“Teenager Forever”MVに溢れる幸福感はKing Gnuの音楽哲学のひとつの答えである

“Teenager Forever”MVに溢れる幸福感はKing Gnuの音楽哲学のひとつの答えである
仕立てたスーツ、運転手付きの車
高級ホテルにでっかい葉巻
金さえあれば何でもできる
イカした女が夜通し踊る
全部お前のもんだ

これはAC/DCが1990年に発表した“Moneytalks”という曲の歌詞だ。結局のところこの世の沙汰は金次第、ロックンロールドリームとはすなわちメイクマネーである……という時代はとっくに終わったと思っていたのだが、どうもそうではない人がこの国には少なくとも1人いるらしい。そう、King Gnuの井口理(Vo・Key)だ。

公開されるやいなや大いにバズった“Teenager Forever”のMV冒頭、井口は仕立てたスーツではなく胸に「SIQUIJOR」とプリントされたタンクトップを着て、運転手付きの車ではなく自分の足で走っている。「SIQUIJOR」とはフィリピンのリゾート地シキホール島であり、つまりこのタンクトップは浮かれた観光客が買うやつである。最後までビデオを観るとなぜ彼が鬼の形相で全力疾走しているのかがわかるのだが、要するに旅先でのおイタが過ぎたということのようで、追いかけてくる女性から必死に逃げているのである。


そんな印象的なシーンから始まる“Teenager Forever”のビデオのコンセプトは、帯封の付いた札束を配られたKing Gnuのメンバーが、それぞれ思うがままに金を使ってやりたいことをやるというものだ。その金を手に、常田大希(G・Vo)はロシアの地へ旅立ち、新井和輝(B)は母親に車をプレゼントし、勢喜遊(Dr・Sampler)は奥さんとグアムへ新婚旅行に行く。言うまでもないが、実際に行ったり買ったりしているのですべてガチである。唯一、井口の豪遊だけはいくらなんでもという感じがするが、いずれにせよ、これがガチなのかネタなのかは大した問題ではない。こういうビデオを作ろうと思い立ち、そこに相応の予算を割き、実際に完成させてしまったKing Gnuというバンドの行動指針は、もとより本気も本気だからだ。

僕はこのMVを観ていて、大きく分けて2つのことを感じた。そのひとつはKing Gnuとはどこまでも世間の裏をかき好き勝手やり続けるゲリラ集団なのだということだ。「金儲かった! 俺たちがんばった! よし、遊んじまおうぜ!」――このビデオのコンセプトとはつまりそういうことである。テーブルにどんと置かれた札束を前ににんまりと笑う4人。ロックバンドのやることですからと言ったところで、世も世だけに、それを見て眉をひそめる人もいるのかもしれない。だが、そんなことはもとよりお構いなし。「やりたいことをやりたいようにやるんだよ」という思いと、自分たちで成し遂げたことに対する真っ当な喜びが、画面からビシビシ伝わってくる。

それはKing Gnuというバンドの体現する命題そのものだし、我が道を行く美しさと力強さと孤独を描いた(と僕は思っている)アルバム『CEREMONY』とも、そして何より《他の誰かになんて/なれやしないよ》と歌う“Teenager Forever”という楽曲のメッセージとも共振している。このビデオでKing Gnuは、ここまで自分たちで切り開いてきた道と功績に落とし前をつけているのだ。

そしてもうひとつ感じたのは、King Gnuはどこまで行っても4つの「個」の集合体なのだということだ。金の使い方には人間の本性が出るというが、確かに映像には4人のキャラクターがくっきりと映し出されている。白いミニバンを目にして顔を押さえて涙を流す母親とそれを見てもらい泣きする新井の姿には心が洗われる気がするし、コートのフードをかぶって極寒の街を歩く常田はいつになく楽しそうな表情をしていて微笑ましい。グアムで思う存分遊んで愛を深める勢喜夫妻には、どうか末永く幸せになってほしいと願うばかりだ。井口のゲスな、もとい、本能に忠実な散財っぷりもまた、人間くさくてすばらしい。カラオケバーで多くの女性を前に金を文字通りばらまくなんて、個人的にはやってみたいことランキングの上位常連である。うらやましい。

このビデオには、4人で一緒のシーンが最初と最後以外出てこない。金の遣い方も、そこで浮かべる表情もてんでバラバラ、お互いが何しているのかなんて気にも留めていないという感じだ。そして誰ひとりとして、バンドとか音楽にまつわることに金を遣おうとしない。そういうコンセプトだからと言えばそれまでだが、そうして4人がバラバラに好きなことをやっている感じこそ、実にKing Gnuだなと強く思うのである。たぶん井口には親にプレゼントをしようなんて発想はハナからなかったのだろうし(あったら申し訳ないけど)、逆に新井は外国で酒池肉林なんて思いつきもしなかっただろう。それがどうではなくて、好きなことしていいよと言われたら一瞬でバラけてそれぞれのことをやりだす、そんな4人が集まっているからこそKing Gnuはおもしろいし、最強なのだ。

まさに《他の誰かになんて/なれやしないよ》。運命共同体というバンド幻想に頼らず、独立独歩でロックンロールドリームを2020年代の日本に甦らせる彼らの根本哲学のようなものが、実はこのビデオには投影されている。そういうことである。だから、井口の下品な、もとい、情熱的な振る舞いもまた、King Gnuというロックバンドを構成する重要な要素なのだ。それにしても、本当にうらやましい。(小川智宏)
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