ディアハンター、ギャング・ギャング・ダンス、エクス:レイ。「Revue」大阪公演で、インディ・レーベル4ADの美学と多様性に圧倒された!

ディアハンター、ギャング・ギャング・ダンス、エクス:レイ。「Revue」大阪公演で、インディ・レーベル4ADの美学と多様性に圧倒された!

設立40周年を迎えたというイギリスのインディ・レーベル、4AD。独自の美学とカラーを誇る同レーベルの現在を代表するディアハンターギャング・ギャング・ダンスをメインに据えたショウケース・ツアーがスタートした。その初日、大阪公演の模様をレポートしたい。レーベルのボスであるサイモン・ハリデーによるDJが多ジャンルの音楽で会場を温めるなか、インディ・リスナーが集まりイベントは始まった。

フロント・アクトの役割を果たしたのはドーターのエレナ・トンラによるソロ=エクス:レイ。ドラム、ベース、チェロorキーボード、そしてエレナ本人のギターとボーカルという編成(弦はメンバー間で持ち替えもあり)で、じつに抑制されたアンサンブルと憂いをたっぷり含んだ歌声が会場をすぐに彼女の世界に引きこんでいく。小さな音とメランコリックなメロディ。別れた恋人への想いを繊細に綴るアンニュイなバラッドたち。そこにはとても慎重だが耳を澄ませばドラマティックな感情の昂ぶりがあり、聴き手ひとりひとりにゆっくり語りかけるような歌であることがわかる。

エクス:レイがオープニングを務めるというのは、狙ったわけではないかもしれないが、4ADのイベントとして大正解だろう。「退廃」、「幽玄」といった言葉がキーになるだろう彼女が出す音というよりもムードは、レーベルの伝統が確実に受け継がれていることを示しているからだ。代表曲“Romance”を演奏する頃にはアンサンブルにたしかな熱がこもり、消えない物悲しさのなかにたしかな躍動感が生み出されていた。ドーターはもちろん、このソロ・プロジェクトの今後にも期待させられる内容だった。

ステージに機材や打楽器がたくさん設置されると、昨年7年ぶりのアルバム『カズアシタ』をリリースしたギャング・ギャング・ダンスの登場だ。打って変わって多人数・多楽器による厚みのあるサウンドで、一気に多国籍的な祝祭ムードとなる。リジーはステージの真ん中を陣取り、コンガやボンゴや太鼓を叩きながら、音響化した声/歌をアンサンブルの一部に溶けこませていく。

『カズアシタ』はニューエイジ/アンビエント色の強い陶酔的な作品だったが、ライブはあくまでGGDらしいトライバルなリズムと越境的な旋律やハーモニー、そしてエクスペリメンタルかつ高揚感のあるゴッタ煮のサウンドで盛り上げる。そのなかに時折ビートレスのアンビエント的な展開を挿しこむことによって、ライブ全体のスケール感を生み出すのである。『カズアシタ』は混乱した世界にただ怒るのではなくて沈静することで、穏やかなフィーリングを生み出すことを提示したかった作品だと彼らは語っていたが、ダンスと酩酊が混ざり合うようなそのサウンドは聴き手の内側に希望を植えつけるものだったと思う。ラスト、長尺で披露された“Kazuashita”の壮大さは、そのことを雄弁に語っていたように感じられた。

そしてラストを飾るディアハンター。いきなりガレージ・ロックの激しさで畳みかけ、新作からの“Death In Midsummer”の柔らかいメロディと音色でコントラストを演出する。演出……といってもわざとらしいところはひとつもなく、音源よりも生々しいエネルギーが満ちている。ブラッドフォード(・コックス)は金髪にサングラス、シャツを開けた胸元にネックレスという出で立ちでロック・スター然とした色気を放つ。

新アルバム『ホワイ・ハズント・エヴリシング・オールレディ・ディサピアード?』からの楽曲を中心としたセットリストはサウンド・バラエティに満ちており、弦3本による厚みのあるギター・アンサンブルはサイケ、シューゲイズ、ガレージ、ノイズと風景を変えていくが、どの瞬間も活力が漲っていて何かが吹っ切れたような生命力がある。甘いメロディと激しいロックンロール。“Helicopter”のようなある種の壮絶さを孕む曲には相変わらず戦慄させられつつも、音の迫力が観念よりも肉体に語りかけるようだ。

ディアハンターのビンテージ・サウンドはつねに死の匂いを湛えているが、だからこそそこから逆照射される生のぬくもりを立ち上げる。ブラッドフォードは終始機嫌よく、日本に来られたことの感謝やツアーに参加したアクトを讃える発言を繰り返していた。4ADとレーベルの素晴らしさについても。歓声のなか、笑顔でステージを去っていった。ライブは名古屋・東京と続くが、間違いなく勢いが止まることはないだろう。

ショウケースといっても、4ADのような個性も伝統もあるレーベルによるそれは音楽文化についての豊かな交流であると言える。そもそも僕たちはなぜ性懲りもなくインディ音楽を聴いているのだろう。それはきっと、ベッドルームに置き忘れたメランコリーや、世で主流とされるライフスタイルが取りこぼした生をインディ・アクトたちが掬いあげているからで、4ADはいまでも多様な音楽でこそ語りかけてくる。そんなことを思わされた夜だった。(木津毅)
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