【知りたい】伝説のライヴ・アット・レディングから25年。あの時ニルヴァーナに何が起きていたのか?

【知りたい】伝説のライヴ・アット・レディングから25年。あの時ニルヴァーナに何が起きていたのか?

『ライヴ・アット・レディング』として知られるニルヴァーナの伝説のステージから、今年で25年が経過した。あの時、ステージの裏では何が起こっていたのだろうか?

音楽誌「Melody Maker」のライターとして活躍したエヴェレット・トゥルーがカルチャー誌「CLASH」のインタビューの中で語った当時の回想を元に、当時のニルヴァーナのレディング出演にまつわるエピソードを紹介していく。

Nirvana - Breed

エヴェレット・トゥルーは「Melody Maker」誌のライターとして90年代に行っていたシアトル・シーンの取材の間に、様々なミュージシャンたちとの親交を深めた人物だ。中でも特に、ニルヴァーナのカート・コバーンとホールのコートニー・ラヴの仲を取り持ったことは有名なエピソードとして知られている。

1992年のレディング・フェスティバルではカートが車椅子に乗ってステージに現れたことが物議を醸したが、この時に車椅子を押していた人物がエヴェレットだったという。

カートの車椅子での登場をメンバーが知らなかったという噂はデマ?

「CLASH」誌に寄稿したエヴェレットはこのレディング出演をめぐる伝説の数々の一部の真相を解説しているが、たとえば、車椅子でカートが登場することをメンバーも知らなかったという説については事実とは違うと次のように振り返っている。

あの寸劇は全部その前の晩に仕込んだものなんだ。フランシス・ビーンを産んだばかりのコートニーについての、根も葉もないゴシップを書き立てていた連中への嫌がらせとしてやったものだったのさ。「カート、入院」「カート、逮捕」「カート、過剰服用」「コートニー、過剰服用」「赤ちゃんは奇形」……っていう具合だったからね。

ただ、この日、ニルヴァーナの楽屋ゾーンが異様なまでに静かだったこと、バンドの到着が遅かったこともまたそうした噂に火を注ぐことになったのは確かだけど。この日のレディングはグランジ・デーだったんだけどね。マッドハニーとかL7の他にも、アバのトリビュート・バンドのビョルン・アゲインとニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズも出てたんだ。


Nirvana - Lithium

カートが車椅子で現れた真相とは?

遠巻きに見ていると壮大ないたずらのように思えたよ。「車椅子はどこ? 車椅子は?」ってカートの声がしてさ。「車椅子ってどういうこと?」ってこっちが聞くと「俺について、ジャーナリストのみんなが書いてる色んなことへの当てつけのつもりなんだよ」って、酔っ払ったイギリス人の友達(である僕)に説明してくれたんだ。

病院からそのまま出てきたみたいな、病み上がりのフリをしてみせるんだよ。「どっかに患者服みたいなのがあるはずだから、それを着て、髪の毛にエクステつけたらコートニーっぽくなるかもしれないと思うんだけど」って……。

だから、「それだったら、僕が車椅子を押して行くっていうのはどう?」って提案したんだ。「その方がきっとウケるよ。具合が悪いって設定なら自分で車輪を回すこともできないだろ。それと、この(金髪の)ウィッグもつけてみたら? きっと面白いと思うんだけど」ってね。誰にも僕を止めようがなかったんだ。


Nirvana - Polly

カートが被っていたウィッグは誰のもの?

カートが車椅子で現れた際に被っていた金髪のウィッグだが、あのウィッグはもともとエヴェレットの妹のものなのだという。レディングは自分にとってまったく安全な場所ではなかったと明かしつつ、以下のようなエピソードを記している。

どうして僕があのブロンドのウィッグを持っていたのか? そしてその前の週になぜ妹が僕にわざわざ送りつけてきたのか? それは、妹は僕がその前の年のレディングでボディガードの連中からナイフをかざして脅されたりしたのを知ってたからなんだ。だから、妹は変装用に送ってくれたんだよ。

それで、前日の土曜日に使ってみたんだ。ティーンエイジ・ファンクラブのステージで雨の中、被ってみたんだけど、周りのみんなは「なんでエヴェレット・トゥルーがウィッグをつけて、雨の中、ティーンエイジ・ファンクラブで踊ってるんだ?」って口々に言ってたね。


ちなみにその後、ウィッグを「Melody Maker」の読者プレゼントに出品したところ誰も本物だと信用せず応募はゼロだったというが、次号で今度はエヴェレットがそのウィッグを被ってマッドハニーやヴァセリンズの面々とつるんでいる写真を掲載したところ応募が殺到したのだとか。しかしいざ探してみると、ウィッグが紛失していることが判明したという。ウィッグの行方はいまだに謎のままだ。

Nirvana - All Apologies

1992年当時、カートはすでに携帯電話を持っていた?

また、1992年当時、携帯電話を持っていたカートはレディングの観客に「コートニー、愛しています」と一斉に声を上げさせ、それを携帯を通してコートニーに聴かせていたのだという。ただ、当時の携帯は巨大だったといい、L7のベースのジェニファー・フィンチは次のような話をしていたのだとか。

カートがステージから携帯電話でコートニーに電話をかけているのを見たことあるけど。それまで私は携帯ってものを見たことがなくて。現場はみんなが叫び合ってる修羅場と化してたけど、私はただそこに座り続けながら、その携帯から目が離せなかったのよ。


Nirvana - D-7

バンドに纏わる様々なエピソードが生まれた1992年のニルヴァーナのレディング出演だが、かつてニルヴァーナのメンバーとしてカートと共に過ごしたデイヴ・グロールはカートの健康状態なども含め、当時のバンドが「一触即発の状態」だったと明かしている。

『ライヴ・アット・レディング』に関するデイヴの発言を掲載した記事は以下。

デイヴ・グロール、92年のニルヴァーナのレディング出演を回想。「実は一触即発の状態だった」
9月15日に新作『コンクリート・アンド・ゴールド』をリリースするフー・ファイターズだが、英音楽誌「MOJO」のインタビューに答えたデイヴ・グロールが、1992年にニルヴァーナとしてレディング・フェスティバルに出演した時のことを振り返っている。 ニルヴァーナは前年1991年のレディング…
デイヴ・グロール、92年のニルヴァーナのレディング出演を回想。「実は一触即発の状態だった」
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