大学卒業間際に結成され、仕事をしながら活動を続け、インディーシーンの中で確実に存在感を高めてきたyubiori。今回はバンドの中心である田村喜朗(G・Vo)、2024年10月に加入した大野莉奈(Tp)のふたりに、これまでの活動の軌跡とアルバム『yubiori2』の制作について聞いた。根底にあるのは、音楽に対するあまりにも強い愛情、そして、関わる人々への深い思いだ。
インタビュー=森朋之
──yubioriの結成は2019年だとか。どういうふうに始まったバンドなんですか?僕はずっとアジカンのファンで。バンドをプロデュースしていることも知っていた。「1回くらい音源を送ってもいいよね」とずっと思ってて、そうしたら「一緒にやろう」と言ってくれた
田村 大学を卒業する間際に、その頃の仲間と一緒にスタジオに入ったりしていて。「せっかくだからバンドやるか」と最初のメンバーが集まった感じですね。働き始めて7年目になるんですけど、活動を続けていくうちに、一緒にやれなくなったメンバーもちらほら出てきて。入れ替わりが何度かあって、今の体制になりました。
──大野さんは2024年10月にバンドに加入。その前はyubioriに対してどんなイメージがありました?
大野 初めてyubioriのライブを観たのが2023年11月だったんですよ。ずっと観たいと思ってたんですけど、たくさんライブをやる印象がなくて。
田村 頑張ってたけどね(笑)。
大野 (笑)。そのとき、とにかくジミーさん(田村のニックネーム)の歌が自分の中に残った感じがあったんです。私が聴いてきたバンドには、歌い上げる感じの人があまりいなかったし、お客さんが歌っていたのも強く印象に残って。最初から「めっちゃかっこいい」と思ったというより、あとからジワジワきたという感じです。
大野 社会人になるまでは一切バンドに触れてなかったんです。聴いていたのは自分が通ってきた吹奏楽の曲だけだったんですけど、忙しく仕事している中で、下北沢のヴィレッジヴァンガードで流れていた曲でバンドに出会って。そこからは「仕事をやるか、ライブに行くか」みたいな生活でした。それこそyubioriを知るきっかけになったSEVENTEEN AGAiNだったり、インディーズのバンドばかり観てましたね。メジャーで人気のあるバンドはチケットが取れない気がして(笑)。仕事が終わったあと、「あのバンドのライブやってる」ってライブハウスに行くのがよかったんですよね。
──社会人になってから、なんですね。仕事を始めてからは、トランペットは演奏してなかったんですか?
大野 やってなかったです。吹奏楽は10年間やり切ったし、働きながら吹奏楽を本気でやるのは難しいなと思って。もう楽器はやらないと思ってましたね。
──ところがyubioriに入ることになったと。
大野 なぜかまったく迷わなかったんですよ。「このバンドに関われるなら」と言ったらアレですけど……。やっぱり音楽をやるのは楽しいですね。仕事が忙しいときは大変ですけど、家族からも「音楽をやってるほうが楽しそうだね」と言われるので。
田村 すごく自然で、するっといけたんですよね。最初にスタジオで合わせたときから「いけるぞ」という感じがあったし、あとはライブのときに「今日からメンバーとして一緒にやります」とお客さんに紹介したくらいで。
──最初にセッションした曲は“rundown”だったとか。
田村 そうです。そのときから「これしかない!」という感じでした。
大野 最初はちょっと不安でしたけどね。お客さんとしてyubioriを見ていたからこそ、自分が入ることで変わってしまうんじゃないか?とか、ファンのみなさんの目線も気になっていて。「メンバーのみなさんが認めてくれるんだったら、大丈夫だろう」と思いながらやってました。
──大野さんが加入したことで、制作のスタイルにも影響があったのでは? たとえば「トランペットがあるなら、こういう曲もやれるな」とか。
田村 ないんですよ、それが。
大野 そうですね(笑)。
田村 yubioriの制作は、僕が全部ガッツリ作っているわけではなくて。弾き語りのデモを持っていって、みんなで音を出しながら作っていくんですよ。その中で「ここにトランペット入れたらよさそうだね」ということもあって。
大野 逆に「この曲は、トランペット要らないかな」ということもあります。
──メンバーになったことで、yubioriの印象が変わったところもありますか?
