キム・ゴードン、ニール・ヤングの"アウト・オブ・マイ・マインド"について語る

キム・ゴードン、ニール・ヤングの"アウト・オブ・マイ・マインド"について語る

先頃、回想記『Girl in a Band』を刊行した元ソニック・ユースのキム・ゴードンだが、バッファロー・スプリングフィールド時代にニール・ヤングが手がけた楽曲"アウト・オブ・マイ・マインド"について語っている。

音楽評論家として有名なマーク・マイヤーズのザ・ウォール・ストリート・ジャーナル紙用の取材に、キムは"アウト・オブ・マイ・マインド"について次のように振り返っている。

「60年代末に14歳だった頃、わたしは何時間もかけてアルバムをよく聴いたものだったの。バッファロー・スプリングフィールドのファーストの、特にニール・ヤングの"アウト・オブ・マイ・マインド"が大好きだったのね。

その頃はウェストロサンゼルスに──だから、あのただまっ平らなだけの、とりたててなにもない一帯に──住んでいたんだけど、音楽を通してフォーク・ロック系のミュージシャンがたくさん住んでいたローレル・キャニオン・シーンにすごく憧れ始めていたのね。ローレル・キャニオンには友達が一人住んでたんだけど、そういう有名人のおうちはみんな奥まっていてすぐにみつかるものじゃなかったし、かといって年齢的にサンセット大通りのクラブに出かけてみることもまだできなかったし。だから、やることといったら、アルバムを聴くことしかなかったわけ。バッファロー・スプリングフィールドのサウンドは、あの憂いに満ちたメロディー、かっちりしたハーモニー、そして意味のある歌詞がわたしにはすごくよく響くものだったのね。

10代の頃はよく自分の部屋で"アウト・オブ・マイ・マインド"を聴きながら絵を描いていたんだけど、歌詞の内容は成功によって経験する疎外感について取り上げているようだった。しっかり成功と折り合いをつけていかないと、もともといたところから引き離されておかしなことになってしまうっていうね。『金切り声しか聞こえてこない/リムジンの外からは/そんな声が/ぼくの心をおかしくさせていく/鍵穴を通して/開けっ放しのドアの』っていう内容で」

「80年代にソニック・ユースとしてツアーをしていた頃、ニールの前座を務めたことがあったんだけど、わたしからニールに"アウト・オブ・マイ・マインド"がどれだけ好きかっていうことは結局、言えなくて。もう会えただけでもあまりにも畏れ多い人だったから。だから、今ではあの時、あの曲の意味とかを訊いておけばよかったなあと思うのね。

8年くらい前にわたしはこの曲の魅力についてあらためて気づいたの。今はウェスタンマサチューセッツに住んでいるから、とにかく冬が嫌なのね。この曲をこっちで聴き直すことになったのは、カリフォルニアへのノスタルジアもあったんだけど、この曲の至芸にあらためて魅入られてしまって。この曲で聴けるニールの繊細さと生々しい音は、今のニールと較べてもほとんど変わってないのね。わたしは自分で歌を歌わないから、すごくこれが自分の声として感じられるわけ。

"アウト・オブ・マイ・マインド"については自宅にいても歌ってみようとは思ったりしないのよ。ただ、ライスペーパー(わらを原料にした和紙と風合いの似た紙)と水彩で言葉を描いた作品の連作を制作した時、この曲の歌詞を使ったことはあるけど。でも、この作品だって人には見せたことがないの。とてもプライヴェートなものだから」
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