何が悔しいって、一昨年のフジロックのシーア。降り続く豪雨があまりにきつくて精神的・肉体的に限界に達してしまい、彼女のパフォーマンスを断念せざるをえなかったのだ。その時点での最新アルバムはラビリンスやディプロとのユニット、LSDの『ラビリンス、シーア&ディプロ・プレゼンツ...LSD』(2019)だった。本作はそれ以来の作品である。
シーア自身が初めて監督、音楽、そして童話作家のダラス・クレイトンとの共同で脚本を執筆、さらに共同プロデュースも担当したミュージカル映画『MUSIC』で使われた楽曲を収めたアルバムで、シーアは映画のサウンドトラック用に10曲を書き、そのうちのいくつかがアルバムに含まれている。デュア・リパらと共作した“セイヴド・マイ・ライフ”など、映画と直接関係はないが「インスピレーションを受けた」曲も含まれている。シーア自身は本作をサウンドトラックではなく通常のアルバムと位置づけている。となると『ディス・イズ・アクティング』(2016)以来5年ぶりということになる。プロデュースはジャック・アントノフ、グレッグ・カースティン、ジェシー・シャトキン、ラビリンスなど、なじみの腕利きたちが名を連ねる。日本盤は2曲のボーナス・トラックを含む全16曲収録。
映画の構想は10年以上前、つまり彼女が英米で大ブレイクを果たす前からあり、撮影は2017年の夏から始まっていたようだ。シーアは過去に自身のMVの監督や製作を務めており、映画監督業に乗り出すこと自体は自然ななりゆきだったのだろうが、果たして自分に務まるのか不安で、やめてしまおうと思ったことが何度もあったとも告白している。
映画の出演はケイト・ハドソン、そして彼女の妹役が、シーアの大ヒット曲“シャンデリア”(2014)のMVを始めライブなどで圧巻のダンスを披露し、フジロックにも出演していたマディー・ジーグラーだ。ケイト・ハドソンはドラッグ・ディーラーの女性ズー役、マディー・ジーグラーは自閉症の少女ミュージックを演じている。ズーが義理の妹のミュージックの後見人となり、この世界をどう生き抜くかを模索するという物語だ。予告編を観たところ、マディーのダンスもまじえたカラフルで華やかな画面構成が印象的だった。過去のさまざまな辛い経験でトラウマを負い、PTSDに悩まされ続けたというシーアの心情と、そこから立ち直るプロセスを、映画に託しているのだろう。主人公の名が「ミュージック」なのは、自分を救ったのは音楽の力に他ならないことを示している。
マディーは人前に素顔を晒さないシーアの心情をダンスという形で表現する、いわばシーアの代弁者……というよりは「分身」とも言うべき存在なだけに、彼女を起用したのはシーアにとって必然だったのだろう。しかし自閉症患者でもないマディーを起用したのは「エイブルイズム」(非障害者を優先する差別)ではないかという批判を浴びる事態ともなってしまった。そのうえ映画批評サイト「Rotten Tomatoes」ではアメリカでの公開後2週間が経過した時点で批評家42名のうち高評価を与えたのはわずか10%、平均点は10点満点で3.6、一般観客でも15%、5点満点で1.3と極めて低い。日本公開は今のところ未定だ。
映画『MUSIC』、そして本作でシーアが提示したかったのは音楽への揺るがぬ信頼と愛情、そして希望を決して失わず前向きに生きること、自分を大切にして困難を乗り越えることの意義である。それを象徴するのが先行公開され、本作のオープナーとなった“トゥゲザー”だ。《あなたが自分を愛さないと私を愛することはできない/バカみたいに自分を愛すること》《今すぐ過去を燃やし、立ち上がって空を見上げなさい/一緒に、もっと高く》と歌われるこの曲は、映画『MUSIC』のテーマであり、同時にシーアの活動を貫く確固たる信念でもあるはずだ。シンガロング可能なキャッチーなメロディと力強く明るい曲調、カラフルな衣装と華やかな色使いでキュートなダンスを披露するMVに至るまで、完璧に完成されたポップ・ソングである。この歌を始め“カレッジ・トゥ・チェンジ”、“ヘイ・ボーイ”など、パンデミックで閉塞状況にある人びとを勇気づけるものともなるはずだ。
アルバム全体としては、これまでのシーアの音楽性を踏襲したもので、画期的な新路線が聴けるわけではない。だが長い時間をかけてじっくり錬られた楽曲は粒が揃っており、アルバムのクオリティは高い。それだけに、特にアメリカでは映画を巡る論争やさまざまな評価・批判がアルバムの評価まで歪めてしまっている感があるのは残念である。
今年中にシーアはオリジナル・ニュー・アルバムを予定しているという。詳細は不明だ。(小野島大)
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