“魔性の女A”、“凡人様”、“メロイズム”など、バイラルヒット曲を次々と世に送り出している稀代のポップアーティスト・紫 今が、既発曲と新曲4曲をまとめた1stアルバムを完成させた。現代において楽曲が広まるプラットフォームとしてSNSが有力であることは否定できないが、コロナ禍があけてライブ現場が熱気を取り戻し、SNSに疲弊する人たちも増え、「SNSで曲がバズってもファンが増えない」といった事態も議論される中で、紫 今はSNSを起爆剤として活用しながらも、着実に、一人ひとりの心に、人生に、自身の音楽を突き刺している。それが成せるのはなぜか、その理由を語り明かしてくれたのがこのインタビューだ。
アルバムの最後に収録した“革命讃歌”で《時代が私を笑うならば/創ってみせよう新時代》と歌う紫 今は、追随を許さないほどの圧倒的な歌唱力とソングライティング力によって、新時代のポップスを切り拓く存在である。それを証明してみせた1stアルバム『eMulsion』の決定版インタビューをお届けする。
インタビュー=矢島由佳子
──ついに1stアルバムが完成しました。素晴らしいですね。お世辞抜きで、ポップスの最高峰だなと思って。バズらせることが目的になっちゃうとよくない。曲が広まる工夫を入れ込んだりしていますけど、それはあくまでも「パフェの飾りのミント」みたいなもの
ええ、すごい褒め言葉だ。嬉しいです。
──初めて今さんとお話しさせてもらったときに「芸術においてカリスマ性が作品を上回ってはいけない」とおっしゃっていたことをよく覚えているんですけど、それを大事にされている意味がすごくわかりました。「紫 今」という存在も目立ってはいるんだけど、何よりも曲がメインにあって、曲で全部を伝えようとしているのだということを、こうやって15曲揃うと強く思って。しかもポップスというのは常々メディアやテクノロジーによって変化し続けるもので、今さんの音楽は最新の時代にしか生まれ得ないものになっている。だからポップスの最高峰と呼ぶにふさわしいなと思ったんです。
ありがとうございます。めちゃめちゃ嬉しいです。
──今さん自身としては、大事な1stアルバムをどんなものにしたいと思っていましたか?
EP『Gallery』以降にリリースした曲がまずあって、そこにどんな新曲を入れようか考えたときに、今までにない要素を入れて紫 今の幅広さをちゃんと示せる1stアルバムにすることを意識していました。SNSやサブスクのことを考えて作った曲が多かった中で、ずっと作りたかったけど作ってこなかったような曲を念願の想いで完成させて入れられたアルバムです。
──SNSやサブスクのことを考えずに作った曲では、自分のどういう部分を見せたかった、もしくは見せられたと思っているんですか?
“青春の晩餐”と“革命讃歌”は、ライブをやっている風景を想像しながら作りました。“革命讃歌”に関しては、私の「歌」の表現の中で、実はいちばん得意なんだけど今まで出してこなかった引き出しを全部開けた曲だったんです。ミュージカルテイストも、ロックなテイストも、アニソンで必要とされるパワフルさも全部出していて、感情の表現においても深くて暗くて繊細なものから、バーンっていう爆発まで出していて。紫 今というボーカリストの全項目を抽出度100……いや、100を超えたものを、ここで今書いておきたいと思って作った曲です。なのでボーカリストとしての自信作かもしれないですね。この曲を100%正解で歌える人は少ないんじゃないかな。数少ないボーカリストの中に名を連ねるぞという気合いも込めました。
──SNSを意識した曲では、自分の歌唱力や歌の力が発揮しきれてないという実感がある?