大野 ジミーさんはライブのMCでも自分の話をしていたんですけど、「そのまま」という感じでしたね。真っ直ぐな人というか。他のメンバーのみなさん、あんまり話さないんですよ(笑)。
田村 あんまり喋るのは得意じゃないよな、みんな(笑)。
大野 最初の頃はジミーさんを介してやり取りしている感じがあって。今はだいぶ普通に話せるようになりました(笑)。
田村 打ち解けるのに時間がかかるのかも。ベースの東條(晴輝)とドラムの中野(慈之)は一緒の大学なんですけど、ギターの阿左美(倫平)は違う大学で。阿左美と東條が普通に話すようになるまでに、だいぶかかってます(笑)。
──仕事をしながらバンドを続けるのも大変ですよね。目標がないと進めないというか。
田村 うん、そういうものだと思います。でも僕らは幸いなことに、目標がなかった時期がなくて。「音源を出して、ツアーをやって」という感じで続けてこれたのはよかったなと。支えてくれる人たちもいるし、周りに恵まれているなと思いますね。
──ニューアルバム『yubiori2』のプロデュースを担当した後藤正文さん(ASIAN KUNG-FU GENERATION)の存在も大きいですよね。
田村 はい。僕はずっとアジカンのファンで。後藤さんのソロも聴いていたし、レーベルの運営やバンドをプロデュースしていることももちろん知っていたので、「1回くらい音源を送ってもいいよね」とずっと思っていたんです。そうしたら「一緒にやろう」と言ってくれて。有名なバンドのフロントマンが他のバンドのプロデュースをすることってあるじゃないですか。たとえば山中さわおさんがArtTheaterGuildをプロデュースしてたり、向井秀徳さんがSuiseiNoboAzの制作を手掛けてたり。「プロデュースって何やるんだろう?」と思ってたんですけど、後藤さんはしっかり僕らにアプローチしてくれて。後藤さんのアイデアでアレンジが大きく変わることもあったし、ほぼデモ音源のまま進むこともあったんですけど、すごくありがたかったですね。
──では、アルバム『yubiori2』について聞かせてください。3年ぶりのフルアルバムですが、制作の起点になった曲はありますか?バンドを続ける以上、アルバムを出して、ツアーをやるのがいちばんやるべきこと。「それがバンドでしょ」という気持ちはメンバーのみんなの中もある
田村 順番で言えば5曲目の“春になれば”がいちばん先にできた曲ですね。1stアルバム(『yubiori』)のツアー中に作っていた曲なんですけど、ちょっと構成がややこしくて、上手くまとまらなかったんですよ。結局、その次のEP(『under a cloud』)にも入れられなくて、「この曲、どうしようか?」というところから、「じゃあ2ndアルバムを作らなきゃね」みたいな感じになって。
──今ある曲を形にするために、アルバムを出そうと。
田村 そうです。バンドを続ける以上、アルバムを出して、ツアーをやるのがいちばんやるべきことじゃないですか。そうじゃないと目標が定まらないし、それこそバンドが消えちゃうというか、「それがバンドでしょ」という気持ちはメンバーのみんなの中もあるので。
大野 あとは曲数の話もしてましたよね。
田村 今の時代的にも、「10曲くらいが聴きやすいよね」みたいな話もしていて。「どの曲を削ろうかな」と考えたんですけど、結局、録ったやつは全部入れちゃいました。
──大野さんはバンドに参加して初めてのレコーディングですよね?
大野 はい。高崎のスタジオ(TAGO STUDIO TAKASAKI)でみんながベーシックを録っている様子を見て、なんとなく「こんな雰囲気なんだ」とわかってきて。トランペットはそのあとに録ったんですけど、とにかく後藤さんがずっと「いいよ」「大丈夫だよ」って言ってくださってたんですよ。それで士気が高まったというか、あんまり悩んだり落ち込んだりすることもなく録れたのかなと。
──「トランペットがしっかりハマった」と実感できた曲は?
大野 やっぱり“rundown”かなと思ってます。(トランペットが)目立つということでは“すばる”とかなんですけど、“rundown”の最後でみんなと一緒にワーッと演奏してるときに、すごく馴染んでるというか、「バンドをやってるな」という感じがあって。
田村 アウトロで阿左美のギターがガッと前に出て、その対旋律みたいな感じで莉奈さんのトランペットがあって。そこでさらにグッとくるし、ライブでやっていてもすごく気持ちいいですね。
──最初にセッションした曲ですからね。
大野 というより、まだ作ってる途中だったんですよ。
田村 アレンジが固まってきた段階で、先にライブでやったこともあって。莉奈さん、ライブで“rundown”聴いたことあるでしょ?
大野 あります。そのあと、スタジオで“rundown”を演奏したんですけど、ただ合わせたというより、一緒に完成させたという言い方が合ってるのかなと。
田村 莉奈さんのラッパが入って、ようやく完成したというか。確かにそういう感じがありましたね。
