1994年のトゥパック銃撃事件についての獄中告白は「真っ赤な嘘」と首謀者と推定される人物が反論

1994年のトゥパック銃撃事件についての獄中告白は「真っ赤な嘘」と首謀者と推定される人物が反論 - 1996年作『オール・アイズ・オン・ミー』1996年作『オール・アイズ・オン・ミー』

ニューヨーク州で終身刑に服している受刑者が1994年に起きたトゥパック・シャクールへの強盗銃撃事件に関与していたことを明らかにしたという報道について、事件を教唆したとされる人物の代理人はこの証言が「真っ赤な嘘だ」と指摘している。

殺人を含む複数の罪状で終身刑となっているデクスター・アイザックはニューヨークのクアッド・スタジオでトゥパックが5発の銃撃を受けた強盗襲撃事件に関わっていたことを先週、ヒップホップ系ニュース・サイト、Allhiphop.comに宛てた書簡のなかで告白した。このなかで、デクスターはジェイムス・ローズモンドという大物ヒップホップ業界人の指示を受けていたと語っている。

しかし、ローズモンドの弁護士であるジェフリー・リクトマンはニューヨーク・デイリー・ニュース誌にこの告白が「真っ赤な嘘だ」と語っている。

「17年も経ってこうした告白をしているのはデクスター・アイザックの良心がとがめられたからではありません。この人物は監獄では死にたくないと耳を貸す人になら誰にでも訴えるような人物で、同情を買うためにやっているのです。アイザックには子供もいて、刑期を軽くしたいんですよ。こんな証言は信用に値しません」

一方、ニューヨーク市警のポール・ブラウン報道官はアイザックの告白については、本人との事情聴取をあらためて行う予定だと明らかにしている。

ローズモンドはこれまでこの襲撃事件や、1996年にトゥパックの命を奪ったラスヴェガスでの銃撃事件の捜査でも、何度も名前が浮上してきた人物でもある。

アイザックは今回の告白の理由を「自分の行った過ちについてご家族にお詫びしたいからです。事件について整理して、(トゥパックとノトーリアスB.I.G.の)母親たちにとってなにかしらの形で節目になればと思いました」と語っている。

書簡でアイザックはこう説明している。「1994年にぼくはジェイムス・ローズモンドにクアッド・スタジオでトゥパックに強盗をはたらくように雇われました。ローズモンドは報酬の2500ドルと強奪した宝石類をすべてぼくにくれましたが、1つだけ指輪を自分のものにしていました。これはこの時強奪した2つのダイアモンドの指輪のうちの大きい方でした。この強盗の証拠として、ぼくは今もこの時奪った金のチェーンをまだ持っています」。

トゥパックは事件後、この強盗襲撃事件を仕組んだのはディディことショーン・パフィ・コムズとノトーリアスB.I.G.だったのではないかという思いに捕らわれたことは有名で、この後、いわゆるニューヨークとロスアンジェルスの間でのヒップホップ東西抗争をエスカレートさせたといわれている。その渦中のなか、トゥパックは1996年9月7日にラスヴェガスで車に乗っていたところを何者かに銃撃され、その6日後に他界した。その半年後の1997年3月9日の未明には新作『ライフ・アフター・デス』のプロモーションのためにロスアンジェルスを訪れていたノトーリアスB.I.G.も銃撃され、死亡した。この2つの銃撃事件についてはどちらも迷宮入りのままになっている。

(c) NME.COM / IPC Media 2011
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