日食なつこ×津野米咲(赤い公園)、スペシャルリスペクト対談! 音楽論から羨望まで赤裸々対談
断崖絶壁の絶景越しに突き上げる決死の凱歌“ログマロープ”、幼き日の思い出を綴った名バラード“あのデパート”、さらに人力EDM(“大停電”)あり、ホラーミュージック(“サイクル”)あり――。ピアノと歌で人間の歪さも儚さも強さも描き切る異才・日食なつこの新作ミニアルバム『逆鱗マニア』は、数々のトライアルも盛り込んだ音像の隅々まで血と想いが巡った渾身の1枚だ。 RO69では『逆鱗マニア』リリースを記念して、津野米咲(赤い公園)との対談取材を敢行。表現のスタイルこそ異なるものの、お互いを深く認め合う同世代のふたりのクロスインタビュー的な内容から、その音楽の核心がくっきりと浮かび上がってくるはずだ。
「このバンドとんでもない!」って思って、花巻TSUTAYAで全部借りました(日食)
――おふたりの初対面はいつ?
津野 対バン(「赤い公園の拝啓新宿殿~日食触発の(ko)巻~」。w/日食なつこ×komaki)の時?
日食 そうですね、2015年の夏。
津野 対面したのはその時が初めてなんですけど……私、高校の時に、10代の人たちが出るコンテストみたいなのに出て、そこで観てから「好きだ!」ってずっと思っていて。でも、それ以降、私は都合が合わなくてライブを観てなかったんです。で、本人は覚えてないんですけど、私から人づてにラブレターを渡してもらって――。
日食 もらったんだよね?
津野 そう。しかも、返事が――ビッてちぎったようなメモ用紙に「ありがとう」って返ってきた(笑)。
日食 ごめん。マジごめん! 全然覚えてない(笑)。
――(笑)。じゃあ、最初から津野さんは、日食なつこという存在も音楽も知っていたと。
津野 そうですね。もう最初ぐらいから知っていて。
日食 タイミングよかったよね。ちょうどピアノドラムが板についてきたかな? ぐらいのタイミングで声をかけてもらえたので。でも、ピアノドラムでバンドと一緒にやったのは、あの時が初めてぐらいでしたね。それまではワンマンとか、フェスとかサーキットに出る勝負時にkomakiさんを呼んだりっていう感じで。ピアノドラムっていう編成でもバンドの中に闘いに行ける! っていうことを、そろそろ知ってほしいな、ってちょうど思ってた頃に、津野ちゃんがまさに赤い公園っていうイケイケなバンドとのツーマンに呼んでくれたんですよね。
津野 ピアノでちゃんとオーケストレーションしながら歌うっていう人が、そもそも私の知り得る限りほかにそんなにいなかったから、っていうのはありますね。あと、「ピアノ弾き語りの新人です」っていうと、エバーグリーンな感動する曲を歌わなきゃいけない、みたいな空気あるよね?
日食 そうそう、エバーグリーンでピースフルなやつ(笑)。それを破りたいなと思ってて、鍵盤の上で全部バンドをやる、みたいな感じでずっとやってたんですけど、いまいち同じようなことをやってる人に巡り会わず……と思ってたところに、私もちょうど19歳、20歳ぐらいの頃ですかね? 赤い公園が「白盤」(『ランドリーで漂白を』)と「黒盤」(『透明なのか黒なのか』)を同時に出したのを、たまたま地元の岩手・花巻のTSUTAYAで見つけて――バンドなんだけど、ほんと緻密に音を組んで、「この歌詞にはこういう音で、こういうシンセを乗っければ情景が広がる」みたいなことをやってるのがわかって。「このバンドとんでもない!」って思って、花巻TSUTAYAで全部借りました。
津野 花巻TSUTAYAにお礼しなきゃ(笑)。
日食 当時、岩手のホームセンターの裏でバイトしてたんですよ。そこに行くのに、車で片道25分か30分くらいあったので、行きで「白盤」聴いて、帰りに「黒盤」聴いて、みたいな毎日を過ごしてたから。その頃に「早く音楽でオラオラ言わせたいなあ」とか思ってたのもあいまって――。
「私は音楽好きだけど、集団の音楽をやったらたぶん壊すな」って思って。(日食)
―― なるほどね。野望と青春の思い出が、赤い公園とともにあったっていう。
日食 そうなんですよ。同年代で――津野ちゃん以外は一個年下なんですけど、それにもかかわらずみんな第一線で早いうちからやってて、すごいなあと思って。でも、「追い付く」とかそういうことではなくて。そこにじゃあ、まったく違う武器で一緒のステージに立つためにはどうしたらいいか? みたいなことはすごく考えてましたね。
津野 どう? 最初ひとりでやってて、最近komakiが入ったりするようになって、何か変わった? 曲の作り方とか。
日食 すごく変わった。私、中学校の時に吹奏楽をやってたんだけど、自分の気に食わないことは一切受け付けなくて。一応サックスパートのパートリーダーをやってたんだけど、パートが崩壊しちゃって(笑)。「朝練に来る気ないなら、楽器置いてって。持って帰んないで」とか――。
津野 めっちゃ怖いじゃん! (笑)。
日食 自分では怖いと思ってなかったんだけど。それがダメなことなんだなって気づいたのが、中学3年の終わり、部活を引退するくらいの頃で。「私は音楽好きだけど、集団の音楽をやったらたぶん壊すな」って思って。それでソロに行くしかなかったっていう感じだったんだけど。それから高校3年間プラス、高校出て3年くらい、6年くらいはずっとひとりでやってきて。で、レコーディングの時は一流のアレンジャーさんに全部お願いして、私のわがままを汲んでもらったみたいな感じだったから、何も苦労はなかったんだけど。初めて2014年からkomakiさんとやるってことになって――komakiさんも、まあ我が強いわけですよ。
津野 ほんとだよね。
日食 ね(笑)。素晴らしいドラマーさんなんですけど。komakiさんもクラシック出身ですから、根底にあるものは一緒なんだけど、音楽的に喧嘩ができる、っていう相手は初めてだったので。喧嘩の仕方をそこで初めて覚えたんですよね。「私はこういう理由で、ここのドラムはちょっとどうかなと思うんですけど、主張があってこういうことをやってるんですか?」みたいな。自分の理由と、相手のやりたそうなことを捕まえてから喧嘩をする、っていうやり方を覚えたら、すごくやりやすくなったんですよ。
津野 「人が増える」って言っても、ひとり増えて、タイマンになったわけだよね。バンドとはまた違うよね。タイマン怖いなあ、ふたりの喧嘩(笑)。
日食 でも面白いよ。リハスタとか入った時でも、「ここはちょっとダサいと思う」みたいなのも平気でお互い言っちゃったりするし。昔はそれをやったらダメになっちゃったけど、今はそれをやってもちゃんと続くっていう状況なのがすごくいいなあと思って。