ありますね。SNSで流行りやすい曲となるとキーが高かったり、可愛らしさも大事だったり、歌い方の癖が少なくて万人が聴きやすいものだったりして、表現が狭まってきてしまうので。「中毒性」って、意外と歌唱力の逆にあると思っていて。ちょっと下手なくらいだったり、ちょっとピッチが不安定なほうが、変に中毒性あったりするんですよね。“メロイズム”、“凡人様”とかのSNSを意識した曲は、「ボカロに寄せてる」という言い方がわかりやすいかもしれないです。機械であるボカロのあの無機質さというか。歌唱力って「生々しさ」「人間っぽさ」だと思うんですけど、シングル曲はそれがない方向に行ってるものが多くて。
──「生々しさ」「人間っぽさ」より無機質な歌のほうが好まれる場面があるという感覚は、特にここ数年、私も感じているんですけど、なんでなんでしょうね?
聴くときに体力がいるからだと思います。
──うわあ、なるほど。
“革命讃歌”、“最愛”とか、お散歩しようってときにのほほんとは聴けない曲だと思っていて。「歌唱力がある」ということは「表現力がある」ってことだから、その分、歌ってる側の感情の解像度が高くて、それをそのまま受け取っちゃうと食らうじゃないですか。それが音楽で生まれる感動だと思うんですけど、受け取る側がそういうものを日常的に聴きたいかと言われたら、たぶん、聴きたいときと聴きたくないときがあって。SNSで広まる曲っていうのは、いつでも聴ける曲。そういうことなんじゃないかなって。
──今さんの場合、「SNSを意識した曲」と「作りたい曲」が乖離しているわけではなくて、自分の「作りたい曲」の中に「SNSを意識した曲」があるんじゃないかなと思っていて。「SNSでバズらせなきゃ」というより、SNSを意識した曲も楽しそうに作っているように見えているんですけど、実際はどうですか?
本当、その通りで。愛情の度合いで言ったら、SNSを意識してる曲もしてない曲も変わらなくて。曲は自分の子どもみたいな感じだから、どっちも同じくらい愛情を向けてるし、思い入れもあるし。どっちも楽しく作って歌っていますね。バズらせることが目的になっちゃうとよくなくて。せっかく作ったから聴いてくれる回数が増えたらいいよねっていう気持ちで、その曲がより広まる工夫を入れ込んだりしていますけど、それはあくまでも「パフェの飾りのミント」みたいなもの。あってもなくてもいいけど、あったらさらに見栄えがよくなって、食べたいと思う人が増えるよねっていうだけで。なかったとしても、それ自体は完成している。本体がSNSバズを意識しちゃうとダメになるのかなという気はしていて、あくまでも自分が作りたいもの作ったうえでミントを乗せるっていう、その順番が大事だと思っています。
──1stアルバムのタイトルを『eMulsion』にした理由は?「メロい」という感情は最大の肯定だと思っていて。最大の愛だし。それが誰かに向けて使う言葉として流行っているけど、自分に向けられたらすごくいいんじゃないかな
これは「乳化」という意味なんですけど。たとえば水と油とか、本来混じり合わない性質の物質が奇跡的に混ざり合ってる状態のこと「エマルション」と言って、それがまさに私の音楽そのものだなと思って。本来混ざり合わない、対極なジャンルのものを持ってきて、奇跡的なバランスで成り立っているアルバムだなって。“メロイズム”と“革命讃歌”が同じアルバムに入ってるなんて、ありえないですよ。めちゃめちゃ気持ち悪いアルバムだなって思います(笑)。
──そもそも「紫 今」という名前に込めていることが、「対極のものを混ぜる」といった意味ですもんね。
そうなんですよ。赤と青を混ぜた色が「紫」だから。だからずっとそこがコンセプトになっていますね。
──前に少しおっしゃっていた、いろんな音楽性をやっていると紫 今がどういう音楽をやるアーティストなのかがわかりづらいんじゃないか、みたいな懸念はなくなりました?
