──あと、“AIZO”には歌詞の内容、歌の中身にも同じ姿勢を感じていて。中学、高校の頃の自分がロックスターというものに惹かれた理由というか、心が奮い立つ感じのものにKing Gnuはなりたい(常田)
常田 確かに、原点回帰感あるかもしれないですね。初期っぽい。
──“SO BAD”でその感覚に近づいてきていたところで、ここでさらに結論が出たというか、突き抜けていて。
常田 まあ、ストレスですね。ロックはストレス系の音楽じゃない? なんか気に食わねえっていうのが、1個強いエネルギーになってて。まあ言うて、その段階じゃなくなりつつある──でも、そこでしかない感じもやっぱあるかな。
──あえてもう1回、中心にあるテーマに向き合った感じだよね。今の時代を生きてることの苛立ちとかストレスとか、開き直りのポジティビティも含めて。
常田 やっぱり、結果ポジティブっていうのがKing Gnuでもあるから──確かに、ここまでストレートにいけるのは久々かもしんないですね。まあでもほんと、なんでもよくなっちゃってるというか。周りからどう言われるかを気にするタームも終わって、どうでもいい感じではあるな。初期もそうじゃないですか、世の中からどう見られてるかとか知らないから。マインド的に今、1周回って逆にそうなってる感じを、楽曲からも各々のパーソナリティからも感じる。みんなどっしりしたというか、浮き足立ってない。
──でも、初期の頃はある意味、無責任でいられたわけじゃない? 今はある程度責任を自覚せざるを得なくて、そのうえで、今回この歌詞を書いたわけじゃないですか。
常田 やっぱ、中学、高校の頃の自分が憧れたバンドというか、ロックスターというものに惹かれた理由というか──意味とかじゃなく、心が奮い立つ感じのものにKing Gnuはなりたいなとずっと思ってるから。そういうロックバンド像の、ストレートな言葉選びに憧れがあって。バンドはこうあってほしいというものは歌詞において意識してます。
──俺もロックバンドにはそういうものを求めるから、めっちゃ応えてくれたなって思ったよ。
常田 ロックバンドって──今、世の中にどういうバンドがいるか全然知らないけど、King Gnuはそうありたいなって意識してます。
──キャリアを積んで責任を負えば負うほど、《HATE ME》も言えなくなるし、ましてや《KILL ME》なことはよくないんじゃないかっていう発想になってしまうけど、今回はそれをあえて乗り越えて、《KILL ME》って言ったと俺は思うんだよね。
常田 まあでも、責任責任って言ってもね、感じなくていい責任が多すぎる感じはあって。娯楽、ホビーにしても基本すべてが自己責任じゃんっていう。何かを言ったら「それは悪影響だ」って言われるみたいなことが、ゲームとか、いろんな世界で起きてるんだろうけど、結局、おまえ自身の話でしかないというのが、俺らの基本姿勢じゃないですか。そういう中で、ある段階を越えたんだと思う。
──ロックバンドはロックバンドで、ロックであるということ以外の責任は本当はないんだよね。
常田 ない。だし、自分たちがどう生きたいかでしかない。客がどう生きてほしいかでもないというか──というのを言ってるつもりが、ファンを大事にしてると思われる。意図としては、もう勝手にしようぜっていう感じでしかないんだけど。
──この曲にこの歌詞が乗ったことに関してはどう思う?
