どこでもいい、届く場所なら。
それぐらい、今の忘れらんねえよはニュートラルな状態にいる、と思う。
ニュートラルというのは決して平熱という意味ではなくて、
むしろ燃えたぎる思いはその温度と迫力を増し続ける一方なのだが、
そこに必要以上に構えたり気取ったり逆に自己を貶めたり逆ギレしたりというようなものがない。
だから、相変わらず情けないししょっぱいのだが、その情けなさとしょっぱさがすっと胸に染みる。
”俺よ届け”という曲名を見て、僕は1stアルバム『忘れらんねえよ』に入っていた”俺を守りたい”という曲を思い出した。
《会いたい会いたいあなたに会いたい
傷ついた俺をなぐさめろ》
と歌うあの曲の「俺」と、”俺よ届け”の「俺」は、まるで正反対の場所にいる。
5年近い時間をかけて、柴田はそういう場所まで来たのだ。
忘れらんねえよは、じつは時期ごとに表現の「核」を変えてきたバンドだ。
”CからはじまるABC”や”慶応ボーイになりたい”に象徴される、「非モテ」「童貞」「ヘタレ」を全力で体現していた第一期。
“この高鳴りをなんと呼ぶ”や”バンドワゴン”や”バンドやろうぜ“に象徴される、ロックバンドとしての夢とロマンを全力で体現していた第二期。
そして今、忘れらんねえよは柴田隆浩というひとりの男を全力で体現しようとしている。
ROCK IN JAPAN FESTIVALやCOUNTDOWN JAPANではDJとしてもドッカンドッカン盛り上げている柴田だが、
僕はあのDJを観るたびに「これ、忘れらんねえよじゃん」と思う。
インタビューで本人にそう言ったら「え、そうなの?」と言われたが、そうなんだよ。
あれはどうしようもなく柴田の本質をさらけ出す装置になっていて、それこそが忘れらんねえよなんだよ。
『俺よ届け』は「忘れらんねえよ=俺」という公式に、柴田自身が自覚的になった初めての作品だ。
ということは、メンバーがどうなろうが、どんな曲を作ろうが、もう関係ない。忘れらんねえよは無敵だ。
いよいよ今週末、初のZeppワンマンが待っている。
忘れらんねえよ『俺よ届け』はどこに届くのか
2016.10.06 23:05