桑田佳祐、覚悟のサザン復活ライブを観る

桑田佳祐、覚悟のサザン復活ライブを観る
今回のツアーの最終日の宮城スタジアムを観た。WOWOWでも生中継されたので、テレビで観た人も多いのではないか。
既に各地のライブを観た人に絶賛されている今回のツアーだが、本当に素晴らしかった。この全く隙のない凄まじいセットリストから、桑田佳祐のただならぬ覚悟が伝わって来る。
過去最高とも言える大エンターテイメント・ショウで、お客さんは終わった後みんな笑顔で幸せそうだった。僕もとても楽しかったし、究極のサザン・ライブを観ることが出来た満足感を得ることが出来た。そして同時にこれまでに観たどんなサザンのライブよりシリアスで切迫感のあるものだったと感じた。ひょっとしたら、そんなことを思ったのは僕だけかもしれないが、「YaYa」から「勝手にシンドバッド」までのオープニング3曲で完全に5万人を興奮のピークまで持ち上げ、結局そのテンションのまま3時間を走り抜けてしまったライブに、僕はこれまでにない鬼気迫る気迫を感じざるを得なかった。
全くの私見だが、5年ぶりのサザン復活は桑田佳祐にとって決して心躍るものではなかったはずだ。
再び何万人ものファンに向けて「勝手にシンドバッド」を「エリー」を「みんなのうた」を歌うことは、それなりの重い決意がいることだったはずだ。2枚組のアルバム制作と、無期限の活動休止宣言、それはひとつの解散宣言に近いものだったはずだ。それをしなければならないほど桑田佳祐にとってサザンは重いものになってしまっていたのだ。
もしも数年後の復活が読めるならば、自らに過度の負荷をかける2枚組アルバムを作り、それをビートルズの実質的なラストアルバム「アビイ・ロード」を連想させる「キラーストリート」というタイトルにしないだろうし、多くの憶測を呼ぶ無期限の活動休止宣言もしないだろう。
どこまでも私見は続くのだが、この活動休止中の5年の間に、桑田佳祐は自らの癌との戦い、東日本大震災という大きなふたつのことと向き合う。それが表現者としての桑田佳祐に大きな影響を与えた。
「ピースとハイライト」を含む4曲入りシングルが持つアルバム並みの内容の濃さとクオリティーについては、既にジャパン誌上で書いたが、これまでにないシリアスなメッセージ性を持つ歌詞、瑞々しいポップなメロディ、キャリア35年目の作品としては、あり得ない攻撃性がそこにはあった。
今の桑田佳祐の覚悟の重さを感じたのは僕だけではないだろう。
そしてこの代表曲が連発される凄まじい復活ライブ、正直観ていて何か胸にこみあげるものがあった。
そんな老人のウエットな感慨を無視して、ライブ本編は巨大な男性器と女性器のお神輿が登場、ツアータイトルにもなっている「マンピー」が鳴り響く中、脱力の早漏ネタで大団円を迎える。
いよいよ私見は暴走するのだが、桑田佳祐がデビュー以来、一貫して歌い続けていたのはエロだった。今回、それが本当にシリアスなテーマとして彼のなかで正確に位置付いたと思った。
何故、この復活ライブツアーのタイトルが、何年も前の作品である「マンピー」なのか、それはポップ・ミュージックが、あるいはロックが持つ最も強い武器がエロであることを桑田佳祐が確信したからである。
歌が素晴らしかった。ライブの最後まで声の張りは衰えず、安定していた。
今、桑田佳祐はポップ・アーティストとして、とんでもない高みに立っている。
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