この10年間、エレクトロニックミュージックにおける実験の最先端を走り続けてきたアルカ。昨年末になんと5部作として完結した『KICK』シリーズは、アルカがさらにその先へとダイナミックに向かったことを告げる連作だ。
近年自身のジェンダーアイデンティティをノンバイナリーでありトランスジェンダー女性としている彼女(代名詞はSheを選択している)は、ジェンダーのトランジションを経て、まったく新しい自分自身として生まれ変わったのである。「KICK=蹴り」とは、母親の胎内にいる赤ん坊が生まれ変わることのパワーそのものだという。
ビョーク、ソフィー、ロザリア、シャイガールといった豪華ゲストを迎えて鮮やかにポップ化した『KiCk i』は、ほんの始まりに過ぎなかった。レゲトンやメインストリームのポップミュージックを大胆に取り込んだ『KICK ii』、先鋭的なクラブ/エレクトロニックミュージックをアグレッシブに展開する『KicK iii』、メランコリックな歌ものを叙情的に聴かせる『kick iiii』、そして坂本龍一も参加した静謐なアンビエントアルバム『kiCK iiiii』と、そのサウンドの多面性をスリリングに分解して提示したのである。
しかしそれらは同時に呼応し合ってもいて、5作すべてを聴くことでこの連作のテーマ――ひとりの人間のなかに存在するエゴやアイデンティティの複層性――が見えてくるものになっている。かつては極端にグロテスクな自画像を提示していたアルカがいま、音楽の、人間の複雑さに宿る美を祝福している様は感動的だ。
この度『KICK ii』~『kiCK iiiii』の4作がCD / LP化し、5部作のリリースが完成する。先に発売されていた『KiCk i』も収納できるボックス付きのまとめ買いセットも数量限定生産されるとのことなので、アルカ史上もっとも重要な大作となった『KICK』シリーズの全貌を味わうためにも、ぜひ入手したいところ。どれかひとつの側面だけでは表現できない音楽と人間の奥深さ、その深淵。アルカはいまも最先鋭のアーティストとして、ポップとアバンギャルドの両方をダイナミックに行き来しながら、そんな果てしないテーマを追い続けているのだ。(木津毅)
アルカの記事は、現在発売中の『ロッキング・オン』7月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。