オバマ元大統領が、大統領就任時に焦点を当てた自伝『A Promised Land』を2020年11月に発表。それに合わせて大統領就任時に彼の心の支えとなった曲のプレイリストも発表している。
https://open.spotify.com/embed/playlist/37i9dQZF1DX6WprIDNPtyX
これらの曲は全て、自伝の中に登場し、それぞれのアーティストについて語っている箇所がありとても興味深かった。さらに、自伝のプロモーションでいくつものテレビ番組に出演し、音楽についても語っていてそれも面白かったので、以下いくつか紹介する。
1)エミネムとJAY-Zについて
オバマは、民主党の大統領候補を、当時優勢だったヒラリー・クリントンと競っていた時、ディベートの前には決まって音楽を聴いて心を落ち着けていた。
「当初はジャズ・クラシックを聴いていた。マイルス・デイヴィス“Freddie Freeloader”、ジョン・コルトレーン“My Favorite Things”
フランク・シナトラ“Luck Be A Lady”など」
「しかし、究極的に不利な立場にあった自分にとって精神的な心構えとして最も役立ったのは、ラップのこの2曲だった。JAY-Z“My 1st Song”とエミネム“Lose Yourself”」
〈もしお前にたった1度だけのチャンスが訪れたら 自分が欲しかったもの全てを1度で手に入れるチャンスが来たら お前はそれを掴むのか? それともみすみす逃すのか?〉
「その歌詞が、当初勝ち目のない自分の心境にはぴったりだったんだ」
2)ビヨンセ、ボブ・ディランについて
ビヨンセ“At Last”
「ビヨンセが就任式で歌ってくれた。(大統領になって)最初の舞踏会の最初のダンスの時にね。あまりに華々しかった」
ビヨンセがその時の映像を投稿している。
ボブ・ディラン“The Times They Are A-Changin'”
「ディランは思った通りのディランだった。ディランにそうあって欲しいと思うそのままのディランだったんだよ。本の中でも書いたけど、ホワイトハウスでは定期的にテーマを決めたコンサートが行なわれた。どれも素晴らしいものばかりだった。モータウンの日もあれば、ブロードウェイの日もあった。
普通はリハーサルがあり、実際のコンサートの時間までは、みんなでそこで会話していたりするものなんだ。みんなで写真を撮る列もあるしね。だけど、ディランに関しては、そんなものはすべて飛ばして、出て来ないんだ。
彼は自分がパフォーマンスする時間の数分前に現れて、ベーシストとピアニストと彼のギターの3人だけで登場し、“The Times They Are A-Changin'”の最高の演奏をしてくれた。それはあまりに美しかったんだけど、演奏が終わったら、ステージを降りて、私とミッシェルの前に立ち、軽く会釈して、帰っちゃったんだ(笑)
それだけだった(笑)。ミステリアスで、奇妙な笑顔を浮かべて、完璧だったよ。ボブ・ディランにはそういう人であって欲しいと思うそのままの人だった。みんなとおしゃべりしたり、チーズをつまんでいたりしたらがっかりするからね」
また22歳のYouTuberに、なぜボブ・ディランが好きなのかを訊かれて以下のように答えている。
「私はボブ・ディランの長年のファンなんだ。理由のひとつは単に年齢的なものがあると思う。彼は、社会意識の一部と言える人だったんだ。それは当時のロックにあったものであり、のちにヒップホップにも引き継がれたものだと思うんだ。
私は、普通にロックもヒップホップも好きだけど、でも、中でも、アメリカがどのような国で、世界がどのようものなのかについてのメッセージを掲げるアーティストがいたら、そういう人達により注目する。つまり、彼はその偉大な例だったというわけだ」
3)ポール・マッカートニーについて
ポール・マッカートニー“Michelle”
ポール・マッカートニーがホワイト・ハウスで“Michelle”を歌ったことについて、自伝の中でも触れられている。
「ポール・マッカートニーが、妻のミッシェルの前で“Michelle”を歌ったことがあった。彼女は笑って少し恥ずかしかっていた。その他の観客は大歓声を送っていた。その時私は、この曲が発表された1965年に、彼女らの家を誰かがノックして、いつの日かあなたの娘さんはこの曲をザ・ビートルズの1人にホワイト・ハウスで歌ってもらうことになりますよ、と言ったら、彼女の両親は一体何と言っただろう、と思った」
ポール・マッカートニーは、「この曲をホワイト・ハウスで演奏したくてうずうずしていたんだ。大統領にはこの曲を演奏することを許してもらいたい」と言って歌っている。
4)初めて自分のお金で買ったアルバムはスティーヴィー・ワンダーとエルトン・ジョン
上記2の映像の中で語っている。「私は音楽一家で育ったわけではないけど、でも私の子供時代はすごく変わっていて、母はカンザス出身だし、父はケニヤ出身で、私はハワイに住んでいて、しかもインドネシアにも少し住んでいたからね。つまり引っ越しが多かったし、9歳になるまで一人っ子だったこともあって、音楽が友達みたいなものだったんだ。それに、他の人と繋がりを持ったり、自分と同じ年の子供達と仲良くなるきっかけでもあった。
自分のお金で初めて買ったアルバムは、スティーヴィー・ワンダーの『トーキング・ブック』とエルトン・ジョンの『黄昏のレンガ路』だった。かなり良い選択だよね。それ以来音楽は私にとってはずっと大事なものだった。
そして本でも書いたけど、私とミッシェルは、アメリカの魔法を忘れないために音楽を使っていたんだ。アメリカは、いくつもの伝統がごちゃ混ぜになってできている国だと知らせるためにね。
カントリーがあり、ブルーズがあり、ロックンロール、ゴスペルにヒップホップ、レゲトンなどがある。そして、そのすべては、アイリッシュ・フォーク・ソングからアフリカのドラムまで、世界中の様々な音楽の伝統が混じり合ってできている。それが、アメリカの音楽の特別なところであり、だからこそ、アメリカの音楽が世界に輸出されるんだと思う。
世界中の人達が、『自分の一部がそこにある』と感じるからね。だからホワイトハウスでそういう音楽を演奏して、私達がなりたいアメリカというのはこういう国なんだと象徴したかった。全ての人達が、バンドの一員なんだと示すのは大事だと思ったんだ。
しかも、サシャ(次女)の世代は音楽をカテゴリーでは考えていない。彼女は、2チェインズを聴いて、次に流れるのがエルヴィスで、その次がドレイクで、その次がラフマニノフだったりする。彼らにとってはすべてアリなんだ。それは彼らの世代が、いかに多様なものを受け入れ、様々な人から良い部分が見えているのかということの証でもあると思うんだ」
『ロッキング・オン』最新号のご購入は、お近くの書店または以下のリンク先より。