ポップでキャッチーなメロディはどんな人にも愛される間口の広さを持っているのに、ひとたびその音世界に潜り込めばどこまでもオルタナティブなサウンドが待ち構えていて、聴いても聴いても底知れない音の発見に満ちていた。あまりにも聴きすぎたせいか、『午後の反射光』は2019年の夏と密接に結びついていて、今でもこのEPを聴くと夏のセンチメンタルとともに君島大空というアーティストに出会えた喜びが蘇ってくる。
そこから4年、9月27日にリリースされた2ndフルアルバム『no republic sounds』はそんな「君島大空というアーティストに出会えた喜び」を新鮮に更新してくれる傑作だ。タイトルの由来は「Soundcloudで公開された音源に、再びアクセスしたとき、その楽曲が削除されていた場合にブラウザに出るメッセージ」。今作で君島が探求したのは「サブスクリプションという広場での遊び方」という。
サブスクリプションサービスの台頭によって古今東西の楽曲に等しくアクセスでき、配信シングルによってコンスタントに新曲がリリースされ、音楽と季節の繋がりが年々に希薄になっている昨今。そんな中、年始にリリースされた1stフルアルバム『映帶する煙』からわずか8ヶ月という短いスパンで、先行配信された“˖嵐₊˚ˑ༄”を除き、10曲ものまとまった新曲が『no republic sounds』で届けられたことが嬉しくてたまらない。
君島の楽曲を聴いていていつも想起する「デペイズマン」という概念がある。「日常から切り離した意外な組み合わせを行うことによって、受け手に強い衝撃を与えるもの(Wikipedia)」を指す美術用語なのだが、君島の音楽はまさにデペイズマン。今作『no publica sounds』ではそれが更にラディカルに、そして無邪気に推し進められているような気がする。
冒頭2曲の“札”“c r a z y”でいつになく荒々しいギターロックに身を任せたと思えば、続く“諦観”“嵐”では構築的なエレクトリックサウンドを届け、ロマン派のピアノ小品的な佇まいを持つ楽曲の裏でアポカリプティックサウンドのような破滅的な音が鳴り響く“映画”、メロウなバラードでありながら、もたつくリズムの上を極めて即興的な長いギターソロがよろめく“curtains”、ゴスペル調のピアノに歌詞に呼応した恋愛中の脳内のようなスペーシーな空間処理が施され、スキップするような言葉運びと変拍子が気持ちいい“賛歌”と、魔法的な音の快感が続いてゆく。
クラシカルな和声に縁取られた名バラード“16:28”も間奏ではノンダイアトニックコードの宇宙を旅し、アウトロではシューゲイザーのブラックホールに飲み込まれ、アルバム唯一のシンプルなギター弾き語り“- - nps - -”でひと息つくや否や、ラストは走馬灯のようにアルバム曲がコラージュされた“下沉的体从天而降”、これまで匿名性と透明感の影に潜んでいた肉体的なボーカルが石若駿のドラムに煽られて暴れ出す“沈む体は空へ溢れて”でアルバムは幕を閉じる。
(セルフコンセプトノーツより)1st album 映帶する煙では細部に悩み、迷う時間を意図的に設けました。今作は季節に並走し、今自分が出したいものが集まった場所から見える景色や匂いを対内/対外へ(再)提示したいと思っています
技術革新が進めば進むほど、多様さを増せば増すほど自由度を失う音楽シーンにおいて、「サブスクリプションという広場」で思い切り遊び、むき出しの創造性が衝動的に詰め込まれた『no public sounds』は、私のような君島大空を既に知っている人にもきっと瑞々しい驚きを与えるだろうし、このアルバムで初めて君島大空を知った人に対しては尚更だろう。このアルバムはきっとあなたにとって衝撃的な出会いとなり、2023年の秋と強く結びつくほど決して消えない感傷を刻み込むはずだ。(畑雄介)
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