クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングで活躍したデヴィッド・クロスビーが1月18日に急死した。デヴィッドは長く肝炎や糖尿病を患っていたが、体調が悪かったわけではなく、ソロ次回作やツアーの準備にも精力的に励んでいたのでその死は突然だったという。ただ、一緒に準備をしていた若いミュージシャンから電話で「お元気ですか」と声をかけられると笑いながら「もうすぐ死にそうなんだよ」と答えていたという。彼の人柄が偲ばれる話だ。
デヴィッドはその美声とコーラスワークで知られ、その魅力が最初に爆発したのはザ・バーズとして1965年にリリースし、チャート1位に輝いたボブ・ディランの“ミスター・タンブリン・マン”のカバーで、この見事なまでのポップロックはロジャー・マッギンのサイケ感が魅力のギターも重要だったが、デヴィッドを軸にしたコーラスワークなしにはありえないものだった。また、ザ・ビートルズやイギリスのビートロックのアプローチを初めて自分たちの音として昇華させてみせたアメリカのバンドにもなり、その後のアメリカのロックの道筋のひとつを敷いてみせた。
その後デヴィッドは自作曲をめぐる対立から1967年に脱退。しかし、解散したばかりのバッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルスとホリーズのグラハム・ナッシュと意気投合し、1968年にクロスビー、スティルス&ナッシュを結成。フォークロックの潮流とその後の70年代のウエストコーストサウンドを作り上げてみせたが、ツアーをきっかけにニール・ヤングも正式に加入し、文字通りのスーパーバンドになった。またウッドストックへの出演や当時のベトナム反戦運動を反映した楽曲などで60年代から70年代にかけてのアメリカの時代精神を体現するバンドともなった。
メンバーの個性が強いためバンドは紛糾することが多く、何度も活動が頓挫した。CSN、CSNY、CNなどと顔触れもよく変えていたが、CSNとしての最後のツアーは来日公演も果たした2015年の世界ツアーだった。そのボーカルの魅力は健在だったのでソロツアーが実現しなかったのが惜しまれる。(高見展)
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