破格の大規模演出が目まぐるしく転換していく中、ちゃんみなは2時間30分間、その孤高の存在感で満員の客席を圧倒し続けた。たくさんのヒット曲が歌われ、シンガロングがあり、その中央に君臨する姿はポップの女王そのものだった。
しかし、演出や舞台装置による武装と反比例する様に、ステージ上のちゃんみなは常に素に見えた。それはずっと以前にホールやライブハウスで観てきた時から変わらない印象だ。
ちゃんみなはいつも戦ってきたアーティストだ。ルーツやルッキズムやいろいろな偏見や孤独に真正面から向き合い、アグレッシブに、時にユーモアを交え、そうやって戦い続ける事がアーティストとしてのアイデンティティだったのだと思う。
ライブの中盤、7歳の時から彼女が思いを綴ってきた「ノート」が開かれる、という映像演出があった。「痛みや不安や怒りや醜さや悔しさや優しさや愛、戦い続けてきた彼女のすべてがそのノートにあった。痛みが深いほど道は開けた。その存在ががちゃんみなという原石を光り輝くダイヤモンドに変えた。」というモノローグだ。
ちゃんみなはこの日も自らの生涯の傷を曝し続けた。どれだけ演出が派手であっても、我々の目に映るのは裸で素のちゃんみなが戦っている姿だ。それは震えるほど美しかった。
傷を曝しながら戦い続けるその姿が、満員の東京ドームを熱狂させる極上のエンターテインメントになる。痛みの深さが表現の質と正比例する。それがポップミュージックのマジック、魔法の方程式なのだと思う。(海津亮)