ジャニス・ジョプリンが在籍したビッグ・ブラザー・アンド・ホールティング・カンパニーのデビュー作『チープ・スリル』がリリースされてから今年で50年、それを記念した『チープ・スリル(50周年記念エディション)』が12月5日にリリースされた。
『ロッキング・オン』2019年1月号では、『チープ・スリル』、さらにジャニスとのエピソードについて、当時バンドのメンバーであった、ドラマーのデヴィッド・ゲッツに訊いたインタビューを掲載している。
50周年記念盤をリリースするにあたり、改めてオリジナル盤の『チープ・スリル』を今聴き直すことで、どういうことを伝えたいと思ったのか、ゲッツは以下のように答えた。
いろいろあるんだけど、ジャニスが残した音源の中でも本当に最高のものは、ある意味で彼女のスタイルと音楽性に一番しっくりきてた、ビッグ・ブラザーでのものだったと感じてる人は今じゃ多いはずなんだ。
やっぱり、このアルバムの音がジャニスの最高の瞬間だし、最高傑作なんだよ。だからといってジャニスがその後のほかのバンドとやってたことがすごくないって言ってるわけじゃないんだよ。
ただ、このアルバムがピークであって、そのことはこれからももっと共感してもらえていくはずだし、今回のいろんなバージョン違いや、これまでとは違ったジャニスのボーカルを聴けば、きっともっとわかってもらえると思う。
では、『チープ・スリル』の制作中、自分たちは傑作を形にしようとしているという実感はあったのだろうか。
それは一筋縄ではいかない質問なんだ。確かにそういう気持ちはあったんだけど、それと同時に一緒に働いてたプロデューサー(ジョン・サイモン)からは、自分たちはろくなもんじゃない、って気持ちにずっとさせられてたからね(笑)。
そのプロデューサーはレコード会社からの依頼で一緒に仕事をすることになったんだけど、ぼくたちのやってる音楽がたいして好きでもなかったんだ。まるで理解しようともしてなかったし、ぼくたちのミュージシャンシップについても冷ややかだった。それはジャニスに対してもそうだったんだからね。
ただ、ジャニスにはまだスタジオでの適応力があったんだけど、ぼくたちの場合はレコーディングの経験がほとんどなかったし、根っからのライブ・バンドで、ライブをやればパワーを爆発できるバンドだった。
(中略)でも、ジョンと作業をし始めたら、しんどいだけだった。「ここんところが大間違いだよ」とか、「ここでテンポが遅くなったらだめだろ」とか、「今のギター聴いた? あれ完全にトチってるから」とか、そういうのばっかりでなにをやってもテイク67まではやらされるみたいなね。
さらに、ジャニスがバンドをやめると言い出した時の心境について、当時の状況も踏まえて以下のように語っている。
まあ、やっぱり不可避的な問題だったし、周りの人間はみんないずれそうなると思っていたんだけど、ぼくたちにはそれがわからなかった。だから、実際にそういうことになった時にはちょっと衝撃だったよ。
特にあんまりわかってもらえていないのは、ジャニスがやめるって明かした時、サム(・アンドリュー/リード・ギター)も連れて行くって決めてたことで、そのせいで、残されたぼくたちでバンドを続けていくのが不可能になったんだよ。
というのも残されたもうひとりのギタリストのジェイムスはその時点で、薬物癖やアルコール癖の問題も抱えてたからなんだ。で、ピーターとぼくはどうすればいいかわからなかったんだけど、ふたりともすぐに別なバンドに誘われて、それが(サイケデリック・バンドの)カントリー・ジョー・アンド・ザ・フィッシュだったんだ。これが人気のバンドだったから、なんとかそれで凌げたんだね。
サムはジャニスとやめて、ぼくたちもどうにか行くところをみつけてしばらくはそれでよかったんだけど、もし、今あの瞬間に戻れるんだったら、ジャニスに「もうやめる」って言われても、「いや、それはだめだ」って言うと思うよ。
インタビューではその他、当時未熟だったバンドがジャニスと『チープ・スリル』を作り上げたことでどのように変化していったかなど、貴重なエピソードも語られている。
ジャニスを中心に『チープ・スリル』がどのように生まれたのか、インタビューの全容は『ロッキング・オン』1月号をチェックしてもらいたい。
デヴィッド・ゲッツのインタビュー記事は現在発売中の『ロッキング・オン』1月号に掲載中です。
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