岡村靖幸 @ 新木場スタジオコースト

ツアー『エチケット+(プラス)』の最終日。このツアーの1本目、1月10日(火)SHIBUYA-AXはレポートしましたが(こちら http://ro69.jp/live/detail/62640 )、5曲くらいしか曲名出せなかったので、まあ初日だしな、じゃあ最終日もレポさせてもらおう、とオファーしたところ、この最終日も、書いていいの、5曲まででした。2月24日(金)に同じくここスタジオコーストで、神聖かまってちゃんと対バンイベントがあるからなのか、それとも岡村ちゃんならではのこだわりによるものなのかはわかりませんが、まあ、どちらでも「ええっ!?」ではなく「まあ、あるだろうなあ」という感じではあります。

とりあえず、曲順や構成の大枠は、1月10日のAXとだいたい一緒でした。全体的に「ベストヒット岡村ちゃん」なメニューであることや、ここでアコギ持ってカッティングしまくるとか、ここでインスト・タイムで岡村ちゃんいっぺんひっこむとか、ここでメドレーやるとか、アンコールでピアノ弾き語りやるとかは、一緒。

で、「だいたい」って書いているということは、1月10日と違ったところも若干あったわけで、たとえば曲目、一部分、違いました。アンコールが長かったのは、最終日ならではのサービスだったんだろうし、あと個人的に最もキたのは、“come baby”をやったこと。ファンはご存知のとおり、「岡村靖幸と石野卓球」で2002年にリリースしたシングルです。1月10日にはやりませんでした。大晦日の「COUNTDOWN JAPAN 11/12」ではやってましたが、私、その時は、業務上、モニターでチラッとしか観れなかったので、ここで聴けて感無量でした。全身で堪能させていただきました。

そして。1月10日と、何よりも違っていたのは、全体の完成度とテンション。ショーの頭から最後まで、そして細部にわたるまで、こなれていないところやたるんだりするところがなくなり、びっちり、すばらしく、完璧に仕上がっていました。
というのは、1本目とラストでは違うのは、まあ、あたりまえっちゃあたりまえだけど、後者=テンションの方は、ちょっと予想外なほどだった。観れば誰にでもわかるくらい、岡村靖幸のライヴというのは、体力面と精神面の両方から、本人にすさまじく負担をかけ、消耗を強いるものだ。ダンスも歌もギターやピアノも……特にダンスがそうだが、短距離走のペースでフルマラソンを走るような肉体的なエネルギーと、念力で大岩を動かすような精神的なエネルギーの両方を注ぎ込まないと、やれない、あれは。インスト・コーナーでいったんひっこむのも、MCはメンバー(マニュピレーターの白石元久)に任せて自分は座って休んでいるのも、それによる消耗から少しでも回復するためなのだと思う。

なので、ツアー1本目は、「はたして今回のライヴの本番では、自分は最後までもつのか?」というのを考えながら……言い方を変えれば「最後までもつように、でも全力でやるにはどのくらいがよいのか」を探りながらパフォーマンスしていたのではないかと思う。違ったらすみません、ですが、でも今日は、もう、ほんと頭っから最後まで全力だった。すごかった。もつのかなあこれ。と、途中、心配になった。アンコールが終わり、ダブル・アンコールを求めて手拍子が起こった時、一緒に手拍子しながらも「いや、もういいんじゃない? 充分なんじゃない? これ以上は酷なんじゃない?」と思っていました、私。そしたら、それに応えたダブル・アンコールのステージが、全体で、最もすさまじいもんでした。絶句しました。で、深く、大きく、感動しました。

熱いと引かれ、クサいと笑われ、一所懸命だとさげすまれ、自分がどうしたいのかよりも、人からどう見えるのか、どう思われるのかばかりが気になった時代。気になりすぎて、しまいには自分は本当はどうしたかったのかもわからなくなるような、というかそもそも自分に「こうしたかったこと」などあったのかすらも、わからなくなるような時代。ツッコミとボケだと前者が圧倒的に偉い時代。「相対化」とか「客観」とか「さめてる」とか、そういうのこそが正しいとされ、「主体性」とか「主観」とかは疎まれた時代。1980年代とはそういう時代であり、当時の10代の多くはどっぷりそこに浸かっていた。僕もそうだった。
という価値観と、真正面から戦うこと。主観を自らの手に取り戻すこと。お手本やマニュアルに、頼ったり倣ったり倣わないことにびびったりせず、自分がやりたいことをやりたいようにやり、言いたいことを言いたいように言うこと。それで笑われることよりも、そんなふうに自意識の塊になってクールさを気取っている方が、何千倍も恥ずかしいこと。ということを、自らの身をもって、音楽でもって証明したのが、ザ・ブルーハーツと岡村靖幸だった、と僕は思っている。
だからブルハも岡村ちゃんも、それまでかっこいいとされていたロック・バンドやソロ・アーティストとは、全然違った。当時の価値観で「あり」か「なし」かでいうと、完全に後者だった。なのに、「あり」とされてきたどの先人たちよりも、破壊力があって、輝いていて、いきいきとしていて、そして、純粋で、美しかった。

ただ、それ、さっき書いたような、80年代という特殊な時代だったから、すばらしく思えたわけじゃないな。2012年の今でもそうだわ。と、ステージの岡村ちゃんに釘づけになりながら、何度も思いました。20歳そこそこだった頃と同じように、僕は岡村ちゃんのライヴを観るたびに、音源に触れるたびに、今、自分が救われていることを自覚する。これからもきっと、ずっとそうだと思う。
なので、できれば、岡村ちゃんの作品にまだちゃんと触れたことがない若い音楽ファンにも、ぜひCDを聴いたりライヴを観たりしてほしい。人生変わると思います。(兵庫慎司)
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