最初に登場したのはアトラス・サウンド。アトラス・サウンドはまだアルバムは1枚しか出していないけれど、ディアハンターのブログでかなりの量のオリジナル曲やリミックス曲をダウンロードすることができる。ちなみにピッチフォークで8.6点を獲得し「ベスト・ニュー・ミュージック」にも選ばれたこの1stアルバムは、ディアハンターのギタリスト、ロケット・パンドに捧げられている。
テープに音を吹き込み、そのテープを再生しながら別のテープに新しい音を吹き込み…という作業を繰り返していくことで、バンドなしでもいくらでも音楽を膨らませていける、といういわゆるマルチトラックの手法をベックのインタビューを読んで知ったというブラッドフォードは、小学6年生のときからアトラス・サウンドと名乗っているそうだ。今夜も即席で音をどんどんコンピューターに記憶させていき、ループさせながら、信じられないくらい豊かな音空間を作り出していた。3拍子とファルセットを多用した、ドリーミーでノスタルジックな音楽。
ブラッドフォードがステージを去ると、タイダイ染めのアメリカ国旗がステージ奥に掲げられる。ということは、次はアクロン/ファミリーだ。5月リリースの新作『セッテム・ワイルド、セッテム・フリー』のジャケットでもおなじみのこの旗は、彼らが初めてイギリスでライブを行うことになったときに作ったものだそうで、かつてボブ・ディランがイギリス公演の際に背後に掲げていたアメリカ国旗を意識しているらしい。しかしいろんな場所で使い回してきたのか、かなりヨレヨレになっている。
メンバーが演奏前にお香を焚き、その匂いが会場中に立ちこめる。しかしアクロン/ファミリーの3人は雰囲気がよく似ている。同じように肉付きのいい体つきをして、同じようにリラックスした服を着て、同じような髭を生やしている。強いていえば眼鏡をかけているセス(G)は少しだけ知的で、ランニングシャツのマイルス(B)は少しだけ陽気で、ドラムのダナは少しだけ地味(失礼)といった感じか。
とはいえ彼らのそんな同質性も、その音楽とまるで無関係というわけでもないかもしれない。主に新作からの曲を披露してくれた今夜のアクロン/ファミリーだったが、彼らの楽曲の奥にはいつも「コミュニティ」か「自然」のどちらか、あるいはその両方のイメージが見える。そうしたより大きな単位の中では、個人は孤独のうちに自分の内面を突き詰めるよりは、いかにしてその単位へ自分を統合していくかということに重点があるだろうから、その音楽には鼻につくようなエゴがなく、ぱーっと開けているし、逆に言えば、ある種の人々にピンポイントで突き刺さっていくような鋭さはない。たぶんこのあたりは良いとか悪いとかじゃなくて、純粋に好みの問題なのだと思う。この夜、最高の盛り上がりを見せた“エド・イズ・ア・ポータル”のようなフリーク・アウトする曲も、決して内へ内へという感じにはならず、どこまでも祝祭的なのが彼らの持ち味だ。最後には繊細で美しい3人でのアカペラ・コーラスも披露してくれた。
最後は、2007年の『クリプトグラムズ』と2008年の『マイクロキャッスル』がやはりピッチフォークから「ベスト・ニュー・ミュージック」に選出され、この1、2年で一気に認知度が高まったディアハンター。6月9日に5曲入りEP『Rainwater Cassette Exchange』がリリースされ、8月にはノー・エイジ、ダン・ディーコンとUSツアーを行う。また、7月8日には『マイクロキャッスル』の国内盤がリリース予定で、これを機に日本でもますます多くの聴き手を獲得していくことになるだろう。
曲によってはアウトロだけで数分を費やす彼らの演奏だけど、リヴァーブの効果で空間にポリリズミックに拡散していくギターと、それを繋ぎ止めるかのようにあくまでタイトで直線的なドラミングの間に心地良い緊張感があり、飽きさせない。この自由を求めるギターとそれを拘束するドラムという対比は考えてみると彼らの曲の多くに現れていて、最新作『マイクロキャッスル』でいえば、空想の世界に遊ぶような中盤の数曲がドラムレスになっているほかは、前作に比べてギターがドラムの叩き出すパターンに合わせる傾向が強くなり、かなり「拘束」側に傾いている(その結果、メディアからは「ポップになった」と言われている)。その最たる例ともいえる“アゴラフォビア”、この「もう自由になろうという夢は見ないよ」と言う男がコンクリートの壁に囲まれた狭い部屋で1日2回の食事を与えられながら消えてしまいたい、自分の様子を見たいときは監視カメラを通して見てほしい、と空想する歌は、ディアハンターの紡ぎだす世界の自由‐拘束の関係を端的に示しているような気がする。でもそんな曲がほとんど完璧なくらいに甘美なのは不思議だ。アルバムではロケットがボーカルを務めているこの曲だが、この夜はブラッドフォードが歌った。
「その頃の僕には友達が一人もいなかった。僕はとても、とても孤独な子どもだった」とあるインタビューでマルファン症候群の症状が出始めた10歳当時を振り返っているブラッドフォードは、ホモセクシュアルでもあり、高校の終わり頃には両親が互いに恋人を作って家を出て行き、郊外の大きな家に一人取り残されるという経験もしているそうだ。現在のブルックリン勢の音楽は9・11以後の世界からの逃避として別の世界を作り上げたという文脈で語られることが多いけれど、ディアハンターがその自由と拘束に彩られた世界を作り上げることで逃避する対象は、それよりはもう少し個人的なもの、でもそれゆえによりパワフルな作品を導きうるようなものなのかもしれない。もしそうだとすれば、その結果としての逃避が「たまたま」時代の要請と結びついたところに、彼らが他のバンドとは一線を画す独自性があるのだろう。
「もうアメリカには帰らないよ。オーストラリアにも行かない。僕はここが好きだから、ここにいるんだ」とアンコール中に冗談めかして言ったブラッドフォード(ディアハンターは6月11日からオーストラリア・ツアーを行う)。ここ日本にも、またひとつ愛すべき世界を見つけることができたようだ。(高久聡明)