全てに意味がある。それを多くのミュージシャンが音楽に透かせてきたのにもたくさんの意味があって、それは我々リスナーに差し出された花束であるとも思う。ここでは、花の名が付けられた楽曲に触れていきたい。聴いた時々の状況で音楽の聴こえ方は変わってくるかもしれない。でも、その花の名には、きっと彼らの真意が託されているはずだ。(林なな)
※リリース順
●スピッツ/“スカーレット”(1997年)
「君」とのあいだに生まれた愛の感情を、赤い花・スカーレットに例えた一曲。コーヒー、陽炎、ほこりまみれの街……歌詞の中に出てくるものの上には必ず「赤」という色が映える。赤く染まったひとりの「君」を思う気持ちは、スカーレットの花言葉「純愛」そのものだろう。
●くるり/“ばらの花”(2001年)
誰かを愛すると決めたら、その胸に現れるのはチクリという痛み。それは寂しさや嫉妬、またもや愛しすぎた末の毒か。この曲に描かれているのが、実を結ぶことのなかった恋なのか、ただ単にちょっとのあいだ離れ離れになってしまう距離のある恋なのかは分からないが、ともに共通するそのチクリという痛みを、
くるりは棘を持つ花である「ばら」に比喩してみせた。
●Dragon Ash/“百合の咲く場所で”(2001年)
川の水が冷たく激しく流れるような、太陽が眩し過ぎると感じるような、星の光すら見えないような、そんなところで音を鳴らし、歌う。そして、そこが純粋無垢な色を宿した「百合の咲く場所」になる。
Dragon Ashが音楽を奏でる姿は、白百合そのものであると思う。だから、彼らが音を鳴らす場所はあんなにも気持ちが良いのだ。
●BUMP OF CHICKEN/“ハルジオン”(2001年)
希望、夢、理想――それらを実現するために信念を貫くことはすごく難しい。この歌に刻まれているのは、土に根付き虹や雨が潜む天に向かって咲いている、名前が分からないけれど白くて背の高い花=ハルジオンのように、自分自身をまっすぐ打ち立てるための決心だ。
●ゆず/“スミレ”(2003年)
愛する人が悲しければ、自分だって一緒に悲しい気持ちになる。その人の元にやってくる悲しみを晴らすために、ずっと隣にいる。その決心が染み込んだ歌に、
ゆずは“スミレ”という花の名を付けた。一緒にいたいのは好きだからだけではない。好きだから、悲しみを遠ざけてあげたいと思うのだ。
●ケツメイシ/“さくら”(2005年)
春を象徴する花である桜の名を付けた歌がたくさんあるが、ここでは
ケツメイシの“さくら”をピックアップ。ここで描かれるのは、桜が咲くころに恋をし、ともに歳を重ね、またやってきた桜の季節に別れを交わした「俺」の姿だ。いくら時が経っても「君」を思い出してしまうのは、花が咲き誇る時期ではなく、散った花びらたちが絨毯と化すような、桜が舞い散る季節なのだろう。
●椎名林檎/“カーネーション”(2011年)
2011年度下半期放送のNHK連続テレビ小説『カーネーション』の主題歌として椎名が書き下ろした楽曲。ポロンと静かに、しかし鼓膜を包み込むように優しく鳴るハープの音色の上で歌われるのは、愛の全てだと思う。そして、彼女の言う《何も要らない私が今/本当に欲しいもの》は愛そのものではなくて、きっと「誰かに愛を注ぎ続ける」という行為だ。
●sumika/“アネモネ”(2017年)
この曲の主人公は今を愛していると思いつつも、過去の恋愛を思い出しては後悔を積もらせる。でも、後悔はあれど出会いと別れを知ることができたのだ。水を与えて枯らさないようにするよりも、太陽で照らして養分を与える方が難しい。その気付きとともに明るさを感じる終盤の展開が美しい。
●Mr.Children/“himawari”(2017年)
映画『君の膵臓をたべたい』の書き下ろし主題歌。作品のヒロインの名前は桜良(さくら)だが、
Mr.Childrenは夏の花の名を冠した曲を書き下ろした。ひまわりは、太陽の方向へと向かって咲く。陰に咲くひまわりは他の花に比べると少し背が低くて、痩せっぽちで、でもきっと可憐に咲いて、たくましさを持っている。暗がりのなかに一点、黄色く光る希望。嵐が去って行ったあとの太陽の白さ。「僕」にとっての「君」は、まさにそれだったのだと思う。
●SEKAI NO OWARI/“サザンカ”(2018年)
小さなピアノの音から静かに始まりを告げ、だんだんと音数が増え、壮麗な雰囲気を帯びて行くサウンド、そして夢を追う「君」へと高く歌われる肯定の言葉。それらは困難に打ち勝つために存在する。晩秋の冷たい時期に咲くサザンカのあたたかさがここには詰まっている。
●あいみょん/“マリーゴールド”(2018年)
夏は青春の季節だと思う。
あいみょんは、自身がこの曲の中で綴った「あの日の恋」が現在も続いているのか、既に過ぎてしまったのか、物語の結末をリスナーの考えに託した。でも、《麦わらの帽子》を被った「君」を《揺れたマリーゴールドに似てる》と愛らしい花に例えた曲の主人公は、たしかに愛の足跡を残している。
●WANIMA/“りんどう”(2019年)
彼らは、自身の地元である熊本県の県花の名をタイトルにした。花は土と水と酸素と陽の光がなければ、根を張ることも、花を咲かすこともない。何が起こるか分からない孤独な日々のなかでも、めいっぱい笑える日が来るように。
WANIMAは誰のこともひとりぼっちにしない、この歌は明日の方向を照らし出すのだ。