新井 話を聞いてて、この曲が1枚目のアルバム『Tokyo Rendez-Vous』(2017年)の歌詞カードにあったとしても、トーンとしては浮かないだろうなって思いました。かつ、さっき仰った(《KILL ME》のような)こういう歌詞を責任を負った今なかなか歌えないよねっていう話も、大希は「まあ言われてみたらそうか」みたいな感じで、俺から見ると無自覚に落とし込んでると思うんですよね。
「こういう責任はあるけど、俺は責任とか感じてねえぜ、だからこういう歌詞書くぜ」みたいなルートではないというか。それだと「俺、丸くなってないぜ」みたいなものも出ちゃうと思うんですけど、大希の今の話を聞いてると、それすらも考えてないと思うんです(笑)。それって、いいなあと思います。
井口 1stの『Tokyo Rendez-Vous』っていうタイトルにあるパーソナルスペースの狭さだったり、2ndの『Sympa』の“Slumberland”で言ってる「TVステーションではごちゃごちゃ言ってるけど、俺たち知らねえよ」みたいなことだったり、ずっと身の回りのことだけを歌詞に落とし込んでるじゃないですか。3rdの『CEREMONY』(2020年)でも、大衆向けではあるけど──実は“傘”とかは、身の回りのムカつきを歌ってて。それをずっとブレずにやってるんだなって。
“AIZO”の《離れ離れで終いよ/然らば又逢いましょう》とか、“SO BAD”もそうでしたけど──規模感は上がってるけど、大希はずっとブレずに身の回り半径1メートルくらいのことを書いてるなあと思います。友達だったり彼女だったり仲間だったり、そういうものをずっと歌詞に書き続けるってなかなかできることじゃないなって(笑)。
常田 ムカつくことはやっぱり減らないから。
井口 ムカつくやつがずっと──。
常田 ──なんか出てくるんだよね。
──自分の半径1メートルのことをリアルに書くっていうのは変わってないんだけど、何を書いていいのか見失いつつあった時期もあったじゃん。ここ最近は「やっぱこれだな」って、もう1回戻ってきたような感じがするよ。“AIZO”では聴き手の個人に繋がる部分、原点のテーマに戻ってきてる。
常田 多様的であることをはき違えてる人が多いんじゃないかと思う。多様性を認めることは、俺の中では距離を取ることと同義だから。King Gnuの1stとかは、ダイバーシティであるということをすごく言ってて、今はもうそのワードはこすられ倒した燃えかすみたいな状況だけど──多様的であることは、存在を認めるだけで、同化するわけじゃないっていう。本来は、村を分ける作業に近くて、嫌いなやつを認める必要はないというか──そいつらの意見を聞くのが多様性ではないというかさ。
井口 嫌いなやつを攻撃するわけでもないしね。
常田 そうそう。お互い、距離取ってやってこうぜっていう、ある種の腹の据わり方というかさ。そういう意味でのダイバーシティの感じが、年々どっしりしてきた理由のひとつでもあるかな。別に何かを受け入れるとか認めるというわけではなく、単純に近づかないっていうマインドセットになってて。この時代、そのラインが見えづらいじゃないですか。有象無象の話がフラットに入ってきちゃうから。その境地に行くことは結構難しいと思うんだけど、でも大事なことだというのは生き方として感じますね。
──最後に聞きたいんだけど、King Gnuがデビューして何年か経って、デビューした頃と今とでは時代がかなり変わったじゃん。5枚目のアルバムは、King Gnuの集大成を必ず描かなきゃいけないと思ってて。初期に打ち立てたコンセプトを後悔なく描くのが、今のKing Gnuの使命(常田)
常田 変わりましたね。
──ある意味、King Gnu的な時代になったんだよ。それこそ、打ち込みとバンドサウンドの融合とか、今じゃ当たり前になってるじゃん。あと、あの頃は洋楽の世界の外に日本のドメスティックシーンがあるような感じだったけど、今はアジアのシーンのひとつとしての日本、とかいろんな捉え方があって、あの頃よりも自由になってるよね。
常田 ああ、そういう意味ではそうかもしれない。
──だからKing Gnu的な地図により近づいてはいるんだよ。そんな中でKing Gnuというバンドは、これからどういうビジョンで進んでいくのかを聞きたくて。
常田 俺的には5枚目のアルバムは、今までのKing Gnuの集大成を必ず描かなきゃいけないと思ってて。初期に打ち立てたコンセプトを後悔なく描くのが、今のKing Gnuの使命かなと。だからすごくシンプルだなあと。
──じゃあ地図を広げた張本人が総まとめにかかるっていうことですね。
常田 そうですね。だから、6枚目をすごく楽しみにしてる自分もいるし。ただやっぱり、5枚がひとつの区切りじゃないけど──そこに向けてこれから全力でやっていくという。
──しかもKing Gnuが掲げたコンセプトとビジョンは、もはやKing Gnuだけの問題ではなくて、影響としてはシーン全体を巻き込んでるだろうから。
常田 まだ楽しみです──人気なくなるのもちょっと楽しみかも。人気なくなってからの人生って、アーティストとして面白そうだし。
新井・井口・勢喜 ははは。
──その姿勢で、“AIZO”みたいなスケール感のある曲で売れ続けるのはすごいと思います。
常田 まあありがたいことに。どうなってもいいんでね。
ヘア&メイク=TAKAI(undercurrent)
スタイリスト=SHOHEI KASHIMA(W)
このインタビューの完全版は、発売中の『ROCKIN'ON JAPAN』2月号に掲載!
『ROCKIN'ON JAPAN』2月号のご購入はこちら