SUPER BEAVERのアルバム『27』はなぜこんなにも「みんなで歌う」のか

SUPER BEAVERのアルバム『27』はなぜこんなにも「みんなで歌う」のか
たとえば、“うるさい”。

”証明”や“東京流星群”もそうだ。SUPER BEAVERにはバンドも観客も一緒になって声を嗄らして歌う、そんな曲がたくさんある。なかでも、冒頭からバンド全員での大合唱ではじまるこの曲はSUPER BEAVERというバンドをものすごく象徴していると思う。

僕がSUPER BEAVERを聴いてまず感じるのは、まさにその「うるささ」だからだ。ディスっているわけではない。音がデカい、とか、騒がしい、とか、そういうことではなく、閉じかかっている心のドアを力任せにこじ開け、足をねじ込み、必死になってその中に叫びかける、彼らのロックはそういうパワーと迫力を常にもっているということだ。人によっては思わず「やめて!」と耳を塞ぎたくもなるだろう。でもそんなことおかまいなしに彼らは叫ぶ。

前作『愛する』もそうだったが、というかずっと前からそうだったと思うが、彼らのサウンドは少しアンバランスだ。藤原”27才”広明のドラムも、上杉研太のベースも、柳沢亮太のギターも、そして渋谷龍太の歌も、すべてが同じように高いテンションで、すぐ横の音のことなど気にしていないみたいに存在を主張している。歌が先頭に立った次の瞬間にはギターリフが主役に躍り出て、その次の瞬間にはドラムのシンバルが我先にと突っ走る。どの曲も、熾烈なデッドヒートのようなのだ。”うるさい”のようにわかりやすく合唱が入っていなくても、SUPER BEAVERのロックはいつも「全員で歌って」いる。

なぜか。彼らにとってはそれが「生きている」ということだからだ。そしてその「生きている」ということを全力で証明する必要があるからだ。俺も生きているし、あなたも生きている。そのことを認め合うために、一緒にメロディを歌う。SUPER BEAVERのロックはそんなことを伝えているように、僕には思えるのだ。

6月1日にリリースされるニューアルバム『27』にはそんな「歌」がこれまでにないほど溢れかえっている。聴いていると、むせ返るような歌の息吹が、耳から心へと広がっていくような感覚を感じる。1曲目のタイトルトラックで、柳沢はこんな歌詞を書いている。《ロックスターは死んだ まだ僕は生きてる》。ジミ・ヘンドリックスやカート・コバーンが死んだ27歳という年齢を超えて「大人」として生きる自分と、同じように生きる誰かを肯定するためのロック。今「生きている」という事実に全力で立ち向かうために、SUPER BEAVERはさらにデカい声で歌う。『27』はそんなアルバムだ。
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