最初は不安だったんですけど、たくさん曲をリリースするにつれて紫 今ができあがっていってるなと気づいて、今は自信を持って開き直っているというか。“メロイズム”から“革命讃歌”まで、この幅広さが紫 今の強みですって言えます。
──どの曲にも「紫 今カラー」がありますもんね。これまでの取材で“ギンモクセイ”までは話を訊かせてもらったので、“ギンモクセイ”以降にリリースした曲と、アルバムの新曲について訊かせてください。まず“正面”。これは初期に一部だけTikTokに投稿していたものですよね。
“ゴールデンタイム”、“フラットライン”あたりの時期に一回デモを出しているんですよ。それを改めて今の実力でちゃんと編曲し直して完成させました。恋愛の曲として聴いてもらってもいいんですけど、自分の中にふたりいて、「本当はどうしたいのか」を問いかけているというか。自分の中での葛藤や戦いを描いて、でも最後には《出逢えたの》と肯定的な言葉で締めている、という曲になってます。
──ライブでは、お客さんとコミュニケーションするような歌に聴こえてくるし、実際、物理的にも心理的にも「ステージに近づいておいで」という意味で《おいで》と声かける曲にもなっていて。
なってますね。私が作った曲の中ではシンプルで。それまで複雑な曲を作ってきた分、「シンプルだけどもいい」という曲を出しておきたいなとは思って。この曲が存在してくれていることで、奇天烈な曲はあえて奇天烈にしているんだということがわかってもらえるし、互いに存在を際立たせられる気がして。“正面”は、そういう立ち位置的な意味でもリリースしました。
──そのあと“メロイズム”とかが控えている中で、一回このシンプルな曲を投下したっていう。“メロイズム”も、“魔性の女A”くらいに問題作ですよね。
はははは(笑)。どの辺がですか?
──SNSでバズっているサビを聴いたあとに、フルを聴いて「こんな展開になってるのか!」って驚いたし。SNSで聴いてるとメロウなメロディが印象的なんだけど、音源やライブで聴くと「こんなリズムになっていたのか!」とも思う。ライブではいい意味で身体がおかしくなるような、狂乱を生むような曲になっていますよね。そもそもこの曲は「ドリームコア」を意識したもので。
嘘っぽいですよね。「夢の中で聞いた曲」って動画を出したら、「嘘だろ」って書かれました(笑)。エジソンの話で、ものを持ちながらウトウトして、ものを落としてぱっと目が覚めたときにひらめく、みたいなことを聞いて。半覚醒状態が人間の脳がいちばん天才な状態らしくて。だからそれと似たようなことをやったんです。音楽のことを考えながら、ミカンを手に持ってウトウトして。それでぱっと目覚めたときに録音したメロディをもとに作った曲です。“魔性の女A”とかだと全体的にメロディ自体を変えていたんですけど、この曲はサビのメロディを何回も繰り返して、その分アレンジ面で変化をつけるということをやったので、編曲力が出ている曲になっているんじゃないかなって自分的には思っています。
──《Mellowのメロウに/蕩けちゃいそう》が最後に《Mirrorのメロウに蕩けちゃいそう》に変わるところも、今さんなりのメッセージですよね。
「メロい」という感情は最大の肯定だと思っていて。最大の愛だし。それが誰かに向けて使う言葉として流行っているけど、自分に向けられたらすごくいいんじゃないかなと思って、《Mirror》と入れました。
──《愛してるわその美学》の一行を、最後は《愛してるわそのbeing geek》にしたのは?
それねえ……オタクであることも肯定したいなって(補足:geek=オタク)。私もオタクなので。「オタク」というワードに対して、世の中がだんだん肯定的になってきているとは思うんですけど、まだ足りないんじゃないかと思って。「オタク」っていうことには、その人の美学が詰まっていると思うので、そこも肯定したいなっていう気持ちと言葉遊びから《being geek》になってます。オタクって、「オタクなんで」みたいな控えめな言い方をするところがあるじゃないですか。自分にもそういうところがあるし。でも「胸張っていこうぜ」って。オタクである人もオタクではない人も、他人のオタクな部分を肯定することで、自分のオタクな部分も肯定できるんじゃないかなと思います。