昨日発表された「AKB48グループ ドラフト会議」のニュース。
来る11月10日に、ドラフトの聖地=グランドプリンスホテル新高輪にて、AKB48グループの各チームのキャプテンと各劇場支配人によってドラフト指名が行われる、とのこと。
まず、すごいアイデアだなあと思う。というのも――。
プロ野球で言うならば、ドラフトというのはストーリーそのものである。
自分が「ストーリー」と言うとき、そこでは3つの意味を考えていて、ひとつは、有望選手の高校時代〜大学・社会人時代までのアマチュア期を熱心に追いかけてきた野球ファンにとって、ドラフトというのは、ひとりの「目利き」としても、いち「ファン」としても、あるひとつの物語の終着点であり、エンディングである、ということ。
それはまあそうですよね。
「おれはあの選手は高校1年のとき、背番号10をつけて、リリーフで放ってたときからいいと思ってたんだよー」的なね。
自分が思い入れを持って追いかけてきた選手が上位指名されればそれはやっぱり嬉しいし。
で、ここには「当事者意識」が生まれますよね。これ重要。
もうひとつは、文字通り、ドラフト会議自体が物語になりえる、ということ。
たとえば、江川卓の「空白の1日」事件や、清原・桑田の「KK事件」などなど、それ自体が野球史に残る異常なまでのハイライトになっている。
30年近くも前の出来事で、今もってプロ野球ファンはやきもきしたり、緊張したり、たまの邂逅に心を湿らせ、目頭を熱くさせたりしている。
江川と小林繁が和解を果たした焼酎のCMで号泣したりしている。
これは文字通り、ドラフトという制度が万人を惹きつける「ドラマ」である、ということです。
そして、もうひとつ。
それは、ドラフト会議が「新たなる物語」の始まりになる、ということです。
ドラフト1位指名の選手は当然、球団からの期待も大きい。だからこそ、英才教育が用意されるケースも多い。代表的なのは、長嶋茂雄監督と松井秀喜の「1000日計画」とか。
そんな教育が成功しようとしなかろうとそこにはやはりドラマが生まれる。
で、そんなドラ1選手が成功したりうまくいかなかったりするという、そんな「表舞台」での出来事があるからこそ、ドラフト下位選手やドラフト外入団選手、もしくは育成からのたたき上げの選手による「裏の舞台」からの下克上がより意味を持つわけですよね。
あるいは、ドラ1の選手がそのままトップ街道を突き進み、タイトルを独占するような選手に成長し、やがて惜しまれながらも引退し、首脳陣としてその球団に帰ってくる。そして、また「新たなる自分」を見出し、出会い、ドラフトを経て獲得し、育成していく――これもまた新たなる物語、であると言えるでしょう。
これはなんだろう、ひと言で言うなら、「サイクル」なんでしょうか。
つまり。
ドラフトという制度は、ファンにさらなる「当事者意識」を持たせることができ、そんな「こちら側」のファンたちを、一本の「ドラマ」に巻き込むことができ、かつそれを「サイクル」としてまわし続けることができる、とそういうすごい制度である、ということになる。
わお。
だいぶ強引だけど、どうりでプロ野球ファンたちがドラフトに執心するわけだ、と思う。
平たく言ってしまうならば、ドラフトとは、ものすごく面白い、極上のエンターテインメントであり、そんな極上のエンターテインメントを生み出し続ける永久機関である、ということなのだと思う。
さて。
AKBである。
ただでさえ当事者意識の塊のようなアイドルファンを、さらに強固な結びつきによって楽しませ続けることができる、という意味でこのドラフト制度は正しい……ような気もする。
しかし、その反面、本当にうまくいくのだろうか、という気もする。
なぜなら、プロ野球に関して言うならば、ドラフトというのはそもそも、アマチュアエリートたちによる天上人の集いであり、その中からさらなるエリート・オブ・エリートを選び出す、超絶難度の入試のようなものだからだ。
そして、AKBの歴史を振り返るに、非エリートたちの集団による怒涛の快進撃こそがそのダイナミズムの核だったように思うからだ。
その意味において、エリートがエリートを選び、さらに筋肉質な、遊びのない共同体をくみ上げていく作業である「ドラフト」という制度が、AKBという稀代の下克上製造装置とどういったケミストリーを起こすのか、よくわからないところがある、ということです。
ただ、その反面、ものすごく期待しているのも事実。
さっきも書いたとおり、ドラフトとは、ファンにさらなる「当事者意識」を持たせることができるうえに、一本の「ドラマ」に巻き込むことができ、かつそれを「サイクル」にすることができる、とそういうすごい制度だから、です。
つまり、いよいよ「終わらない物語」を作り出すことができる、夢の制度でもあるから、です。
そんな終わらない夢に我々を巻き込んでいってほしい、とピュアに思うから、です。
ドラフトの導入によって、ついに(秋元先生のひと声による指名ではなく)第三者的概念としての「エリート」という地位が生まれることになるであろうAKB。
そこから、いかに新しい物語が生まれるのか、じっくり見守っていこうじゃないか。
とまあ、いちプロ野球ファンとして、いちJ-POP、AKBファンとして、そんなふうに思っております。
朝からえらく熱く長いエントリーですみません。